中央左側に白い三角が崩壊現場(深いでしょ)
前々ページの続き!
当時の砂防事業は、祖父谷は農林水産省(森林管理所)・祖母谷は国土交通省が担当して工事を進めていたのですが、祖父谷の工事を進めるのに堰止湖が決壊する恐れが無いか継続して調査する必要がある。(現在、祖母谷川全てが国土交通省の担当)
見に行くだけならばヘリコプターで上空から見られるけれど、形が変わっていないか?押し出されていないか?流路が出来て弱くなっていないか?等を調べるには現地に直接行かなければならないが・・・ヘリで着陸して調査するにしても、調査中に天候が崩れてヘリが迎えに行けなくなることも考えられる。
祖父谷を遡行するには、ゴルジュ帯が有って一般人にはとても遡れないし、当の中背尾根は終戦頃までは道はあったらしいが・・・濃い樹林帯と猛烈な藪で尾根を伝って近づいたとしても、尾根から祖父谷に降りるには藪が濃くてルートを見失わないか?更には谷に降りるには水流で削られた崖が続き簡単に登り返せるのか???(当時はGPSなんて無かったのです)
等の問題があって手が出せないでいたのです。
「登山道とまでは言わないから、取り合えず作業通路的なモノをあんたらで作ってもらえないかな?あんまり予算ないんだけど・・・」って、
私は平成7年8月の災害後に、登山道のパトロール兼草刈りで唐松岳~祖母谷線の登山道から見ており、その崩壊面の規模は知っていたしアプローチの山の険しさは想像しただけで・・・。
「でも誰かがやらなければ」って、出来そうな人間は思いつかないし・・・シャーないので、取り合えず葉っぱが伸びて視界が効かなくなる前の5月に「中背尾根」からのアプローチが出来るのか?ルートを付けられそうなのか?調査を引き受けたのでした。(こんなのを一手に引き受けていた、黒部のガイド高島石盛氏はH6年にヒマラヤで遭難して未帰還)
平成7年災害後から小屋が営業出来ていないのと石盛さんがいなくなったので、次々と山仕事を依頼されるようになり、当時はガイド見習いで合間に阿曽原を手伝ってくれていたS君(現在国際山岳ガイド!大先生?)・大仏の三人で向かうことにしたのです。
ちなみに、我々は前年に唐松岳~祖母谷温泉間の登山道の改修工事をシーズン後半まで掛けて終わらせたばかりでした。(その年は、下の廊下は大雪で開通せずに暇な年だったのです)
コースが長く山小屋に泊まる訳にも行かず、大黒鉱山跡にテント村を作って何日も泊まり込んで、手すり鎖・鉄はしご・階段・道標を大汗かいて設置して、風呂が無いので強烈な体臭と不快なヌルヌル感に苛まされながら・・・そういった意味では最低の仕事でした。
(全身から強烈な納豆臭させる人間に会った事ないでしょ?)
それが片付いて直ぐに、この話が・・・これって偶然??神様は俺たちに何をさせたいの???
写真は、左から白馬~白馬鑓~天狗~唐松~五竜を仙人峠から見たものですが中央左の山腹に白い崩壊地が見えるかと。(劔御前からも見えた記憶が・・・)
まだ続く!