阿曽原温泉小屋

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やっぱり神様の掌の上?Ⅶ(外さない男)

2020-05-17

写真

左から3番目のピークが白馬鑓(仙人池より)

続き。

堆積土砂・堰止湖・登り返しの斜面状況等々の状況調査を終えて、このまま登り返して中背尾根を下って祖母谷温泉までは今日中にはとても帰れないだろうとの判断で、少し早いけど今夜は堰堤下流の河原でテントを張って泊まることにします。

乾いた砂の平地もキレイな水も有って快適なテント場でくつろいでいたら、S君が「チクショー!」って・・・ 「カモシカマダニ」 に噛み付かれているのを見つけてブーブー言っているのでした。

S君抜きでに山に入ると私も噛み付かれたことが有りますが、S君と山に入ると不思議なことに彼にばかりダニが喰い付くのです。(O型の血液型が関係するのか?彼にはダニにまつわる伝説が他にも)

大仏と密かに「ダニホイホイ」って呼んでいたのですが、いつも彼はいろんな意味で楽しませてくれるのですが? やっぱり「外さない男」今回も期待を裏切りませんでした。

翌朝、前日下った藪の急斜面を登り返します。 ルート全体にペナントで目印が有る訳ではないので、本能の赴くまま?握力・腕力頼りで藪を握って強引に上部を目指します。 

山菜取りなさる方なら分かると思うのですが、藪は枝の伸びる方向や枝の密度を見定めると自ずとルートが決まるのですが、何も考えずにタダタダ真っ直ぐ突き進もうとすると大変な苦労を強いられます。(藪を読む目が必要です)

途中の小さな岩の上が棚になっている様に見えたので、棚に手を掛けて強引に登って目線が棚の上に出た瞬間、トグロを巻いた「マムシ」と睨めっこ・・・手を離せば転落するのでソーッとクライムダウンして、迂回させられたりしながらも中背尾根の初日のテント場まで無事登り返したのでした。

若く元気で「山を舐めてた?」三人・・・神様は新たな試練を与えたのでした。(自ら飛び込んだとも?)

続く~!

※参考(十月初旬の仙人池から)

この写真では崩壊現場は陰になって見えないのですが、左端から 旭岳~白馬岳~白馬鑓~天狗の頭~天狗の大下り~唐松岳となります。

黒部中流の山域が広いのが分かるかと。(特に後立の稜線から黒部川までの懐が広いのです)

本物!

2020-05-16

写真

北陸新幹線「黒部宇奈月温泉駅」 水平線は富山湾!

この週末は、東京で「山小屋サミット」に参加予定だったのですが・・・平成8年から参加させてもらって、東日本大震災の年以外は毎年恒例になっていたのですけど今年は仕方ありません。

写真は半月ほど前の新幹線駅ですが、高架手前左端三角の無料駐車場がスカスカで、高架の向こう側にある沢山の無料駐車場も同じで・・・乗車率4%も頷けます。(本当は、あそこに車が止まっていたはずなのに)

写真右側の、大きな白い建屋は「YKK AP」の工場ですが、そのすぐ向こう側に黒部川が流れています。

「YKK」は世界中で事業展開してますが、黒部市から出た会社って知ってました? 生地には、広大な敷地の本社工場があります。

私がまだ警察官やっていたS59年に、ジミー・カーター元アメリカ合衆国大統領がYKK創業50周年式典に生地まで来られて、田舎に本物のVIPが来るなんて県警はテンヤワンヤ、私は往路では車列がスムーズに進めるよう交差点で信号操作して交通整理、復路の富山空港では私服で警護員した思い出があります。

富山空港で、カーター氏の身辺警護している本物のボディーガードのデカかったこと!小口径拳銃の弾丸では、貫通しないであろうプロレスラー級の大迫力な男性が寄り添っているのを見て「こりゃ、敵わん」と真剣に思いました。

(なんちゃってSPだったんですが、中曽根元総理が来県されたときも警護員として駅のホームで本人から数メートルに配置されたことがあって、こちらも風格漂う本物オーラに溢れておられました!)

人間だけでなく刀剣・美術品・コンサート等なんにでも言えるけど、本物を目の当たりにしたり体感した時の「感動」で達成感・幸福感みたいなものに包まれると、本当のモノの見方・考え方が身に着くのでは?(上手く言えないけど)

黒部峡谷は、間違いなく人間を感動させる力を持った本物だと思います。

ウイルス騒ぎが治まったら、本物を体感しに来てくださいませ。

やっぱり神様の掌の上?Ⅵ(トップ3)

2020-05-16

写真

雪を被っているのが「赤谷山」!毛勝山~剣岳の間が小黒部鉄橋より見えます。

続き。

翌朝、いよいよ今まで多分誰もトレースしていないであろう?枝尾根から祖父谷の谷底までのルート調査です。 

藪を登るのは、視界が効かなくても基本的に高いところを目掛けて行けばハマることもないのですが、濃い藪を下るのは慎重に下らなければ痛い目に遭います。

ある程度の(かなりの?)強引さも必要なのですが、入り口が優しそうで騙されて岩壁・急斜面に出てしまっては、帰りが大変になるので改めて迂回ルートを探さねばなりません・・・ミスして急な藪斜面を登り返すのは気持ちが折れそうになります。(ホワイトアウト状態でトレースが無い時に、早月小屋から馬場島への下降で小ピークから立山川方向に間違えるパーティーがいるのと一緒です)

1,384m 下部辺りから、地形図と腕時計の高度計と藪の向こうに見える対岸斜面等を頼りにしながら下り出して、なんとか堰止湖から少し下流の谷底に降り立ちました。

最初は狭かったのですが少し進むと幅広い川床になって、沢登りと言うより川登りしながら遡上し始めて、カーブを回り込むと広く視界が広がって天然ダムの堰堤が広い谷底を埋め尽くしていました。

堰堤の高さは真ん中の低い場所でも垂直に30m以上はありそうで、川幅の広い場所なのですが両サイドの斜面に近い所の土砂はもっと高い場所まであります。

運ばれて来た土砂の量を計算するには、私の指の数が足りないので?諦めましたが・・・とてつもない量です!

堰堤の中央には、小さな二階建て住宅くらいの巨岩が埋まっていて、その周りの大岩小岩との隙間から大量の水が湧き出して下流の川に流れを作っています。(確かに大雨が降って、堰堤を越流したら崩れないのか心配に?)

右岸斜面の崩壊面の高さに驚かされたのはもちろんですが、心底驚かされたのは左岸側の斜面でした。(谷の上流から下流を見て右側が右岸)

想像してください、林が谷中に向かって生えている(伸びている)様に見えるのです???

右岸斜面で空に向かって伸びていたであろう樹木が、斜面全体が一気に大規模な地滑りを起こした際に、滑り降る勢いが強いために勢い余って対岸の左岸斜面に登り返して止まったものと考えられます。

今まで山で、凄いモノをイッパイ見て来たつもりだけど「私的トップ3」に入る光景です。

もう少し続く!

阿曽原は、夏場は営業しません!

2020-05-15

写真

毎日ちゃんと朝日は昇るのです。(自宅より)

阿曽原温泉小屋は、夏シーズンは営業しません!(キャンプ場・露天風呂ともに利用出来ません)

各小屋それぞれの設備・客層等の違いで対応も変わってきますが、設備的には最貧弱?な阿曽原温泉では十分なウイルス対策が取れないとの判断です。

秋のシーズンについては、感染が収束の方向に向かったり、治療薬・紫外線照射等の有効な方策が見付かれば営業を開始したいと考えておりますが、今現在は決めかねておりますので、ちょいちょいチェツクしていてください。

各山小屋もウイルス対応それぞれ頑張っている様で、劒沢小屋 にあっては「クラウドファンディング」なる取り組みを始めたらしいです。(応援してやっていただければ!)

※「人生を語らず」 作詞・作曲 吉田拓郎

 朝日が昇るから 起きるんじゃなくて♪  目覚める時だから 旅をする♪

 教えられるものに 別れを告げて♪  届かないものを 身近に感じて♪

 超えて行けそこを 超えて行けそれを♪  今はまだ人生を 人生を語らず♪

今日は作文しながら、録画して何回も見ている「吉田拓郎」を流しています。 45年前「今はまだ人生を語らず」このLPレコード買って、他にも「ペニーレインでバーボンを」「襟裳岬」なんかも入っていて随分聞き込んだ覚えがあります。(高校生のくせに生意気ですよね、だけど45年前に歌っていた拓郎って・・・凄いですよね)

「人生を語らず」は、「拓郎が選ぶ自己ベスト5」第1位とのことで、最近のライブでは大切なところで歌われているみたいです。

「超えて行けそこを♪ 超えて行けそれを♪」 ウイルスに負けずに、前を向いて頑張りましょう!

やっぱり神様の掌の上?Ⅴ

2020-05-15

写真

小黒部谷の新緑(食べ頃・・・?)

続き。

苦しめられた広い緩斜面から、尾根の形がハッキリして来た1372mピーク辺りからは快適な登高ではないけれども新緑の尾根を進むことが出来ました。

痩せ尾根で「ここしか通れない」って岩場に来ると、錆て朽果てる寸前の番線が岩場に沿わせてあるし、傾斜の緩い休憩適地には見たことの無い形のガラス瓶(飲料?酒?)が土に埋まりかけているのを見つけます。(人跡未踏みたいな場所だけど、終戦頃まで利用されていた証拠なのでした)

ブナの新緑がキレイなんですが・・・ある程度以上太いブナの幹には、ほとんどの木に幾筋も引っ掻き傷が・・・?

猟友会の鉄砲撃ちの話では、ツキノワグマはブナに登って新芽を食べるらしいのですが、太い枝別れした場所に座っては細い枝をへし折って枝先の新芽を食べて、食べ終わった枝を尻の下に次々と重ねて敷いて大きな「鳥の巣」みたいなものを作る習性があるらしく、実際私も「鳥の巣」もどきはいくつか見付けたことが有ります。(寝床にしてクマが昼寝しているって話も???)

幹の傷は古いものも有るのですが、かえって瑞々しいというか一目で新しいと分かるモノが沢山有るのが良く分かって・・・。

イヤーな感じですが話をしたり声を出しながら進んでいって、1,715mピークの手前でテントを張るには具合のいい平地があって横の窪地には残雪が残っていて水心配もなく、なんと尾根の上なのに下草が食べ頃の「山ウド」「アマナ」「ウドブキ」が!

このまま主稜線から枝別れしても、これ以上の寝ぐらは無いだろうとテントを張ることにしました。

その夜は、食べられる「下草」を煮て味付けに「鯖缶」をぶち込んで・・・色は悪いのですが美味しくて、癖になって毎年山菜時期の「男の料理」としてある意味贅沢な食べ方が山のお楽しみなのです。

もっと続く。

やっぱり神様の掌の上?Ⅳ(勉強になりました)

2020-05-14

写真

毛勝山(2,415m)「海の駅・蜃気楼」より。

まだまだ続くの続き。

5月下旬だったと記憶してますが、トロッコ列車の始発に乗っても祖母谷温泉からの歩き出しが10時を過ぎていたはずですが、テントと食料を担いで中背尾根に三人で進撃!

中背尾根に入って30分ほどは測量などの関係なのか?若干の踏み跡がありましたが、そこから先は本格的な藪が始まります。 

急斜面では「シャクナゲ」が重なる様に密生していて、こいつは花はキレイなのですが枝・根がクネクネたわんでいるので、掴めば伸びる・踏みつけても沈む・ザックに引っかかる等々掴まえどころがない?力が伝わらない?・・・密生すると厄介な存在なのです。

「キレイな花には気をつけろ」勉強になりました!(キレイだけど掴まえどころのない・・・苦労したことない?)

傾斜の緩い広い斜面に出ると、私の親指くらいの「熊笹」がギッチリ隙間なく生えていましたが「大したことなかろう」って舐めてかかり地形図の最短距離で強引に突入すると、何本も集まった笹は反発力が強く掻き分けても進路は広がらず、密生しているため地面に足が着かないので踏ん張りも効かず、笹を踏んで進もうとすると足が滑って空回り、転ばない様に腕力・握力全開で堪えながら全体重を藪に押し付けて泳ぐように?前進する羽目に。

一番体格がスマートなS君は、「罠に掛かった小動物?」のように笹藪に挟まったまま空中に浮いて身動きが取れなくなるくらいの苦行を強いられたのでした。

緩斜面の終わるころ藪も優しくなって来て、大きなブナの木の根元まで来ると緩斜面の縁が割と歩きやすそうな形状で上下に続いていて???地形図を出して確認してみると、先ほど舐めて突入した地点から少し遠回りして登れば、こんなに苦労しなくても良かったのが分かって「ガックシ」させられたのでした。

「山を舐めるな」とっても勉強になりました!(この先、何回も何回も痛い目に遭っても・・・)

もっと続く・・・。

毛勝山(山の向こうは「小黒部谷」黒部のエリアです)

雪形を紹介した「僧ヶ岳」から北方稜線を剱岳に向かうと、毛勝山・釜谷山・猫又山と続いています。 

近年、西北尾根の草刈りがされていますが、昔は正面に見える頂上直下まで伸びる毛勝谷雪渓が残る間に登下降するのが一般的でした。

私が高校生の時に初めて登ったのは、生意気にも社会人山岳会の先輩方に着いて行って4月初頭の残雪期に西北尾根を登って毛勝谷を下降してでしたが、コースが長くバテバテになり急な雪渓下降にビビりながらのハードな山行でした。

写真は魚津市蜃気楼ロード「海の駅・蜃気楼」からのものですが、海から近いのに雪渓が遅くまで残る山として貴重な存在と聞いたことがあります。

続く~。

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