阿曽原温泉小屋

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花盛り!

2020-05-13

写真

家の裏山に群生してました。

この時期は 「ヒメシャガ」 が、そこいらの山で花盛りです。

ここらの花は白っぽいの? 他では、青紫色とかイロイロな色の花が紹介されていますが・・・?

(元々、食べられない草には興味がない私なので・・・詳しい事は分かりません)

※家でCD・DVDで、ヨイ子にしております?

 シェイプ・オブ・マイ・ハート♪ Shape of My Heart

「スティング」が歌う、映画「レオン」のエンディングで流された曲ですが、映画共々ファンの方も多いのでは。

スムースジャズのトランペット奏者「クリス・ボッティ」の[ボストン・イン2008]Brディスクを手に入れたら、次々と豪華なゲストとのゴージャスなコラボ演奏が続きました。

終了間際に、「スティング」と「J・グローバン」の二人が素晴らしい喉で「シェイプ・・・」を歌って、クリスのトランペットとバックのアコースティックギター&オーケストラがイイ感じの存在感で・・・一度聞いてみてください。

(ちなみにBrディスクどこにやったのやら見当たらず・・・廃盤らしく中古でも結構な値段で取引されているみたいですがYouTubeで見れるからマァ良いんですけど!)

やっぱり神様の掌の上?Ⅲ(謙虚さが・・・)

2020-05-13

写真

写真左端から中央右ピークに降ってくる中背尾根(右端のギザギザが唐松)

続き。

25,000分の1の 地形図 と遠方からの観察する限りは、稜線伝いに1715mピーク手前まで登ってから右側の尾根を伝って下り出して、1384mピーク辺りから祖父谷の谷底まで下れそうなルートを見つけるしかなさそうです。

祖父谷沿いは、工事中の砂防堰堤の上流から険しい近いが続き秋までは水量も多く、沢屋さんが遡行した記録があるものの森林管理所職員や一般の測量業者さんが通う様な道が作れはしません。

当時は、崩壊箇所が地形図に反映されておらず、どの辺りから崩壊面が出て来るのか?当然崩壊面を使うのは現実的ではなく、尾根から斜面を下り始めると直下から等高線の間隔が狭くなり急斜面が予想されます。

急斜面の距離を、少しでも短くするために尾根を下りてから谷底に降りようとするとゴルジュ帯(両壁が切り立った岩壁)が待ち構えているようです。

尾根には登山道があったと言われますが、なんてったって標高からして黒部の一番濃い藪エリアなので、草刈りをしなければ数年で原始の山?になってしまいます。

実際、十数年前まで使われていた「阿曽原峠~仙人温泉」間を去年様子を見てきましたが、道が何処に会ったら知っている山小屋関係者がたまに利用して、更に「藪が伸び切る前」に行ったにも関わらず、どこに道があったのか分からない箇所もありました。

(今年は、仙人谷の残雪量が少ないはずだから絶対入ってはいけません!数年前に入り込んだ登山者が、藪斜面から仙人谷の谷底まで滑落して亡くなっておられます)

「それなのにそれなのに」あの頃の我々は、若く・体力・気力充実!生意気に妙な自信?に満ちていて「面白そうな仕事」ってお気楽な気持ちが何処かに有った様な。

まだまだ続く。

やっぱり神様の掌の上?Ⅱ

2020-05-12

写真

中央左側に白い三角が崩壊現場(深いでしょ)

前々ページの続き!

当時の砂防事業は、祖父谷は農林水産省(森林管理所)・祖母谷は国土交通省が担当して工事を進めていたのですが、祖父谷の工事を進めるのに堰止湖が決壊する恐れが無いか継続して調査する必要がある。(現在、祖母谷川全てが国土交通省の担当)

見に行くだけならばヘリコプターで上空から見られるけれど、形が変わっていないか?押し出されていないか?流路が出来て弱くなっていないか?等を調べるには現地に直接行かなければならないが・・・ヘリで着陸して調査するにしても、調査中に天候が崩れてヘリが迎えに行けなくなることも考えられる。

祖父谷を遡行するには、ゴルジュ帯が有って一般人にはとても遡れないし、当の中背尾根は終戦頃までは道はあったらしいが・・・濃い樹林帯と猛烈な藪で尾根を伝って近づいたとしても、尾根から祖父谷に降りるには藪が濃くてルートを見失わないか?更には谷に降りるには水流で削られた崖が続き簡単に登り返せるのか???(当時はGPSなんて無かったのです) 等の問題があって手が出せないでいたのです。

「登山道とまでは言わないから、取り合えず作業通路的なモノをあんたらで作ってもらえないかな?あんまり予算ないんだけど・・・」って、

私は平成7年8月の災害後に、登山道のパトロール兼草刈りで唐松岳~祖母谷線の登山道から見ており、その崩壊面の規模は知っていたしアプローチの山の険しさは想像しただけで・・・。

「でも誰かがやらなければ」って、出来そうな人間は思いつかないし・・・シャーないので、取り合えず葉っぱが伸びて視界が効かなくなる前の5月に「中背尾根」からのアプローチが出来るのか?ルートを付けられそうなのか?調査を引き受けたのでした。(こんなのを一手に引き受けていた、黒部のガイド高島石盛氏はH6年にヒマラヤで遭難して未帰還)

平成7年災害後から小屋が営業出来ていないのと石盛さんがいなくなったので、次々と山仕事を依頼されるようになり、当時はガイド見習いで合間に阿曽原を手伝ってくれていたS君(現在国際山岳ガイド!大先生?)・大仏の三人で向かうことにしたのです。

ちなみに、我々は前年に唐松岳~祖母谷温泉間の登山道の改修工事をシーズン後半まで掛けて終わらせたばかりでした。(その年は、下の廊下は大雪で開通せずに暇な年だったのです)

コースが長く山小屋に泊まる訳にも行かず、大黒鉱山跡にテント村を作って何日も泊まり込んで、手すり鎖・鉄はしご・階段・道標を大汗かいて設置して、風呂が無いので強烈な体臭と不快なヌルヌル感に苛まされながら・・・そういった意味では最低の仕事でした。

(全身から強烈な納豆臭させる人間に会った事ないでしょ?)

それが片付いて直ぐに、この話が・・・これって偶然??神様は俺たちに何をさせたいの???

写真は、左から白馬~白馬鑓~天狗~唐松~五竜を仙人峠から見たものですが中央左の山腹に白い崩壊地が見えるかと。(劔御前からも見えた記憶が・・・)

まだ続く!

僧ヶ岳の雪形!

2020-05-11

写真

魚津市西布施から見た雪形

立山連峰の最北端に位置する 僧ヶ岳(1,855m)、この時期に雪形が現れて、昔の人は田植え時期の目安にしていたとか。(頂上直下に、虚無僧・馬・鶏がいるらしいのですが・・・)

富山平野側から見える側の水は「布施川」「片貝川」に、裏側の水は黒部川に流れ込んでどちらも富山湾へ。

宇奈月コースから登ると、途中に大きな鉄製の索輪(滑車)みたいなものが放置されているのが見えます。

戦前、僧ヶ岳の奥の越中駒ヶ岳(2,002m)でモリブデンを採掘していた時の名残で、当時は牛が荷車を引いて行き来していたとのことなので牛が運んだものなのでしょうか?(古く広い道の痕跡が所々残っています)

高校時代は週5回登りに行ったり、階段を作りに行ったり草刈りに行ったり、少し前までは中学生の登山会の世話を、更には後輩が転落死したりと・・・なにかと濃い付き合いをしてきた山です。(オウム真理教、坂本弁護士一家殺害事件で奥さんの御遺体が埋められていた山でもあります)

来月になれば、シラネアオイ が沢山咲く等、標高の割には花が豊富で県外からも登山者が登りに来ています。

やっぱり神様の掌の上?

2020-05-11

写真

奥の白い稜線の左端が白馬鑓!(欅平上部より)

祖母谷川は、「祖母谷」と「祖父谷」が祖母谷温泉前で合流して欅平に流れ下っています。

二つの谷を分ける分水嶺になっているのが、「中背尾根」で白馬鑓から祖母谷温泉前まで下る長大な尾根です。

写真で見ると、左奥の白馬鑓から中央に下って伸びる大きな尾根が見えます。写真中央で緩い三角のピークになって広い斜面のように見えながら下って祖母谷温泉前まで伸びています。(手前右側から降る、奥鐘山から奥鐘橋まで下る目の前の松の木が濃い尾根に隠れてしまいますが・・・)

平成7年7月豪雨の話を何度かして来ましたが、その際に中背尾根の祖父谷側の山腹が標高差500m足らずの大崩壊が発生してしまいました。(小黒部谷~唐松岳に向けての活断層が水を含んで崩壊?)

大量の土砂は祖父谷を埋め尽くして「堰止湖」が出来てしまい、上流側にはダム湖?が出来上がってしまったのです。

翌年12月に同じように大雨被害を受けていた、新潟・長野県境の姫川の蒲原沢で、平成7年7月の大雨で山腹が崩壊していたところに雪融け水と降雨によって、大規模な土石流 が発生して14名の犠牲者が出てしまいました。(人間が決めた県境は有るけど白馬岳の周囲で同じ山域なのです)

当時、祖父谷下流では森林管理所が砂防堰堤を作っている最中でしたが、工事中に「堰止湖」が決壊して土石流が押し寄せると工事現場どころか欅平にも被害が及ぶのではないかと心配されていたのでした。

平成9年の春先だったと思うのですが、富山森林管理所に用事で行ったらY係長から「ちょっといいです?」って申し訳なさそうに???声を掛けられて・・・。

続く!

献上品?的な!

2020-05-10

写真

カッターの大きさと比べれた「太さ」が分かるかと。

小屋の周りを見て廻っていたら、「コゴミぜんまい」がポツポツと。

立派な献上品クラス?の獲り頃のコゴミを見つけました。 これ以上大きくなると・茎が外に広がる・先端の巻き込みが無くなりる・葉が開いて・色が薄くなって・茶色のゴミみたいなのが取れてなくなる・・・そうなると食べれれません。(茎をつまむと硬いのが判るのですが)

アッサリした山菜で、歯ごたえも良くアク抜きせずになんにでも使えるので便利なのです。立山町芦峅寺では、湯がいてからゼンマイのように乾かして保存して、郷土料理の「ツボ」を作るときには欠かせない食材となります。

昔、山奥の調査中に見付けた「コゴミ」は驚くほど大きく太くて・・・「ジュラ紀の草食竜がくわえている!」みたいなやつとまではゆきませんが、かなりデカいのをを見つけたことが有ります。

ただし、相変わらずのハラハラ・ドキドキ・ヒーヒーの帰還となったのですが・・・次回から、その話を少し書いてゆこうかと。

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