2000年と言えば・・・。Ⅱ
2020-01-04
入山はしてみたのですが、翌日から天候が悪化して前進基地に開放してもらった大日小屋から外に出ることが出来ませんでした。(雪庇が発達する場所ということは、大量の降雪と強風が抜ける風道?であるということ)
行方不明になった2名は、生還した9名とは少し離れた雪庇の先端側で休んでいたとの事で、講師から「あまり先端部分に近づくな」と声を掛けられていたそうですが、直後に崩壊した雪庇もろとも巻き込まれて研修参加者27名中11名が落下。
9名はそれほど流されなかった為(それでも100mほど流された者もいた)軽傷者もいたが自力で稜線まで登り返すことが出来たのですが少し離れた場所にいた2名は姿が見えず、通報を受けた山岳警備隊員がヘリコプターで現場に到着して付近を捜索するも発見に至らず。
雪崩ビーコンの反応も崩落地点付近では反応はなく、ヘリコプターから反応探知を試みるも大日山谷の中から反応はあるものの雪崩を誘発させる恐れ等で低空での調査ができず。
上空からの目視でも行方不明者・ザック・スキー板等も確認することが出来ず、崩落時に誘発された雪崩に巻き込まれて大日山谷下流まで伸びる長大で広範囲なデブリに埋没したものと推察された。
下流の谷の中に入っての捜索は、二次遭難のリスクがあまりにも大きく発生からの時間経過や後の天候悪化等から事後捜索することとなったのでした。
後の検証で、雪庇の張り出しは40m以上で先端から15m程度の点から崩落し、崩落点の積雪深は約20m、崩落した雪の高さは約10mというとてつもない雪庇が出来ていたと推定されました。
(ここまで巨大な雪庇が形成されていたとは、当時の日本国の山岳関係者の中で予見できる者など存在しなかったと思うのですが)
この記事の URL : http://azohara.niikawa.com/news/2020/01/n20200104b.html