清水岳の話し!
2018-08-27

自宅から見た、清水岳~白馬岳!(右端の台形の山が清水岳)
動物話しを一つ???
大仏が、白馬岳~祖母谷線の草刈り中に清水岳頂上付近で日本鹿が跳ねているのを、先にお知らせしました。
数年前に、北アルプス山小屋協会総会が松本市で開催された時に、とある県のニホンシカ対策の職員に講演してもらいました。
元々富山県には生息していなかった動物ですが、数年前からイノシシに続いて県内に入り込んで来て、剣沢雪渓で死体が見つかったり、祖母谷で赤外線カメラに映ったりしていて「増え始めると大変!」危機感を持って講演を聞いていました。
講演が始まり自己紹介で「実は私、若い頃に北アルプスで遭難して山岳警備隊や山岳関係者に大変お世話になった経験が有ります」との事???
1990年正月でしたが私が山岳警備隊員当時出動した遭難で、正月登山に欅平~祖母谷温泉~不帰岳~清水岳~白馬岳を目指した大学山岳部員7名が吹雪に閉じ込められて救助要請が入る遭難救助がありましました。(年末からの荒天が続き、同時に剱岳周辺でも救助要請が入って合計4件15名が行動不能に)
当初は管轄の黒部署と応援で上市署員とガイドの総勢4名で、アプローチが近い白馬の栂池高原から白馬岳頂上経由で救助に向かったのですが、隊員1名が白馬の頂上手前で「肺水腫」 の症状が出てしまい一刻も早く下山させねば危険との判断で、隊員1名が付き添い栂池に下山することに。
しかし「清水岳で待っている要救助者をそのままにしておけない」との現場の判断で、残りの二人は厳冬期の白馬岳頂上越えで清水岳に向かうという普通では考えられない救助体制となりましたが、更に当時はGPSなど開発されてなかったので、天候が悪く視界の効かない雪山を歩くのは大きなリスクがあったのですが・・・。
私は隣の入善署勤務でしたが、もう一名の隊員と召集を受けて~長野県警の警備隊員2名の応援を受け~栂池スキー場までパジェロパトカーで雪道を栂池に向かい~夕暮れで暗くなった栂池自然園から白馬岳に向けて夜間ラッセルで登り~あっち側寸前の隊員と合流して~深夜に栂池スキー場まで連れ戻したのでした。
翌日、今度は白馬岳越えで救助に向かった隊員達と無線連絡が取れなくなり???
救助要請が入るほどの悪天候の中、軽量化でテントを持たず二人だけで現場に突っ込んだ警備隊員とガイドの身に何かあったのではと大騒ぎに。
しばらくは天候回復が見込めず、新たに清水岳まで下界から歩いて向かっては食料・燃料切れの遭難者は持たないかもしれず、剱岳方面の救助要請も重なり限られた隊員での救助方針も決めかねていたのですが・・・
私達はヘリコプターで 突坂尾根 の出来るだけ高い所まで運んでもらい、清水岳に救助に向かう班が編成され向かうことに。
清水岳はおろか手前の 猫又山 もガスの中だったのですが・・・最初に私一人がヘリで行けるところまで運ばれて~雪を踏んでヘリポートを作って~ガスの中でも解るようにと発煙筒を大量に渡されたのですが・・・
雲?霧?雪??ギリギリの視界の中を尾根にアプローチしますが、フカフカの新雪はダウンウォッシュ(ヘリの風圧)で舞い上がり雪煙で視界が利かず着陸どころではありません。
仕方ないので2mほどの高さから飛び降りる事に(標高2000m前後だったような?)、ヘリがホバーリングしてくれて~私はドアを開けてザックを放り投げて~続いて自分も飛び降りたのですが・・・フカフカの雪面に脇腹まで突き刺さり埋まってしまい身動きが取れなくなってしまいます。
しかし次のヘリが来るまでに少しでも雪を踏み固めて、こちらが解かる様にしておく必要があります。
必死に雪の中から這い出して、傾斜の緩くなった斜面を踏み固めようとするのですがカンジキを履いてヘリには乗れないのでツボ足で動き回ります。
雪が柔らかすぎて効率が悪いので寝転がって雪を押えていると、「ドッドッドッ」次便のヘリの音がガスの向こう下方から聞こえてガスの切れ間を見え隠れしながら近付いてきます。
慌てて赤ペンキで雪面にマーキングして、発煙筒を振り回して位置を知らせるとヘリコプターは霧ががマダラに立ち込める中をギリギリ飛んで来てくれたのでした。
(発煙筒は、煙だけではなく火花も盛大に飛び散るので、支給されたばかりのヤッケが穴だらけに・・・涙)
次回に続く!
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