阿曽原温泉小屋

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台風被害なし!

2018-08-26

写真

阿曽原谷のスノーブリッジも剥がれ落ちて。

お陰様で、台風による小屋の被害は有りませんでした。

水平歩道も影響無しです。折尾谷から20分阿曽原より地点の登山道欠落箇所は、丸太桟道の補修が終わりましたので迂廻路は使わずに通行できます。

仙人温泉源泉下の雪渓は、しばらくは下流側を迂回して飛び石で渡る事になります。架橋すろポイントの残雪が解けたら、丸太橋を作りに行こうかと考えています。

※台風ネタそのⅡ

前回、昭和57年8月の台風話を少し書きました。 私が直接体感した中では、ダントツの凄まじさの台風だったので紹介しようかと。(天候が悪くて、全員キャンセルになったので暇にまかせて書いてます。ある意味台風被害?)

8月1日、伊勢湾に上陸した猛烈な勢力の台風はそのまま北上して、夜には富山に直撃の予報が。午後には雲は低くく厚く垂れ込めて、長次郎雪渓への出動の際に平蔵谷を見上げたら、コルには今まで見たことの無い「青紫」に光る重そうな雲と、不気味に差し込む光が・・・。救助を終えて剣沢に帰った5時頃には、まだ明るい時間の筈なのに暗くなり生暖かい風が吹き荒れ始めて。 キャンパーには、台風の深刻さをメガホンで広報して撤収と避難を呼びかけて回りました。

夕食を終えた8時頃、玄関引戸を叩き助けを求める声がして、テントを撤収せずに頑張っていたけど耐えられずに逃げ出して来たとの事でした。派出所は、コンクリート造りで周りは石垣で囲まれそれほどの風が吹いていたのを知らずにいたのですが、私が外へ出た途端にフワッと身体が浮き上がり2mほど飛ばされて、柔道の前方回転受け身崩れ?で着地してから地べたに這い蹲って暴風に耐えていると、目の前で人間一人では動かせないテーブル・ベンチセットが横転して、間髪を置かずに玄関横の発電機室のトタンが吹き飛ばされて、ディーゼルエンジンの発電機が目の前に転がって来て・・・、風の弱まった隙に玄関に逃げ帰ったのでした。

電気が消えた派出所に、当時の旧剣沢小屋から連絡が。 「怪我人が二人出たので来てくれ」とのこと、地べたに這い蹲って風の弱まるタイミングで前に進みながら旧剣沢小屋に到着。食堂に入ると、宿泊客全員が登山靴・雨具・ヘッドライトを着用して壁を背にグルリと座っていて、その中央の床に男性が二名横たえられていました。二人とも意識は無く頭部からかなり出血しており、ビクン・ビクンと全身を痙攣させて唸っている状態で、一刻を争うのは一目瞭然でした。二人は、テントを撤去して当時の剣沢小屋横に建っていたプレハブの売店に逃げ込んでいて、その売店が風で吹き飛ばされて落下した際に負傷したとのことでした。

止血処理は施したものの、増々吹き荒れる暴風に搬送など出来る訳も無く、ただただ暴れる怪我人を押えて台風が通過してくれるのを待つことに。そうこうしていると「玄関が破られると、小屋が吹き飛ばされる!」との事で、従業員達と両開きの大きな玄関引き戸を角材で突っ張りを入れて、みんなで角材の上に乗ったり押えたりしながら徹夜で頑張りました。 明るくなり掛けた頃から風も弱まり、怪我人を交代で背負い室堂まで運んで救急車に引き継いだのでした。

行きも帰りも目に入って来る光景は信じられないものばかり。水場からの黒ホースは雪渓の上に這わせて、それなりの重さも有り風を受ける面積も少ない筈なのに転がって斜面の高い所にあったり、重い鉄製の水場のマンホールの蓋も無くなっていたり等々・・・。

その日の午後に、先のページで触れた黒部川での大量遭難の情報が入り、大混乱の夏山警備の始まりとなったのでした。

自分の身を守るためには、正確な台風情報を仕入れて、普段とは違う光・雲・風等には特に注意を払って早めの対処が肝要かと!

(猛烈な低気圧の接近前には、普段は警戒心が強くて釣れることのない「大岩魚」が連れる事が有るそうです)

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