阿曽原温泉小屋

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廻り合わせ・・・続き。

2020-03-16

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初夏の早月川と劔岳(伊折集落の手前より)

遭難事故の正確な情報はまだ入って来てませんが、会合をそのまま退出します。 

発生現場や状況等を考え併せれば・・・。

ネパール行きのメンバーは、丸山とは皆濃い付き合いです。 連絡を取り合い、キャンセルを即決定して対応に当たることにしたのでした。

ドタバタしているであろう、前線基地の馬場島派出所にいる隊長・隊員に電話して確かめる訳にもゆきません。

でも居ても経ってもいられず、エーショウと二人で除雪してある上市町伊折集落まで車で入って、そこから輪カン履いて馬場島まで歩いて入ることにしました。

暗くなってから歩き出してますが、幸い新雪は少なく月夜だったか割と明るい夜です。 暗闇の中で動物の気配や光る眼が見えますが、こちらから吠えたり唸ったりして脅しながら休まずに歩き続けます。(熊は冬眠中のはずなので、弱っちい奴ばかりなんですが・・・カモシカは、目が悪いので動かずジッとこちらを見ていることがあるのです) 

2・3年前?に足首を複雑骨折しているエーショウは、長く・冷える雪道では痛みが出ているだろうと心配になりますが頑張って歩いています。

午後11時過ぎ、歩き始めて4時間掛かって馬場島派出所のシルエットが見えたところで室内の明かりが消えてしまい、大声でコールしながら速足で暗い玄関に到着、そこで微かな願いも打ち砕かれる現場の状況を聞かされたのでした。

※写真説明

剱岳頂上から、左にスカイラインを下った所のコル(三の窓)から、細く白い雪渓が微かに見えるのがマルが眠っていた「池ノ谷」です。

頂上から手前に延びて降りるのが「早月尾根」で、早月尾根が降り切った辺りが「馬場島」になります。(手前の山で隠れています)

廻り合わせ。

2020-03-15

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彼が撮ってくれた、東鐘釣山の岩壁での作業風景

先のページで、9年前の2月28日の訓練中に発生してしまった事故とその後の話をしましたが、実は個人的な思いというか廻り合わせというか・・・。

剱岳での訓練中の事故の5ヶ月前の9月28日、ネパールのダウラギリ峰に向かった登山隊が雪崩に遭遇して、行方不明になった隊員の中に阿曽原小屋や黒部の災害復旧・雲切新道の伐開で頑張ってくれていた山本君がいました。

(他にも一緒に黒部で働いてくれた男達が、ヒマラヤ・アンデス等で亡くなっている話しを前に書いたかと)

彼は愛知県出身で、阿曽原で働いてくれていた時に同僚だった女子バイトのスズちゃんと仲良くなって、二人で富山に移住して籍を入れて生活始めた矢先の事故で・・・。

(山本君は、戦場カメラマンの経験を生かして阿曽原小屋HPの「山のお仕事」の写真は彼の写真が沢山使われています)

ネパールで発生した事故なので、我々に直接出来ることも無く・・・年が明けた2月28日から知人・山仲間でダウラギリが望める場所まで慰霊に行く計画を立てたのでした。

(当時、義援金を各方面から頂きましたこと、この場を借りて改めて御礼申し上げます)

2月28日午後に市役所での会合に出席して、夕方集合してから関西国際空港に車で向かう予定でしたが、会合中にエーショウから着信が・・・切っても直ぐに再度掛ってくるので?外に出て話しをしてみると、訓練中の事故発生の速報でした。

※写真説明

左側の岩壁表面が白っぽく見えて、右側の雑木が折られているのは、岩盤崩落が通過した痕跡です。 岩盤崩落の際に、岩と岩がぶつかって表面が削られ白く、雑木はなぎ倒されて軒並み折られています。

この地点から、200m余り下部の黒部川に底雪崩で汚された残雪が見えますが、浮石を落としながら川まで懸垂下降して降りて作業終了となります。(左側が私で右側が大仏)

痛い目に遭わないと分からない?

2020-03-14

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いつも、お世話になっております。

先日から、痛みが出て・・・毎度お世話になっている施術院へ。

ヘルニア?狭窄症???年に2回ほど痛みが出るようになって、20年ほど前に初めて施術していただいた際に劇的に良くなってから、ズ~ッと富山施術院さんのお世話になっています。

(ポールマッカートニーの東京ドームライブの直前に発症してしまい、諦めそうになっていた時も治していただき感謝・感謝でした!)

先に「警備隊員には訓練をしっかりやって」みたいなことを書きましたが、やることやっておかないと現場で痛い目に遭うのは目に見えているから鍛えないと。(なんでもやり過ぎると後々痛い目にあうけど・・・)

若い頃は痛い目に遭っても遭っても、なんでも勢いで乗り越えて来た気がするけど・・・この歳になって思うように動けなくなってみて、やっと「訓練」「鍛錬」がいかに大切なのか分かってきたような。

昨日は、震災の日。

2020-03-12

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マルの追悼集(右下角の小さな顔がマルちゃん)

昨日は、震災の日。早くも9年が経ってしまったんですね。

あの日は、地震12日前に剱岳で事故に遭った丸山隊員が顔を出していた立山町芦峅寺のレストハウスで昼飯を食べて、そこにあったアルバムに残る丸山の笑顔を見て・・・。

地震発生時は、午後からの登山道整備計画の説明会の会場に向かっている車中で揺れも感じなかったのですが、運転中で画面が映らないカーテレビから臨時ニュースが流れだして・・・会合会場の駐車場で、津波の映像を見て驚かされた記憶があります。

全国規模の震災対応の傍らで、未だ剱岳の谷筋で雪の中に取り残さたままの丸山隊員の早期帰還を願いつつ、ご家族への説明・警察組織との調整みたいなことに奔走していました。

私が調整役ってのも変な話だったのですが、警察組織とご家族とが直接話し合いをするには微妙な話しや表現の取り違いで話しがややこしくなったりすると(警察用語は硬い)面白くないと考え、誰から頼まれた訳ではなかったのですが当時の流れで「丸山政寿君を送る会」が終わる4月下旬まで、その時々サポートをもらいながら飛び回っていました。(山小屋関係・マルちゃんの仲間達・地元マスコミ各社・式典会場・花屋さん・フリーアナウンサー等々、各方面からの多大な御協力を頂きました)

丸山隊員をピックアップに向かう予定の、県警ヘリが東北に応援に行くことになったり・・・いろんな想定外が次々と起きて・・・。(丸山の遭難自体が、ありえないことだったのですから)

誰にも悔しさ怒りをぶつけることが出来ないのは、規模は全然違いますが震災も訓練中の事故も山岳遭難事故も同じというか、大自然に対しての人間の小ささと人間の情の深さも思い知らされました。

人間は思いもよらない災難に遭遇しても「次に良いことが待っているはずなんだから、前を向いて進んでゆかねばなりません」

その為には、辛いけど悔しさや怒りを乗り越えて、落としどころというか自分を納得させるために気持ちを整理する為には、時間も大切だけど誰かが寄り添って少しでも辛さを和らげてあげることも役に立つのかと・・・人間一人で生きてゆくのは、寂しいってこと???(分かった様なことを・・・まとまりが無い個人的な事で、すみません)

そもそもⅣ(敵を知り己を知らば百戦危うからず)

2020-03-06

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コロナのせいで、気楽に飲みに行けない。

色々書いていますが、私は登山者を批判したり不安を煽っているわけではありません。

登山って自分の実力に応じて、計画を立てて~コースを研究して~装備を準備して~歩いて楽しんで(苦行?)~無事下界に還って~美味しい酒を飲むまで。

(装備っていうけど、ロープを持っていれば何とかなるものではありませんから。ロープは正しい使い方をしないと!)

登山って普通の競技スポーツと違って、自分の体力・経験等に合わせたコース・ペースを決められるのが良いところかと。

自分の実力以上のコースに行くには、それに応じたトレーニング・知識の吸収が必要になってくるはず。

(警備隊の訓練等は、ある程度安全が担保されている場所でチャレンジして鍛えないと、実力も上がらないし本番で自信と余裕を持って事に当たる為には厳しい訓練してもらわないと!)

また以前歩いたコースでも、その当時と今現在の自分がどれだけ違いがあるのか?もしも、歳を重ねているようならば歩けた当時の様には歩けないのは自然な事ですよね。

要は「山を知り、自分を知る」ことに尽きるのでは!

みんなに山を楽しんでもらうための、救助体制・登山道整備・テント場山小屋等の宿泊施設充実等のサポートは出来ても歩くのは一人一人の登山者です!(この手の話しは、書き出すとキリがない・・・)

本件は大事に至らず幸いたったものの、高齢の男性リーダー以外はそれほど登山経験が無かったのでは?他のメンバーがコースを研究していてくれたら、引き返す意見も出せていたとしたら避けられた事案ではなかったかと思います。

警備隊員にあっては仕事とはいえ雨の中現場に赴き、一晩中付き添って・処置して・励まして長い夜だったことでしょう。

でも、心の底からの「ありがとう」を言ってもらえたのでは?「いい仕事した」って遣り甲斐を感じて、厳しい訓練に耐えてもらわねば!

そもそもⅢ(引き返す勇気)

2020-03-05

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昨日の雪倉岳~鉢ヶ岳(稜線には雪が付いていないってことは!)

翌朝天候が回復して、消防防災ヘリ「とやま」が出動して遭難者はピックアップされて無事病院に収容されたのです。

現場出動した警備隊員によれば、テント内でビバーク中に「錯乱」とまでは行かないけれど低体温症の症状が出ていたそうです。

この遭難事故についても、先の真砂岳の大量遭難とリンクする「状況判断の甘さ」があったと言われても仕方ありません。(「トムラウシ遭難」・白馬「小蓮華岳遭難」然りです)

そもそも荒天予報が出されており、どのような状態になるのか?どんな危険が出て来るのか?予測して行動を決めるのがリーダーの役目であり、周りの者も意見を出して考えるのがパーティーのはず。 (事実当日は、お客さんからのキャンセル祭り状態でした)

そして先行パーティーが「常識的には引き返しているのでは」と言わしめる、沢の増水を目の当たりにしても渡渉しようとした判断は大きな間違いと言わざるを得ないでしょう。

参照:なんじゃこりゃ?には、ご注意を!

小柄な高齢女性を増水した沢を渡渉させられるのか?自分達の実力が分かっていないのに突っ込んでいるのでは???

全体のコース概要が頭に入っていれば、黒部別山谷までの所要時間を考えれば阿曽原まで明るいうちに届くとは考えられず、引き返せば十分最終バスにも間に合っていたでしょう。

『引き返す勇気』よく聞く言葉ではないでしょうか?

山は、一度や二度そのコースを歩いたからといってベテランって訳にはゆきません。

時期・時間帯・天候・整備状況・消耗度合い等々で、難易度が大きく違ってくるのは私が言わなくても分かるはずです。

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