阿曽原温泉小屋

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俺の愛車??

2018-08-29

写真

愛用の草刈り機です!

今年は、夏の猛暑が続いている間は成りを潜めていた雑草たちが、最近の雨で息を吹き返して一斉に伸び始めました。

小屋の周りや露天風呂までの道も、キレイにしてあったのですが足元が見え辛くなって・・・。

天気が悪くてキャンセルが出て、お客さんが居ないし雨が上がった午後から頑張っていました。

すると、欅平からテントを担いだ登山者が一人来られて、「翌朝早出したいので、テントの撤収に時間が掛かるから小屋に泊めて下さい」との事です。(翌朝4時には姿が有りませんでした)

あわてて夕飯を作って、少しお話したら埼玉県の方で

「朝早い北陸新幹線に乗ったら、10時過ぎのトロッコ列車に乗れて阿曽原まで来れました」

とのことで、便利になったと仰っていました。

脚の強い方なら出来るようになったのです。

以前から会合等で提案しているのですが、立山・黒部に来られるお客さんには「黒部宇奈月温泉駅」で降りて頂いた方がどちらもアクセスが良くて便利なはずなのです。

「はくたか」しか停まらない駅だけど、山のシーズン中だけは東京発の始発の「かがやき」を「黒部宇奈月温泉駅」に停まるようにして、立山室堂には直行バスを用意して近くにある黒部インターから向った方が富山駅からよりもスムーズで安く行けるのでは?(黒部駅は空いていてバス乗り場も近い・富山でバスに乗り換えると市内の混雑に・電車に乗り換えれば高い運賃と遅い列車)

黒部峡谷には、隣接する富山地方鉄道を利用すればもっと早くトロッコに乗れるのに!

って、言っているのですが・・・JRのお偉いさん、読んでくれないかな~。

もしもし、サルはいますか? あったりまえです!

2018-08-29

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キャンプ場に現れた、サルの群れ!

ニホンザルは、欅平~阿曽原間には複数の群れが居ると何かの資料で見たことが有ります。

実際に、阿曽原に現れる群れは確実に2グループは確認できています。 数年前までは、片方の群れに白っぽい色のメスザルが居たので判別し易かったのですが、今は見分けがつきませんけど。

その群れは、人間が近くに来ても適当な距離を置くだけでしたが、別の群れは人間が近づくと威嚇して来ました。

写真は2日前の雨の晴れ間に出てきた群れです。出て来るしばらく前から「ギャーギャー」と、鳴き声が聞こえ出して気が付くとキャンプ場で草の種等を食べていたようです。

シーズン中何度か出てきますが、ずっとそこに居ても餌が有る訳では無いので山の中を巡回して餌をあさっています。 若い雄サルは、群れには入れてもらえないので一匹で現れます。

先にも書きましたが、出くわしたら少し間を置いて通り過ぎてゆくのを待ってやれば怖い思いをしなくて済むかと。

※対決!「気合だーっ!」

以前、知り合いが東谷の吊り橋を渡ろうとしたらサルの群れが対岸から、吊り橋の板の上や左右のメインワイヤーを伝って「ギャーギャー」と凄い勢いで向かって来て怖くて慌てて引返して遣り過したと小屋に来て言いました。

翌日、私が一人で吊り橋に行ったら同じように対岸からこちらに威圧しながら向かって来ました。 

最初が肝心!「人間舐めんなーっ」一声出して睨みつけて、背中に差していたピッケルを引き抜いて振り回したり吊り橋のワイヤーを叩いたりしながら「ドリャ―」と気合を入れながら速足で前に進んで行くと、奴らは慌てて回れ右して対岸の藪の中に消えてゆきました。(怯えて逃げる姿は可哀想で、自分が大人げない気に・・・)

少し違いますが、包丁を持って暴れて一晩自宅に立て籠もっていた男性を、夜明けと同時に前山岳警備隊長と突入して取り押さえたこと(保護)が有ります。 怯むことなく気迫を持って対するのは同じです。(柔道・逮捕術の試合で、組んだり構えたりしただけで、達人には敵わないとすぐ分かります。スキが無く、いわゆるオーラが!)

「気迫」「気合」は、ハッタリかます人間?にもサルにも通じるような気がします。(最初に怯むと効果無し!確信犯や薬物中毒等にも、効果無しですから状況を見て!なんのアドバイスやら? 危険な業務を、真面目に遂行している警察・消防・自衛隊らの方々をみんなで応援しましょうね!)

祝砲???

2018-08-29

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巨大なブロックが不安定に折り重なって!

阿曽原谷のスノーブリッジが、崩壊しました。

2日ほど前から、時々ブリッジの内側の雪が剥がれ落ちる音が小屋まで届き出したので、そろそろ崩壊が近いかな~って。小さな崩壊は、チョコチョコ有りますが、谷を渡しているブリッジが崩壊するのはシーズン中一度だけです。(あたりまえですが!)

上手くゆけば動画で撮れないかと考えていたのですが、夕方7時過ぎに「カッ!・・ボッカーン!」と大きな崩壊音と共に小屋の窓がブルブルと震えました。 見ると手前3割位が崩落していました。暗いので撮影は諦めて、明日まで何とか残ってくれればと思っていましたが深夜に轟音がして・・・、朝起きて見たら全部落ちていました。

急傾斜の谷底から立ち上がる、向って左側のブロックの高さは30メートル近くは有りそうです。今年は、雨が少なかった・雪渓の上を覆っていた土砂・腐葉土が多かった等の理由から高く残ったような気がします。 小屋からは全容は見えませんが、谷底に崩れたブロック量もかなりのモノです。

谷底に崩れたブロックは、どんどん解け出して見る見る無くなります。左側の大きなブロックは、岩壁に寄り掛かかる形でまだまだ残って、最後はゴロン・バタンと谷底に転がって崩れるか、そのまま小さくなってゆくかのどちらかになります。

※祝砲?

昨日は、雨の中欅平から3名のお客さんが来てくれました。 温泉マニアの方々で、全国を回っておられるとのこと。

リーダーの方は、阿曽原が3000箇所目との事でした。お祝いに阿曽原谷が、「祝砲」で祝ってくれたのでは・・・!

 

関電・黒部ルートの一般開放報道について!

2018-08-28

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仙人谷ダムより、飛龍峡と上部専用鉄道鉄橋。

一部マスコミに、関電・黒部ルートの一般開放問題が進展しているかのような報道が有りました。

ネット上でも「電車で阿曽原に行けるのかな?」みたいな事を書いておられる方がおられます。

報道をよく読むと、何にも決まっていないのでは???と思えるのですが。

阿曽原HPトップ下に、去年作成した「立山・黒部世界ブランド化についての意見書」 「関電黒部ルートの利用方法についての私見」の中に書いておきましたので読んでみてもらえれば幸いです。 

安全管理対策については、協定締結時とは全然レベルが上がっています。 対策には、莫大な費用と時間が必要になるのですから!

万が一、問題をクリアして一般開放になったとしても、阿曽原での乗降車は無理どころか、途中下車すら無理だと思います。

映画「ホワイトアウト」を覚えておられますか?ダム・発電所等の施設は御硬く言えば「重要防護施設」なのですから、一般人が勝手に動き回られては事業遂行の邪魔になるのは目に見えていますもの。

と言う事で、阿曽原が観光客で溢れる等と言う事も無いと確信しております。

この話を書き出すと終わらなくなるので、トップページを覗いてみて下さい。

※昔の映像(DVD)

阿曽原小屋には、昭和29年秋に撮影された下の廊下を遡行した時の映像「絶瞼 黒部十字峡」が有ります。

このページの、写真の鉄橋がまだ建設されていない頃のものでカラー映像です。

いい加減な解説や、わざとらしいヤラセ(脚色?)の部分も有って苦笑い部分も有るのですが、貴重な映像には間違いありません。

ご希望が有れば、小屋のテレビで見て頂けますので遠慮なく申し出て下さい!

清水岳の話しⅡ

2018-08-28

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当初は、雲(ガス)が降りて視界が利かず・・(右側台形が清水岳)

前ページの続き。

ヘリで全員搬送されたところで、猫又山経由で清水岳に向けてラッセル開始です。

その頃には白馬岳越えの隊員の無線機が壊れて送信が出来ない事が判明していたのですが、二人は荷物を軽くするため雪洞泊しながら吹雪の中を行動しているので消耗もしているだろうし、大学生の方も救助要請から日数が経っていて早く向かわねばと気合を入れての行動でした。

上部に向うにつれてガスが濃くなり、視界が無くなり目標が定まらずガスと雪面との境目・傾斜・方向も分からなくなり・・・絵に描いたような?ホワイトアウト状態

取り合えず私一人で、先頭を空身でラッセルして慎重に登っていたのですが 猫又山 を過ぎて尾根が細くなり始めた2400m過ぎた辺りで・・・音がした様な?風が吹いた様な?感覚と共に???

身体が傾き踏ん張りが効かず~視界が効かず暗くなり~全身が押さえつけられるような???

私は雪庇を踏み抜いて、進行方向左側の柳又谷方向に雪崩れと共に転落していったのでした。

幸いな事に40~50m位流された所で止まって、身体の上に被った雪は手足をバタつかせて暴れながら流されたのが良かったのか?デブリから這い出して無傷で登り返すことが出来たのでした。(流されながら不思議と冷静で、このままではヤバイとは思わなかったのは鈍感だから?)

清水岳まで近いのは解っているのですが、この先の尾根は細くなりそうだし~天候は回復が見込めないし~ガスも高度と共に濃くなって来るし~これ以上の行動は危険だよなぁ~・・・突っ込んで行って大学生と合流出来ても、救助隊二名と合流出来るのか???

幸い清水岳に向かっている二名の救助隊員も、救助要請している大学生達も切迫した状態では無いとの連絡が入ります。

明日から天候の回復が見込めるので無理な行動はせずに、雪庇崩壊跡の3m余の破断面に「もう落ちないだろう」と横穴を掘り、翌日に学生達が増えても収容できるように長く広めの雪洞を作って明日に備えました。(大きなアリの巣?)

翌日も停滞~翌々日に天候が回復傾向となり前進して清水岳の頂上で無事全員集合(我々が15分遅れでした)~我々が登って来たルートを下山~昨日作った雪洞で全員ビバーク~学生達はかなり消耗していて自力下山は無理との判断~翌日ヘリコプターで黒部市民病院に下山で一件落着!

(翌朝は黒部源流の、さらに奥「槍ヶ岳」まで見える快晴でした)

下山してから「決死の救出劇」として、我々救助者と遭難者代表の記者会見が開かれたのですが・・・悪気は無かったはずですが、救助を待つ間に「メンバーの誕生会で、お汁粉パーティ」をしていたとの発言に、怪我らしい怪我もしていないのに!救助隊が命懸けで行動して!遭難者に食べさせようと食料も節約して向っていたのに!「お汁粉パーティ」とは!!!

今で言う救急車のタクシー利用とまでは言いませんが、社会を騒がせた大事件になってしまった上に、救助活動の大変さへの配慮が足りなかった発言???学生達はえらくバッシングを受けてしまったのでした。(そんなに大きな問題になっているとは思ってなかったんだろうな~)

「自分達の限界!」と判断しての救助要請は正解だったのですが、計画・行動・実力等々の準備は慎重にってことかと・・・はからずも、「救助要請のあり方」について一石を投じることになったのでした。

今は当時と違い「GPS普及」「長期予報・ピンポイント予報」「装備の軽量化」等々便利になりましたが、そもそも厳冬期の入山者が減少傾向なので経験の継承って意味では・・・(これ話し出すと長くなるので)

にしても、苦労して救助した人が世の中で活躍しているのを知ることが出来て、縁を感じるというか・・なんか嬉しーくなってしまったのでした。

  動物話の続き。

清水岳では、平成7年7月にパトロールで大仏達がヘリコプターで下されて、私達は唐松線のパトロールに向かうべく離陸して、振り返って大仏チームを見たら、なんと大仏達が居る斜面の直下で二頭の熊がヘリコプターの爆音に怯えて藪を右往左往しているのが見えて・・・、慌てて大仏に無線で伝えようとしてもエンジン音でなかなか伝わらず冷や汗をかいたことが有ります。 

私が若い頃は白馬線の草刈りにも出ていたのですが、清水岳頂上辺りのハイ松帯で、大きな狐が飛び跳ねているのを目撃したことも有ります。

動物達には、棲みやすい山なのかも???

清水岳の話し!

2018-08-27

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自宅から見た、清水岳~白馬岳!(右端の台形の山が清水岳)

動物話しを一つ???

大仏が、白馬岳~祖母谷線の草刈り中に清水岳頂上付近で日本鹿が跳ねているのを、先にお知らせしました。

数年前に、北アルプス山小屋協会総会が松本市で開催された時に、とある県のニホンシカ対策の職員に講演してもらいました。

元々富山県には生息していなかった動物ですが、数年前からイノシシに続いて県内に入り込んで来て、剣沢雪渓で死体が見つかったり、祖母谷で赤外線カメラに映ったりしていて「増え始めると大変!」危機感を持って講演を聞いていました。

講演が始まり自己紹介で「実は私、若い頃に北アルプスで遭難して山岳警備隊や山岳関係者に大変お世話になった経験が有ります」との事???

1990年正月でしたが私が山岳警備隊員当時出動した遭難で、正月登山に欅平~祖母谷温泉~不帰岳~清水岳~白馬岳を目指した大学山岳部員7名が吹雪に閉じ込められて救助要請が入る遭難救助がありましました。(年末からの荒天が続き、同時に剱岳周辺でも救助要請が入って合計4件15名が行動不能に)

当初は管轄の黒部署と応援で上市署員とガイドの総勢4名で、アプローチが近い白馬の栂池高原から白馬岳頂上経由で救助に向かったのですが、隊員1名が白馬の頂上手前で「肺水腫」 の症状が出てしまい一刻も早く下山させねば危険との判断で、隊員1名が付き添い栂池に下山することに。

しかし「清水岳で待っている要救助者をそのままにしておけない」との現場の判断で、残りの二人は厳冬期の白馬岳頂上越えで清水岳に向かうという普通では考えられない救助体制となりましたが、更に当時はGPSなど開発されてなかったので、天候が悪く視界の効かない雪山を歩くのは大きなリスクがあったのですが・・・。

私は隣の入善署勤務でしたが、もう一名の隊員と召集を受けて~長野県警の警備隊員2名の応援を受け~栂池スキー場までパジェロパトカーで雪道を栂池に向かい~夕暮れで暗くなった栂池自然園から白馬岳に向けて夜間ラッセルで登り~あっち側寸前の隊員と合流して~深夜に栂池スキー場まで連れ戻したのでした。

翌日、今度は白馬岳越えで救助に向かった隊員達と無線連絡が取れなくなり???

救助要請が入るほどの悪天候の中、軽量化でテントを持たず二人だけで現場に突っ込んだ警備隊員とガイドの身に何かあったのではと大騒ぎに。

しばらくは天候回復が見込めず、新たに清水岳まで下界から歩いて向かっては食料・燃料切れの遭難者は持たないかもしれず、剱岳方面の救助要請も重なり限られた隊員での救助方針も決めかねていたのですが・・・

私達はヘリコプターで 突坂尾根 の出来るだけ高い所まで運んでもらい、清水岳に救助に向かう班が編成され向かうことに。

清水岳はおろか手前の 猫又山 もガスの中だったのですが・・・最初に私一人がヘリで行けるところまで運ばれて~雪を踏んでヘリポートを作って~ガスの中でも解るようにと発煙筒を大量に渡されたのですが・・・

雲?霧?雪??ギリギリの視界の中を尾根にアプローチしますが、フカフカの新雪はダウンウォッシュ(ヘリの風圧)で舞い上がり雪煙で視界が利かず着陸どころではありません。

仕方ないので2mほどの高さから飛び降りる事に(標高2000m前後だったような?)、ヘリがホバーリングしてくれて~私はドアを開けてザックを放り投げて~続いて自分も飛び降りたのですが・・・フカフカの雪面に脇腹まで突き刺さり埋まってしまい身動きが取れなくなってしまいます。

しかし次のヘリが来るまでに少しでも雪を踏み固めて、こちらが解かる様にしておく必要があります。

必死に雪の中から這い出して、傾斜の緩くなった斜面を踏み固めようとするのですがカンジキを履いてヘリには乗れないのでツボ足で動き回ります。

雪が柔らかすぎて効率が悪いので寝転がって雪を押えていると、「ドッドッドッ」次便のヘリの音がガスの向こう下方から聞こえてガスの切れ間を見え隠れしながら近付いてきます。

慌てて赤ペンキで雪面にマーキングして、発煙筒を振り回して位置を知らせるとヘリコプターは霧ががマダラに立ち込める中をギリギリ飛んで来てくれたのでした。

(発煙筒は、煙だけではなく火花も盛大に飛び散るので、支給されたばかりのヤッケが穴だらけに・・・涙)

次回に続く!

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