阿曽原温泉小屋

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それでも山へ・・・

2021-03-31

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左奥が「剣岳」頂上は丸く見えますが・・・

写真は、室堂平から望んだ左奥の白いピークが「剣岳」です。(写真右側枠外に「剣御前小屋」があります)

険しい山ののですが、この方向から見ると頂上には丸く大量の雪が積もっているように見えてます。実際、冬の剱岳頂上は風下の源次郎尾根側には沢山の積雪があって雪洞を掘ってビバークした経験があります。

しかし頂上からどのコースに向かっても、凍った岩稜・岩壁となっていて技術・経験・装備・天候等が揃っていないと登れない山なのは見ていただければ分かるかと。

頂上から左側に下っているのが 「早月尾根」 で、小さな白いコルに挟まれた小さく黒く尖った鋭鋒が今回の事故発生現場「カニのハサミ」になります。

その左側黒く傾いた台形が「シシ頭」と呼ばれるピークになります。

早月尾根の稜線裏側の谷が、鍛冶さんが発見された「池ノ谷右股」になります。 ちなみに、「カニのハサミ」から手前に白く見えるのが「東大谷中俣」上部になります。地形図を見てもらえれば、どちらも大変な急斜面(崖)なのが分かっていただけるかと。(このページで、三月に「東大谷中俣」へ3人が転落して一名が生存していた遭難救助に出動した話を書いてあります)

事故を起こしてはいけないのです。

2021-03-30

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その後の捜索活動は、「池ノ谷右股」に直接入って長時間留まることは雪崩の危険が大きすぎるため、ヘリコプターからのパトロール・小窓尾根1,600mにベースキャンプを設けて池ノ谷内の監視を続けることとなり、雪崩の危険が少なくなったGW明けからは池ノ谷の雪渓上を直接歩いての捜索・池ノ谷ゴルジュ出口に流失防止ワイヤーネット設置・雪氷学者の現地調査・ベースキャンプを池ノ谷へ移設等々が続けられたのでした。

7月17日、前日の大雨で雪渓が一気に融けてくれたおかげで 池ノ谷右股中央ルンゼ出合 付近において発見され、天候が悪くヘリコプターでの収容が出来ず、現場の発見隊員と応援隊員が向かって、後輩達の背中に背負われて「132日」振りに馬場島まで帰って来られたのでした。

大自然の厳しさ!人間の無力さ!を改めて思い知らされましたが、なによりも御遺族の悲しみを目の当たりにして「事故は絶対起こしてはならない」と心に刻み込んだのでした。

ちなみに鍛冶さん・丸山隊員は現役隊員としての訓練中の殉職事案でしたが、山岳警備隊のOB隊員であった「郷さん」も山菜取りで転落死した男性の遺体収容中に雪渓ブロックに挟まれて魚津市の山中で殉職されております。

偶然なのかもしれませんが、三名とも私と同じ「旧下新川郡」とされる富山県東部の出身でした。富山県内でも同郷というか、言葉訛りが似ていて親近感を持っていた人ばかりが山で亡くなってしまう形となってしまいました。

やっと快晴になったけど・・・。

2021-03-29

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立山町上宮より

三月九日、入山して初めての快晴の朝を迎えました。早朝から「つるぎ」が「池ノ谷右股」の捜索に当たり並行して「スパーピューマ」が我々を配置転換するために飛来してくれました。

快晴とはいえ「三ノ窓」上空はそれなりの強風が吹いているはずなのに、我々の真上でピタッとフォバーリングしながら高度を下げて、スライドドアから吊り上げホイストを出してワイヤーを降ろしてくれます。

昨日は、吹き上げる自然の強風で立つことが出来なかったのですが・・・今度は「スパーピューマ」の高度が下がって来るに連れて、強烈なダウンウオッシュで身体が押さえつけられて思う様に動けなくなります。

このページで以前、冬山でのヘリコプターのダウンウオッシュで「顔面凍傷」「金属製時計バンドが冷やされて腕が千切れるほど痛んだ」話を書きましたが、氷点下時での強烈な風はそれほど脅威なのです。

ホイストワイヤー先のフックに、ボディハーネスのカラビナを連結させて吊り上げてもらい乗員の方に機内に引き込んでもらって硬い床の上に尻が付いて一安心です。(乗員の方々は寒い上空で機体から身体を乗り出してワイヤー操作してくれていますが、万が一機体がバランスを崩すなんてことを考えると恐ろしくなります・・・信頼関係が出来ているチームってことです!)

次々と訓練隊員が吊り上げられて、早月小屋に降ろされて捜索態勢を取ることになりますが、上空から見える「池ノ谷右股」は真っ白で事故発生時の雪崩から二日間で案外雪が積もってしまい、あの広く真っ白な谷の中に鍛冶先輩がいるのだと思うと込み上げてくるものが・・・。

上空からの「つるぎ」の捜索は続けられていますが、事故発生地点の「カニのハサミ」から「池ノ谷右股」までの急斜面には「人影を見つけることは出来ない」との悔しい無線通話が繰り返し聞こえて来るばかりでした。

噓やろⅣ(雪洞六泊目)

2021-03-26

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北陸自動車道 立山インター近くより

翌日は、引き続き悪天候でヘリコプターでの人員輸送も見合わせとなり頂上経由で向かうにも新雪が積もり「池ノ谷ガリー」の急斜面を登り返すには余りにも雪崩のリスクが大きすぎるので、本部指示で我々は「三の窓」で待機となる。

動きが取れず歯がゆい思いをしていると、断片的に聞こえて来る無線交信で事故を知った山岳ガイド・山小屋関係者・民間救助隊員が続々とサポートに馬場島に来てくれて行動して頂いている様でした。

午後には民間の大型ヘリコプター「スパーピューマ」が支援に来て捜索に当たってくれていますがガスが湧いていて「池ノ谷」の中に侵入できずにいるようでした。

夕方になって「三ノ窓」の風は強いもののガスが薄くなって上空は抜けて来たので、我々を捜索ポイントに配置転換するために「スパーピューマ」が上空まで飛んで来てくれました。

しかしコルへ出ると「池ノ谷左俣」から吹き上げる風は増々強くなり、重装備で重くなっているにもかかわらず風で飛ばされるほどで、コルで頭を風上にして片足は風下に伸ばして屈んで踏ん張らないとその場に留まっていられません。

爆音が聞こえて来て、はるか上空に来てホバーリングしていますがそれ以上高度を下げて来ません。(さすがスーパーピューマ!我々が立てない風の中でもホバーリング出来るとは) 

ホイストが装備されている巨大でパワーのある機体でしたが、地上までがあまりに長い距離で風に煽られてホイストのワイヤーを降ろすことが出来ないのでしょう。

そもそも危険な急斜面が両サイドにあって、我々自体が強風で立つことが出来ないのに、ワイヤーの先に付けられたフックが風に煽られて何処に行くか分からないのに・・・まして10人の隊員が居るのですから一人二人は吊り上げられても全員はどう見ても無理に思えました。

結局、我々の吊り上げは諦めて我々はもう一晩雪洞ビバークすることになったのでした。

嘘やろⅢ(雪洞五泊目)

2021-03-24

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新雪を被った本峰

馬場島の無線交信から得られた情報では、県警ヘリ「つるぎ」がフライトして捜索に向かうが乱気流と立ち込めるガスで「池ノ谷右股」には侵入できずにいるらしい。

我々「三ノ窓」の訓練隊は、待機指示のまま時間ばかりが過ぎてゆきます。馬場島からは、我々をヘリで早月尾根の現場近くまで輸送しようと考えて天候確認をしきりにしてきます。

しかし「三ノ窓」は普段から風が強い稜線上で、富山湾から見通せている「池ノ谷左俣」が突き上げる場所になり、谷筋で風が集まる通り道となって吹き上げる場所です。

当時の天候は降雪は少ないモノの、池ノ谷左俣からガスが間断なく吹き上げて富山平野側の視界は効かず、なによりコル上に真っ直ぐ立つことが出来ないほどの強風が吹き上げていて「三ノ窓雪渓側」に少し下った場所で強風を凌がねばならず、とてもヘリコプターが近づける状態ではありません。

天候回復が見込めないとの判断で、午後になってから我々に「三ノ窓」でビバーク準備をする様に指示が出されます。

(その後「つるぎ」は、馬場島に一旦着陸したものの天候が悪化して飛び立つことが出来ず、当日は富山空港へ帰投することが出来なくなりました)

小窓尾根隊はテントを持っているのですが、一緒に雪洞を作ることにして全員が横になれる大きな(長い)ものを作り、結局その日はヘリでの人員輸送が出来ず、全員「三ノ窓」の雪洞でビバークすることになったのでした。

夜八時過ぎだったと記憶していますが、暗く淀んだ空気の中であれこれ考えながら寝付けず横になっていると「ズドン!」地響きが一度して雪洞が揺れました。

富山の人間は地震になれていないのもありますが、地面に直接転がっている形になるので強く感じたのか、現実に引き戻されたというか。(気合を入れられた?)

遭難事故を何度も熟し検証して来た身からすれば、常識的に考えてとても助かるような場所と状況だと分かっているのですが・・・冷静に捉えることが出来ないというか、考えるのが罪というか、信じたくないっていうか、でも「ズドン!」一発でトドメを刺されたみたいな・・・現実に引き戻されてしまった自分は、寝袋の中で密かに握りしめたタオルを濡らしながら長い夜を過ごしたのでした。

(ちなみに、地震は富山では観測されておらず、局地的なものだったと後から知りました)

嘘やろⅡ(発生!)

2021-03-23

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快晴の夜明け前の稜線には雪煙が(馬場島より)

岩壁バンドに張り付いた雪のトレースを「三ノ窓」に向かうが、バンド幅は狭いし雪に付けられたトレースは崩れそうに不安定な場所もあります。登りのラストは、ザイルに頼ってバランスをとる事も出来ますが、下る場合はランニングビレイ(中間支点)が自分より低い場所にあるので頼ることは出来ません。

幸い?ガスが湧いて断崖の池ノ谷側の視界が効かず高度感は感じないけど、現場がどれだけ危険な場所だか知っているし、なにより先輩の事故の情報が入ったばかりで平常心で居られるはずがありません。

「三ノ窓」に着くと先行していた小窓隊と合流しますが、それぞれ厳しいコースを頑張って登って何日振りかで顔を合わせた仲間ですが皆言葉少なく・・・。

今後の行動をどうするのか?班長が馬場島の訓練本部と無線交信しますが、訓練本部もそれどころではないのでしょう「その場で待機せよ」との指示が出されたまま対応に追われているようです。

まだ昼前だし行動できない天候でもない、このまま剣岳頂上経由で「カニのハサミ」まで行けばよいのか? 二班合流して人数が増えて行動が遅くなるはずだし、これだけのメンバーがビバーク出来る場所を確保できるだろうか? 広さが確保できる 剱岳頂上 で雪洞を掘った経験があるが、そこを捜索の前線基地にして捜索にあたる?訓練後半で食料補給は? そもそも経験の浅い隊員も含まれているし動揺している我々が普通に登れるのか?

なにより鍛冶さんは大丈夫なのか? 同行していた二名の隊員は、どうしているのだろう?無理して池ノ谷右股に突っ込んでいないだろうか? (昭和54年の正月登山で、「カニのハサミ」の隣にある「シシ頭」で池ノ谷右股へ転落した2名がしばらく生存していた事が解っている)

次々と思いや不安が湧いてくるが・・・どうすることも出来ない。

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