阿曽原温泉小屋

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清水岳の話しⅡ

2018-08-28

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当初は、雲(ガス)が降りて視界が利かず・・(右側台形が清水岳)

前ページの続き。

ヘリで全員搬送されたところで、猫又山経由で清水岳に向けてラッセル開始です。

その頃には白馬岳越えの隊員の無線機が壊れて送信が出来ない事が判明していたのですが、二人は荷物を軽くするため雪洞泊しながら吹雪の中を行動しているので消耗もしているだろうし、大学生の方も救助要請から日数が経っていて早く向かわねばと気合を入れての行動でした。

上部に向うにつれてガスが濃くなり、視界が無くなり目標が定まらずガスと雪面との境目・傾斜・方向も分からなくなり・・・絵に描いたような?ホワイトアウト状態

取り合えず私一人で、先頭を空身でラッセルして慎重に登っていたのですが 猫又山 を過ぎて尾根が細くなり始めた2400m過ぎた辺りで・・・音がした様な?風が吹いた様な?感覚と共に???

身体が傾き踏ん張りが効かず~視界が効かず暗くなり~全身が押さえつけられるような???

私は雪庇を踏み抜いて、進行方向左側の柳又谷方向に雪崩れと共に転落していったのでした。

幸いな事に40~50m位流された所で止まって、身体の上に被った雪は手足をバタつかせて暴れながら流されたのが良かったのか?デブリから這い出して無傷で登り返すことが出来たのでした。(流されながら不思議と冷静で、このままではヤバイとは思わなかったのは鈍感だから?)

清水岳まで近いのは解っているのですが、この先の尾根は細くなりそうだし~天候は回復が見込めないし~ガスも高度と共に濃くなって来るし~これ以上の行動は危険だよなぁ~・・・突っ込んで行って大学生と合流出来ても、救助隊二名と合流出来るのか???

幸い清水岳に向かっている二名の救助隊員も、救助要請している大学生達も切迫した状態では無いとの連絡が入ります。

明日から天候の回復が見込めるので無理な行動はせずに、雪庇崩壊跡の3m余の破断面に「もう落ちないだろう」と横穴を掘り、翌日に学生達が増えても収容できるように長く広めの雪洞を作って明日に備えました。(大きなアリの巣?)

翌日も停滞~翌々日に天候が回復傾向となり前進して清水岳の頂上で無事全員集合(我々が15分遅れでした)~我々が登って来たルートを下山~昨日作った雪洞で全員ビバーク~学生達はかなり消耗していて自力下山は無理との判断~翌日ヘリコプターで黒部市民病院に下山で一件落着!

(翌朝は黒部源流の、さらに奥「槍ヶ岳」まで見える快晴でした)

下山してから「決死の救出劇」として、我々救助者と遭難者代表の記者会見が開かれたのですが・・・悪気は無かったはずですが、救助を待つ間に「メンバーの誕生会で、お汁粉パーティ」をしていたとの発言に、怪我らしい怪我もしていないのに!救助隊が命懸けで行動して!遭難者に食べさせようと食料も節約して向っていたのに!「お汁粉パーティ」とは!!!

今で言う救急車のタクシー利用とまでは言いませんが、社会を騒がせた大事件になってしまった上に、救助活動の大変さへの配慮が足りなかった発言???学生達はえらくバッシングを受けてしまったのでした。(そんなに大きな問題になっているとは思ってなかったんだろうな~)

「自分達の限界!」と判断しての救助要請は正解だったのですが、計画・行動・実力等々の準備は慎重にってことかと・・・はからずも、「救助要請のあり方」について一石を投じることになったのでした。

今は当時と違い「GPS普及」「長期予報・ピンポイント予報」「装備の軽量化」等々便利になりましたが、そもそも厳冬期の入山者が減少傾向なので経験の継承って意味では・・・(これ話し出すと長くなるので)

にしても、苦労して救助した人が世の中で活躍しているのを知ることが出来て、縁を感じるというか・・なんか嬉しーくなってしまったのでした。

  動物話の続き。

清水岳では、平成7年7月にパトロールで大仏達がヘリコプターで下されて、私達は唐松線のパトロールに向かうべく離陸して、振り返って大仏チームを見たら、なんと大仏達が居る斜面の直下で二頭の熊がヘリコプターの爆音に怯えて藪を右往左往しているのが見えて・・・、慌てて大仏に無線で伝えようとしてもエンジン音でなかなか伝わらず冷や汗をかいたことが有ります。 

私が若い頃は白馬線の草刈りにも出ていたのですが、清水岳頂上辺りのハイ松帯で、大きな狐が飛び跳ねているのを目撃したことも有ります。

動物達には、棲みやすい山なのかも???

清水岳の話し!

2018-08-27

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自宅から見た、清水岳~白馬岳!(右端の台形の山が清水岳)

動物話しを一つ???

大仏が、白馬岳~祖母谷線の草刈り中に清水岳頂上付近で日本鹿が跳ねているのを、先にお知らせしました。

数年前に、北アルプス山小屋協会総会が松本市で開催された時に、とある県のニホンシカ対策の職員に講演してもらいました。

元々富山県には生息していなかった動物ですが、数年前からイノシシに続いて県内に入り込んで来て、剣沢雪渓で死体が見つかったり、祖母谷で赤外線カメラに映ったりしていて「増え始めると大変!」危機感を持って講演を聞いていました。

講演が始まり自己紹介で「実は私、若い頃に北アルプスで遭難して山岳警備隊や山岳関係者に大変お世話になった経験が有ります」との事???

1990年正月でしたが私が山岳警備隊員当時出動した遭難で、正月登山に欅平~祖母谷温泉~不帰岳~清水岳~白馬岳を目指した大学山岳部員7名が吹雪に閉じ込められて救助要請が入る遭難救助がありましました。(年末からの荒天が続き、同時に剱岳周辺でも救助要請が入って合計4件15名が行動不能に)

当初は管轄の黒部署と応援で上市署員とガイドの総勢4名で、アプローチが近い白馬の栂池高原から白馬岳頂上経由で救助に向かったのですが、隊員1名が白馬の頂上手前で「肺水腫」 の症状が出てしまい一刻も早く下山させねば危険との判断で、隊員1名が付き添い栂池に下山することに。

しかし「清水岳で待っている要救助者をそのままにしておけない」との現場の判断で、残りの二人は厳冬期の白馬岳頂上越えで清水岳に向かうという普通では考えられない救助体制となりましたが、更に当時はGPSなど開発されてなかったので、天候が悪く視界の効かない雪山を歩くのは大きなリスクがあったのですが・・・。

私は隣の入善署勤務でしたが、もう一名の隊員と召集を受けて~長野県警の警備隊員2名の応援を受け~栂池スキー場までパジェロパトカーで雪道を栂池に向かい~夕暮れで暗くなった栂池自然園から白馬岳に向けて夜間ラッセルで登り~あっち側寸前の隊員と合流して~深夜に栂池スキー場まで連れ戻したのでした。

翌日、今度は白馬岳越えで救助に向かった隊員達と無線連絡が取れなくなり???

救助要請が入るほどの悪天候の中、軽量化でテントを持たず二人だけで現場に突っ込んだ警備隊員とガイドの身に何かあったのではと大騒ぎに。

しばらくは天候回復が見込めず、新たに清水岳まで下界から歩いて向かっては食料・燃料切れの遭難者は持たないかもしれず、剱岳方面の救助要請も重なり限られた隊員での救助方針も決めかねていたのですが・・・

私達はヘリコプターで 突坂尾根 の出来るだけ高い所まで運んでもらい、清水岳に救助に向かう班が編成され向かうことに。

清水岳はおろか手前の 猫又山 もガスの中だったのですが・・・最初に私一人がヘリで行けるところまで運ばれて~雪を踏んでヘリポートを作って~ガスの中でも解るようにと発煙筒を大量に渡されたのですが・・・

雲?霧?雪??ギリギリの視界の中を尾根にアプローチしますが、フカフカの新雪はダウンウォッシュ(ヘリの風圧)で舞い上がり雪煙で視界が利かず着陸どころではありません。

仕方ないので2mほどの高さから飛び降りる事に(標高2000m前後だったような?)、ヘリがホバーリングしてくれて~私はドアを開けてザックを放り投げて~続いて自分も飛び降りたのですが・・・フカフカの雪面に脇腹まで突き刺さり埋まってしまい身動きが取れなくなってしまいます。

しかし次のヘリが来るまでに少しでも雪を踏み固めて、こちらが解かる様にしておく必要があります。

必死に雪の中から這い出して、傾斜の緩くなった斜面を踏み固めようとするのですがカンジキを履いてヘリには乗れないのでツボ足で動き回ります。

雪が柔らかすぎて効率が悪いので寝転がって雪を押えていると、「ドッドッドッ」次便のヘリの音がガスの向こう下方から聞こえてガスの切れ間を見え隠れしながら近付いてきます。

慌てて赤ペンキで雪面にマーキングして、発煙筒を振り回して位置を知らせるとヘリコプターは霧ががマダラに立ち込める中をギリギリ飛んで来てくれたのでした。

(発煙筒は、煙だけではなく火花も盛大に飛び散るので、支給されたばかりのヤッケが穴だらけに・・・涙)

次回に続く!

速報! 「下の廊下情報」

2018-08-27

天候待ちで遅れていた、黒部ダム~黒部別山谷間工区の資材搬送ヘリコプターが無事フライトしたと、先ほど現場の大仏から連絡が入りました。

あとは人力での、丸太桟道・梯子の修復と設置、道に堆積した土砂や岩を取り除く作業ですが、明日から秋雨前線が停滞しそうで思うように作業が進められるか・・・。

黒部別山谷~仙人谷ダム間の進捗については、遅れ気味ですので全線開通については今後の情報をお待ちください!

もしもし、熊はいますか? あったりまえです!!!

2018-08-27

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百均のオモチャのピストル! 単独の常連さんが置いて行ってくれました。

先日も、小屋に掛かってくる「珍問」について書いてみました。

熊については、残飯・空き缶等、熊を呼び寄せる臭いの出るものはキチンと処理しているので、ほとんど気配はありません。 今までシーズン中に気配が有ったのは、山の食べ物(ブナの実・ドングリ等)が不作の年に近くに来ていた痕跡が有りましたが、人の気配の濃い時期に小屋の周りに出て来ることは「阿曽原」ではありません。(不作の年に、朝食前に客室の外の立木に小熊が登っていたことが一度ありましたが、お客さんが騒いだら逃げて行った事が)

15年位前に、シーズン前の小屋の内装工事中に窓から黒部川を見下ろしたら大きな熊が河原を歩いていました。 みんなで、動きを見ていたら薮に入って雪渓の残る阿曽原谷に入ってゆきました。(本流沿いの雑木がワサワサと大きく動いていたので、それだけでも熊の大きさが想像出来るかと)

皆でキャンプ場の端まで行って、雪渓を覗いていると本谷と支谷の間のブリッジの割れ目から奴がノソノソと姿を現しました。(直線距離なら20m足らず?)剣道の心得のある大仏は、振り返ってキャンプ場に置いてあった鉄製の単管パイプを取りに走りましたが、熊はこちらを一瞥して慌てた素振りも見せず同じペースでガサゴソと藪の中へ・・・ってことがありました。 

去年だったか?東北で山菜取りの女性が熊に襲われる事件が有りましたが、今のところ黒部ではクマに襲われるようなことはありません。

冬眠前に餌が少ない時・春先に冬眠明けで小熊を連れた母熊等は、危険と言われていますが登山シーズン中はどちらも外れているので、それほど心配しなくても良いのではないかと? 何度も、目撃していますが(仙人谷下部の橋を挟んでお見合いしたり)私に気づいてくれると回れ右をしてくれています。

ただし、生息域なのですから出くわさない様に人間の気配を熊が解るように配意するのが大切なのではないかと、ラジオ・熊スズを鳴らしたり話をしながら歩く様に言われているのはその為ですが、気を付けなければならないのが沢筋・川沿いだと、ハンターの話しや経験則から感じているところです。

どちらも、流れの音が他の音をかき消す! 風が吹き抜けている事が多く人間の臭いが熊に伝わらない!事がその理由です。(熊もニホンカモシカも目が悪いらしい)

※写真は、阿曽原に先日来てくれた単独登山者からの置き土産です。  阿曽原には、15・6回ほど来ているそうで、小屋の前に現われた時には「オウ!見たこと有る顔だね」って思わず声を掛けたら、「去年も来たけど、イズミさんは留守で別山谷で大仏さんに会った」とのことでした。

何時も一人なので、オモチャのピストルだけど熊が居そうな所に行くときには鳴らしながら歩いているとのこと。 この先、親御さんの介護の為に山口県に引っ越すことになりそうで山登りから遠ざかりそうとの事で、「ピストルは置いて行きます。」って置いて行ってくれました。(ピストルの音が熊に効くのか?試していませんが音が大きければ効果はあるかもしれません? 所持して歩く方は自己責任で) 

単独で歩かれる方は、準備と心構えが大切だな~って再認識させられました! (そのうち、単独登山者についての私見を書いてみます)

ちなみに数日前に電話が、「欅平の水平道に出た所だけど、サルの群れが居て進めません。どうしましょう?」って言われても・・・俺にどうしろと???

「餌を求めて山を移動しているんだから、その辺に食べるものが無くなれば移動してゆくはずだから、刺激せずにそのまま離れた所で移動してゆくのを待って下さい」

って教えたところです。 奴らは、その人間が弱いとみれば平気で脅して来ます。 そのうち、サル話も書いてみます。

台風被害なし!

2018-08-26

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阿曽原谷のスノーブリッジも剥がれ落ちて。

お陰様で、台風による小屋の被害は有りませんでした。

水平歩道も影響無しです。折尾谷から20分阿曽原より地点の登山道欠落箇所は、丸太桟道の補修が終わりましたので迂廻路は使わずに通行できます。

仙人温泉源泉下の雪渓は、しばらくは下流側を迂回して飛び石で渡る事になります。架橋すろポイントの残雪が解けたら、丸太橋を作りに行こうかと考えています。

※台風ネタそのⅡ

前回、昭和57年8月の台風話を少し書きました。 私が直接体感した中では、ダントツの凄まじさの台風だったので紹介しようかと。(天候が悪くて、全員キャンセルになったので暇にまかせて書いてます。ある意味台風被害?)

8月1日、伊勢湾に上陸した猛烈な勢力の台風はそのまま北上して、夜には富山に直撃の予報が。午後には雲は低くく厚く垂れ込めて、長次郎雪渓への出動の際に平蔵谷を見上げたら、コルには今まで見たことの無い「青紫」に光る重そうな雲と、不気味に差し込む光が・・・。救助を終えて剣沢に帰った5時頃には、まだ明るい時間の筈なのに暗くなり生暖かい風が吹き荒れ始めて。 キャンパーには、台風の深刻さをメガホンで広報して撤収と避難を呼びかけて回りました。

夕食を終えた8時頃、玄関引戸を叩き助けを求める声がして、テントを撤収せずに頑張っていたけど耐えられずに逃げ出して来たとの事でした。派出所は、コンクリート造りで周りは石垣で囲まれそれほどの風が吹いていたのを知らずにいたのですが、私が外へ出た途端にフワッと身体が浮き上がり2mほど飛ばされて、柔道の前方回転受け身崩れ?で着地してから地べたに這い蹲って暴風に耐えていると、目の前で人間一人では動かせないテーブル・ベンチセットが横転して、間髪を置かずに玄関横の発電機室のトタンが吹き飛ばされて、ディーゼルエンジンの発電機が目の前に転がって来て・・・、風の弱まった隙に玄関に逃げ帰ったのでした。

電気が消えた派出所に、当時の旧剣沢小屋から連絡が。 「怪我人が二人出たので来てくれ」とのこと、地べたに這い蹲って風の弱まるタイミングで前に進みながら旧剣沢小屋に到着。食堂に入ると、宿泊客全員が登山靴・雨具・ヘッドライトを着用して壁を背にグルリと座っていて、その中央の床に男性が二名横たえられていました。二人とも意識は無く頭部からかなり出血しており、ビクン・ビクンと全身を痙攣させて唸っている状態で、一刻を争うのは一目瞭然でした。二人は、テントを撤去して当時の剣沢小屋横に建っていたプレハブの売店に逃げ込んでいて、その売店が風で吹き飛ばされて落下した際に負傷したとのことでした。

止血処理は施したものの、増々吹き荒れる暴風に搬送など出来る訳も無く、ただただ暴れる怪我人を押えて台風が通過してくれるのを待つことに。そうこうしていると「玄関が破られると、小屋が吹き飛ばされる!」との事で、従業員達と両開きの大きな玄関引き戸を角材で突っ張りを入れて、みんなで角材の上に乗ったり押えたりしながら徹夜で頑張りました。 明るくなり掛けた頃から風も弱まり、怪我人を交代で背負い室堂まで運んで救急車に引き継いだのでした。

行きも帰りも目に入って来る光景は信じられないものばかり。水場からの黒ホースは雪渓の上に這わせて、それなりの重さも有り風を受ける面積も少ない筈なのに転がって斜面の高い所にあったり、重い鉄製の水場のマンホールの蓋も無くなっていたり等々・・・。

その日の午後に、先のページで触れた黒部川での大量遭難の情報が入り、大混乱の夏山警備の始まりとなったのでした。

自分の身を守るためには、正確な台風情報を仕入れて、普段とは違う光・雲・風等には特に注意を払って早めの対処が肝要かと!

(猛烈な低気圧の接近前には、普段は警戒心が強くて釣れることのない「大岩魚」が連れる事が有るそうです)

台風通過中!

2018-08-24

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三号室の窓の外の立木はなびいて。

24日9時現在、強めの南風が吹いていますが雨も降らずに、このまま通過して行ってくれそうです。

朝暗いうちから、玄関屋根の波トタンを補強したり、風呂桶を片付けたりしていました。このコースの台風ならば、通過後の寄り戻しの風も心配ないかな~と・・・。(小屋の立っている場所は、南風には強い立地ですが寄り戻しの北風には弱いのです)

気温の高い風が吹き抜けると、融雪のペースが上がります。下の廊下・仙人谷ともに、状態が激変しているのではないかと予想されます。

※台風ネタ

古い話しですが、17・8年位前の10月中旬の週末の午後遅くに台風直撃の予報が。 予約だけで80人オーバーの大忙しの日でしたが、当然全員キャンセルと思っていたら、早く着く自信があったのか、黒部ダムから1パーティだけ入って来て。 よりにもよって、その内1名が半月沢上流15分の地点で転落したとの連絡がはいりました。

小屋の男性スタッフに全員出動してもらい、転落現場に到着したのが午後5時頃で薄暗くなっており、台風の中心が近づいて風は増々強く成って山中の樹木を揺らし枝葉を斜面に打ち付け出していました。

発生時に、現場を確認してきたリーダーによれば、転落者は生存しており付き添いに一人付いているとの事。 

頭を過ぎったのが昭和57年8月、台風直撃時に黒部下の廊下の鳴沢出合の岩屋でビバークしていた7名パーティが、増水した黒部川に飲み込まれて行方不明になり、4名は黒部川河口近くで発見され他3名は日本海まで流されたのか未だ行方不明の遭難事故でした。

「大雨が降って、増水すれば遭難者も付添者も流されかねない」、時間との勝負と腹を決めて、暗く強風の中を現場までザイルで下降してゆきました。(私より技術・体力が優れた若い衆はいたけれど、スタッフに危険な作業をさせる訳にはゆきませんでした)

峡谷内では、アッチコッチで「バーン!」「ドーン!」と強風にあおられた斜面から発生する落石の音と突風が、身体を揺らして・・・。 「バサッ!」直ぐ頭上で音がした途端に、ヘルメットをかすめて落石が2つ位落下してゆきました。奥歯を噛み締めて恐怖をこらえながら、丁度ザイル2本分の80メートルで川底に到着。 川底はU字型の形状で岩盤がツルツルに磨かれ、流れに向かって緩い傾斜になっており、意識の無い遭難者が横たわって痛みで動く度に傾斜で流れに近付くのを、付添者の20代半ばの小柄な女性が引き留めているところでした。(後の阿曽原スタッフ、「ナニワのおかん!」です。現場に降りれたけど、登り返す技術・腕力が無い事が判明して、付添にサポート隊員を付ける羽目に・・・)

一緒に平らな所まで遭難者を引きずって、直ぐに引き上げようにも80メートル上まで引き上げるには人員が足らず、立山室堂から救助に向かっている山岳警備隊の到着を、真っ暗で激流の音が不気味な川床で増水に怯えながら待ちました。

待つこと数時間、山岳警備隊が到着して引き上げに掛かり、藪に身体が引っかかり動けなくなり大仏に助けてもらったり・肋骨が折れて肺に刺さっていたらしく背負われて胸が私の背中に当ると、無意識に離そうと私のヘッドライト付のヘルメットを押して視界が無くなったりと・・・増々強くなる風の中を苦労しながら途中まで来たところで、急に風が弱まって???星空まで見え出しました。(助かった!って確信しました)

日電歩道に出てからも、背負われながら無意識に痛みで暴れる遭難者にフラ付き道から落ちそうになりながら仙人谷ダムまで搬送して1件落着と思いきや、深夜1時頃小屋に帰ると台風の寄り戻しの風で屋根が浮き上がり、小屋の中は砂と枯葉でザラザラでした。(まだまだエピソードを書き切れませんせんが、続きは暇な時の小屋に来て頂ければお話しします) 

運の強い人は、80メートル転落しても!台風直撃中でも台風の目に入ったり! 助かる人は助かるんだな~って・・・、でも、そもそも転落しないように歩いて下さいませ。

台風直撃中の救助活動は、助ける方にしてみれば命が幾つ有っても足りませんので!

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