阿曽原温泉小屋

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まだ予約は受けられませんから!

2024-03-19

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「人喰い岩」手前道路には、地震で落ちてきたであろう落石が・・・

先から御伝えしている通り、今シーズンの予約受付は保留しております。

トロッコ列車の線路が復旧されても、登山道の安全を確認して損傷を受けていたとすれば修復してからでないと歩くことは出来ません。

写真は 欅平「人喰い岩」 から奥鐘橋方向ですが、路面に転石が溜まっているのが見えますが・・一抱えある岩も雪に埋まっているのが確認出来ました。

昨年10月11日 に半月沢付近で登山道崩落が発生しましたが、「東日本大震災」の半年後には黒部峡谷で発生した地震の際に十字峡付近で発生した地滑りで登山道が跡形なく崩落したり落石で丸太桟道が損壊・手摺番線の切断等々で、それ以降そのシーズンは歩くことが出来なくなりました。

阿曽原温泉に向かう「旧日電歩道」「水平歩道」は断崖に無理矢理切り開かれた道です。

急傾斜ということは安定した山ではない証拠ですし、大雪・多雨の気象条件と標高が低いので植生も生い茂り崩落・雪崩等で倒木が発生すれば斜面を壊してしまうことはショッチュウです。

何度も言いますが「黒部は生きています!」人間の物差し等では測り切れない長いスパンで形を変えながら成長?(安定)に向かっているのだと・・・。(先日、ローカル新聞の北日本新聞で、日本一の落差を誇る 称名滝 も段数等ドンドン形を変えていることが紹介されてました)

黒部を訪れる計画を立てられておられる方々におかれましては、ヤキモキしておられることと思いますが「黒部に怪我無し!」です。

一般の方々が歩ける程度だとルート確認と補修が終わるまでは、「遊びにいらっしゃい」とはとても言えませんので御理解のほどをお願い致します。(岩壁・樹木への落石の当たった痕跡や沢に溜まった岩屑等々見てある程度?判断します)

ただし、バリエーションルートと捉えて突っ込んでくる人は「勝手にどうぞ」なのですが、でもそんな輩が遭難しても救助する側からすれば???救助要請又は認知すれば向かうのですが、二十数年前に大崩壊した沢へ翌年沢登りに行ってお客さんを怪我をさせた山岳ガイドがいましたが・・・?

いずれにしろ困っているのは、登山者だけではなく阿曽原温泉小屋も一緒です。 問い合わせを入れて来られる方が時々おられますが、こればっかりはどうにもならないことを御理解願います。

※失礼しました

17日のインターFMのラジオ放送を聴いた知り合い数人から「なんか早口で喋っていたね」ってことを教えられました。

聴き辛かったようで申し訳ありませんでした。

まな板の上のカニ???

2024-03-15

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隣り町のスーパーの魚屋さんで!まだ生きてました(1,050円)

大切なことをお伝えしていませんでした!

ラジオのオンエアは、3月17日・24日の6:30から 山小屋ストーリーズ | インターエフエム [ 89.7MHz TOKYO ] で放送予定とのことです。

インターネットを利用して radiko で聞くことも出来るらしいですし、そのうち YouTube(ラジオ 山小屋ストーリーズ アーカイブ by山と溪谷ch.)でも聞くことが出来るみたいです。

実は収録中は「まな板の上の・・・」状態で?「どうにでもなれ」って富山弁丸出しで話したし、暴走気味で?編集されて話が細切れになっているだろうし・・・まあ私の事はさておき、華恵さんのステキな進行 は流石でしたので興味のある方は聞いてやって頂けたらと思います。

勝手にシンパシー?

2024-03-14

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勢いで取り寄せたけど・・ズボラな私が、はたして読み切れるか?

先日、ラジオ収録で矢部華恵さんと話して来たとお伝えしましたが、10日に富山市立図書館で開催された「ブックトークレディオ」で来富すると知人から知らされて行って来ました。

対談の御相手は 「夏葉社」 代表 島田潤一郎さんで、2009年たった一人で出版社を立ち上げて今も年間三冊程度出版しながら一人で経営しているとのことです。(年間三冊でも1人の会社ならば、なんとか食べてゆけるそうですが???)

エッセイストでもある矢部華恵さんとの本繋がりのトークも興味深かったのですが、島田さんが起業したのが33歳とのことでした。

実は私も「阿曽原」を引き継いだのが33歳でしたが、矢部華恵さんも昨年末で事務所から独立されたそうですが今年33歳になられるのをプロフィールで知りました。

私なんぞは行き当たりバッタリで、否応なしに?次々と発生する災害に翻弄されながら今に至っていますが、このお二人も、それぞれ考えての起業であり独立なのでしょう。

まだ若いお二人は、この先イロイロと苦労されたり悩んだりすることもあるかもしれませんが・・・

前を向いて頑張っていってもらいたいものです!

「33歳」って聴いて、勝手に思い入れを持ってしまう単純な私なのでした・・・。(なんて他人のこと言ってる場合じゃなく、地震災害の復旧に頑張らねば!)

ちなみに・・

「33歳」話し以外でも、トーク中に「度忘れしたけど、ポールマッカートニーの奥さんの名前リンダさんでしたっけ?」って島田さんが話された時に、矢部華恵さんが斜め横方向に座っていた私の方を向いたので「ウン・ウン」って頷いて「頷いて頂けたのでリンダさんですかね」って話になりました。

実は10日前のラジオ収録でリクエスト曲を尋ねられたので、ポールマッカートニー(ビートルズ)の All My Loving をお願いしたのを華恵さんは覚えていてくれて?こちらを振り向いてくれたのだと???

トークショウが終わってから華恵さんと少しお話しして、災害復旧したら黒部に遊びに来てもらう約束をして会場を後にしたのでした。(無理やりこじ付けて!だからオジサンは~って言われそうですが・・・)

せっかく街に出たので、軽く呑みに出たのですが・・以前一度だけ入ってゴボウの竜田揚げが旨かったソーガワベースの 「酒場 ヤマ富」 ではマスターに「覚えてます」って言われ・・カウンターの隣の知らないペアにも「私達、糸魚川から来て飲んでるの」って声を掛けられ「私も年に一度、糸魚川の親不孝通り へ飲みに行きます」って~次に入った 「えび寿し」 では、数日前に自宅に打合せに来ていた方とバッタリ!~その次に入った 「ジェリコの戦い」 では、華恵さんに同行していたスタッフが自分だけ帰京せず知り合いの山小屋の主人と飲んでいるのに出くわすし・・・。

この日も「偶然?」「縁?」を感じつつ 富山ホンキートンク してきたのでした。

復旧見通し(鐘釣橋が復旧しても登山道は別ですから)

2024-03-08

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鐘釣橋上流の不帰谷出合の堆積土砂(復旧作業中に押し流されてこなければいいのですが)

本日の北日本新聞朝刊に

「黒部宇奈月キャニオンルート」の 一般開放10月に延期!

と一面にデカデカと報じられました。

未だ詳細な調査で現場に入れていないので確定した訳ではないので、あくまでも「見通し」と考えていただければと・・・。

阿曽原温泉小屋の営業も、トロッコ列車が全線開通しなければ登山者が歩いて向かうことも帰ることもままなりません。

そもそもトロッコ列車が復旧しても、あれだけの揺れでしたので「下の廊下」「水平道」がダメージを受けていないか調査して整備してから一般登山者に歩いて頂くことになりますが・・・何時から調査に入れるのか? 資材搬入・人員投入等々着手がすんなりできるのか?心配しているところですが、現地に入れるようになるのが何時頃からになるのか??見通しも立っていないのでザックリしたことも今現在はお伝え出来ません。

黒部平では、地震発生時は震度5を検知しているそうで、「地滑り」「落石」が発生しているはずと想像しています。

平成23年東北の震災の半年後の10月に黒部ダム付近震源の地震の際には「手摺り番線の切断」「丸太桟道・ハシゴの破損」「ルート上の枯沢が岩屑で埋まる」等々が発生してしまい、特に十字峡上流部では斜面が崩落して 登山道が跡形が無くなって しまい岩盤が剥き出しになりました。

トロッコ列車が復旧しても、登山道がダメージを受けていないとは限りませんので黒部峡谷山行を計画されておられる方は、情報が入れば随時書きますので確かめてから計画を立てるようにしてください。

まずはトロッコ列車の復旧に向けて頑張らねば!

目の前の事だけで???

2024-03-04

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「近大マグロ」(ランチ後だったのに、テレビで見たものだからツイ・・)

東京では半蔵門 FM TOKYOスタジオ へ行ったのですが、地下鉄で向かうと一つ手前の駅で降りれば「靖国神社」「日本武道館」が有るので、時間に余裕もあるし参拝してから歩いて半蔵門に向かうことにしました。

親戚縁者に祭られている人はいないのですが、「高熱隧道」掘削当時は太平洋戦争開戦に向けて厳しい作業を進めていての災害・事故で亡くなられた方々が大勢おられるのですが、ある意味「戦没者」と同じではないかと私は思っています。

黒部を訪れて普通に感動することが出来るのは、先人の尊い犠牲の上にあることは忘れてはいけない事かと・・・

目の前の事だけ見て、解った様な顔しない様にしなければ!

なんてことを、自分に言い聞かせながら・・・。

って言いながらも、靖国神社の参道の長さが長く・・一駅手前だからと高をくくっていたのですが、地図を見るとこの区間だけ駅間が長くて、歩くのに案外と時間を取られて・・御堀端を汗かきながら早足で歩く羽目になってしまいました。(御堀端のサクラがチラホラ開き掛けていたのですが・・愛でる余裕もなく)

最近は東京のイベントに出ることもなく・・限られた時間を有効に?って動き回り、結局のところ食べ過ぎになりつつ?帰ってまいりました。

タマタマ?偶然??縁???

2024-03-02

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東京博物館 平成館

一昨日は「インターエフエム [ 89.7MHz TOKYO ]」の 山小屋ストーリーズというラジオ番組の収録に行って来ました。

スタジオに入った途端にスタッフに若い女子が多くて「孫の中に入ったみたいですね」なんてことを言われながら・・・収録前にパーソナリティの 矢部華恵 さんが東京芸大卒と聞かされて???(モデルもこなしておられるシッカリ芯の通ったカワイイ女性を目の前にすると、オジサン的に、実は目のやり場に困ってしまうわ・・汗が止まらないわで・・・)

タマタマだけど先日、前学長御夫妻が宇奈月で演奏会に来てくれて聴きに行って来たし、以前にも東京芸大学長室に平山郁夫学長に面会団に付いて行ったことが二回有るし・・」なんてことを収録前に話して少し打ち解ける(勝手に?)ことが出来たりして。

放送日など詳しい事が決まれば、このページでお知らせいたします。(暴走気味に話してしまったので、とても放送に耐えられないと判断されて没になるかもしれません)

偶然そんな用事が出来たものですから、昨日は 東京国立博物館 平成館 で開催されている 「特別展 本阿弥光悦の大宇宙」を見て来ました。

刀剣の審美眼なんてものは持ち合わせていないのですが、取り合えず本物を観たくて上京した際には東京博物館本館に立ち寄っては「刀剣」展示だけ見て帰って来ることもあったのですが「本阿弥家の刀剣鑑定・・・」ってのを聞いて「見に行きたいな~」って思っていたのでラッキーと喜び勇んで上京したのでした。

早速に刀剣展示ブース に向かい順々に眺めながら進んで行くと、なんと「郷義弘」作の一振りが展示してあったのでした。

何度か紹介してきましたが、山岳警備隊員とそのOBは活動中に三名の殉職者を出してしまっています。

そのうちの御一人は刀工「郷義弘」の末裔で、黒部市出身で高校の大先輩でもありました。(ちなみに殉職者三名は、私の地元である旧下新川と呼ばれる黒部市以東の地域の方々ばかりで、言葉訛りが近い私はその都度御遺族対応などでも付き合いさせていただいたのでした)

殉職後に御自宅を訪ねた際に、和室のふすまの上に「日本刀の設計図?」的な墨絵図が飾れれていたり、どんな時に写されたものか聞きそびれましたが刀工の白装束の出立で刀を鍛えている写真を見て来ました。

まさかそんな有名な刀工の末裔なんて思わずにいたのですが、日本刀に少し興味を持つ様になった時に「郷とお化けは見たことがない」といわれるほどの名刀だと知りました。

今回ヒョンナことから実物を目にすることが出来て・・・タマタマと偶然が重なっての上京でしたがみたいなものを感じてきた東京行でした。

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