阿曽原温泉小屋

k

鍛冶さんの日

2021-03-07

写真

遺稿集に描かれている「剱岳北西」:故人の父上の画

随分昔の話になりますが平成2年3月7日、富山県警山岳警備隊は劒岳において訓練中でした。

当時現役隊員であった私も所属の入善署から訓練に参加して、3月3日から 馬場島 より早月尾根班・小窓尾根班・赤谷尾根班の三班に分かれて剱岳に向かい頂上で合流する計画で行動しました。

早月尾根班の鍛冶分隊長が、「カニのハサミ」基部から上部を目指してルート工作中に足元より表層雪崩が発生して池ノ谷右股に雪崩と共に流されてしまいました。(「カニのハサミ」剱岳に登る別山尾根ルートの平蔵のコルから早月尾根を見ると目の前に見える単独の岩峰ですが、昔はもう一つ岩峰があって一対となって「カニのハサミ」と名付けられた様ですが、一つは崩落して無くなったと聞いています)

7月17日に 池ノ谷右股 の雪渓上にて御遺体となって発見されたのでした。前日の強い雨で融雪が進み現れたものと考えられ、事故発生から実に132日が経過しており発見地点は事故発生現場から800m下部地点でした。

発生当日は、赤谷班として小窓から三の窓を目指していた我々でしたが、三の窓で小窓尾根班と合流して天候悪化により待機を指示されて、無事を願うばかりで何もできないもどかしさの中で雪洞を掘ってビバーク準備に入ったのでした。

アーカイブ

最近の記事