何度も何度も、痛い目に遭いながら頑張って来たのです
2024-12-17
太古の昔から、黒部の山奥では山腹崩壊が繰り返されて崩れた土砂・岩塊は急こう配で降水量の多い黒部川の流れで下流まで運ばれて深い峡谷と広い扇状地をつくってきました。
黒部渓谷流域は両岸の造山運動と激しい気象条件で、変化し形を変えるペースが他の山域よりも早く激しく安定していないのです。
私もダイブツ達メンバーは何度も調査・作業に駆り出されてきましたし、時には遭難救助で多分人間が初めて入ったであろう場所にも入っていろいろ見て来ましたが
「鐘釣山」 は石灰岩ですが、そもそもサンゴ礁や貝殻等海底で作られ地下で圧縮され生成された岩がが山奥にそそり立っているって?
「猿飛峡」にクランク形状の渓谷がなぜ出来たのか??
針葉樹・広葉樹・灌木・クマザサ・雑草等々、場所によって植生(山菜)が違うのか??
等々、他の山域とは違う「激しい黒部の見方?」の勉強になりましたが、まだまだ分からん事や知らない事の方が多い気がします。
そんな谷底をトロッコ列車が走っている訳で、旅客開放された当初は乗車証に「命の保証はいたしません」と書かれていたそうです。
「危険な場所」と言えばそうなのですが、さすがに現代ではそんなこと言ってお金を出して頂く訳にはゆかないので、安全運行のために沿線の山腹調査を毎年継続的に行ない~浮石・斜面崩壊等の不安要素が見付かれば 除去作業 やスノーシェッド・防護壁等の対策工事を行いながら、それなりの安全の確保を担保しながら運行されてきました。
しかし地震の少ないと言われてきた富山県で、今回の能登半島地震の揺れの強さは尋常ではありませんでした。
続く・・・
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