阿曽原温泉小屋

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総会終了!

2019-05-18

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フグのタタキのコゴミ添え!

無事、山小屋組合総会を終了することが出来ました。(大した話も無いのですが)

終了後、いつもお世話になっている黒部市「吉今日」さんで懇親会を!

若主人が頑張ってくれて、美味しいものを次々と出してくれて!!!

オイボの刺身・山菜の天ぷら・山三つ葉の和え物・ウドのキンピラ・ブリの照り焼き・岩モズクの酢の物・自家製ローストビーフ・〆の鯛飯六合!・・・・・、食べきれない位出してもらって大満足です! 特に写真の「フグのタタキ」は、厚切りの食感と上品なジュレが絡まりなんともゴージャスな絶品でした。

この「吉今日」なかなか予約の取れない地元では知られた人気店です。実は、先代主人は私の高校山岳部の先輩なのです。 40年余り前、学校の帰りに集まる「たまり場」的な家で・・・。 しかし、料亭・大宴会場にもなっており年末年始・歓送迎会シーズンは大忙しの家なのでした。

或る時、先輩の部屋でゴロゴロたむろしていると「あんたらゴロゴロしていらなら、料理を宴会場まで運ぶの手伝って」って、先々代女将(先輩のお母様)に頼まれて手伝いをするようになりました。

そのうちに、仕込みの補助~盛り付け~器洗い等々、全般の補助を手伝うようになって、宴会が終わるのが遅い日等は家に帰らずそのまま泊まって学校に行ったり・・・。

当時はまだ黒部にも芸者さん(高齢でしたが)がお座敷に呼ばれていて、お正月にはお姉さんからお年玉を頂いたりもして、皆さんから随分可愛がってもらいました。

最近「縁」みたいな事を書いて来ましたが、当時のお手伝いで経験した「料理の基本」みたいなもの(料理手順・盛り付け・配膳等)が今の仕事に活かされているな~って。

その「縁」のおかげで、昨日も美味しく飲めたのでした!

これから室堂へ行ってきまーす。

今日は総会、明日から室堂です。

2019-05-17

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見事なコゴミゼンマイ!ゴマ和え・マヨネーズ和え・卵とじ等に。芦峅寺の郷土料理「ツボ」に必須の山菜です。

今日は、黒部観光旅館組合の総会です。

黒部市内の国立公園内に有る山小屋の集まりなのですが、規模が小さくものの黒部ならではの問題もあるので立山と一緒にともゆきません。

行政・峡谷鉄道等と協力して黒部の為に活動してゆくのも、国立公園内で事業をしてゆく者の義務なのですが、あまりにも小さな組織なので大した実績も上げられてはいませんが、当組合が中心となって行っている「イワナの放流事業」は効果が上がって来ているのではないかと考えております。

総会の後は、お楽しみの懇親会を黒部市内で!

翌日から、室堂で入山指導員に一泊だけ登るので二日酔いにならない様にせねば!(思ってはいるのですが、ヤッパ無理かも・・・)

少ないしキレイです。

2019-05-17

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阿曽原谷の雪渓は白かった。

一昨日、様子を見に行ってきました。

毎年、この時期の写真がHPに残っているはずなので見比べてもらえれば解ります。

滝の落ち口もしっかり見えて、雪渓の表面に泥や藻くずが若干有りますが、色が薄くかなりキレイな雪渓なので早く解けてくれそうです。

雪渓がキレイなのは、強烈な雪崩が無かったから???

キャンプ場についても、去年とは大違いで雪崩で運ばれた石や折れた枝がほとんど有りませんでした。

黒部峡谷の雪渓は、白馬・剣沢等の高山帯に出来るものと大きく違うのです。

雪崩れる際に、標高が低い為に発達している樹木をなぎ倒し、根っ子を引き千切り斜面を崩し、大量の雪と共に谷底まで運んで巨大な汚れた雪渓が残ります。

夏場は、その低い標高の為気温が高く融雪のスピードも速いのですが、泥や藻くずが雪渓を覆っている場所は融けるスピードが遅くなります。

他にも梅雨時の雨量・気温にも大きく影響は受けますが、毎年黒部の雪渓は融け方・崩壊の仕方は特に目利きが必要になって来るのです。

神様の掌の上で・・・。Ⅱ

2019-05-16

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今年のキャンプ場は、全く残雪が有りません!去年の写真を参照してみて。

ここまで長々と今までの事を書いて来ましたが、成果を自慢したい訳でもなく増してや災害を憐れんでもらいたい訳でもないのだけれども、いろんなことが有って事故も無くここまで来たな~って。

私は「行き当たりばったり」と言うか「先の事はどうにかなるやろ」みたいな適当人間です。

ただし、事有る毎に一歩前に出てしまうとことは有ったかも?(警察官に成り立ての頃のダメダメお巡りさんだった私、当時の上司の御蔭で仕事のやりがい面白さを知って変われました)

「なんで俺にばっかり災難が」って嘆くよりも「神様は、乗り越えられる者に困難を与えて下さっている」って思えば腹が立たないと教えられたと前に書きました。

困難を嘆くよりも、「自分の経験値を上げるため」みたいに考え方を変えて事に当れる様にできたら、不幸な気持ちにならないで済むのになーって。

そう考えると、裕福な家では無かったので田畑の手伝い・バイトで色々な事を覚えたし身体も鍛えられた気がするし、警察官時代に数を打ちまくった職務質問で他人と話す事が出来る様になったし、警備隊時代には技術や山の経験を積んだし、腹を立てて警察辞めて来たけど今の伏線だったのかも?とか、ここでは書けないバカをいっぱいやって周りに助けられてきたし・・・等々の経験が今に繋がっているんだろうな~って。

成り行きですが、私達は黒部の為に自分に出来る事!自分がやらなければならない事!をこなして来たつもりですが、出来ない事はして来ませんでした。それは、事故に直結するのを知っているからで、工夫して知恵を出して困難を乗り越えて来たのですが「自分を知って」「経験」を活かして山を見て考えて来たからこそなのです。(もちろんその時々に頼もしいメンバーが集まってくれて)

だから勇気を出して一歩踏み出さないと「経験の蓄積」を積むチャンスを逃す事に成るかも?

それにしても次々と訪れるアクシデント・イレギュラーは、イタズラ好きな神様の掌の上でコロコロと転がされているのではって思う事が時々あります???

私は、いっぱい失敗もドジも踏んで来たし、その度に落ち込んだり凹んだりもして来ましたが、結論として、出来るのに前に踏み出さない事で後ろめたくなったり後悔するのが嫌なので、前に進んで大変な事でも自分に都合の良い様に考えるようにすれば良いかな~って思える様になりました。

(こんなこと言って偽善と思われない様に、「意見書」みたいな金にならない事で動くのもそこそこ大変なんですけどサダメと諦めてます)

なぜか最近「巡り合わせ」「縁」みたいなものを感じたり話題になったりしたので、一緒に頑張ってくれているメンバーと応援してくれている方々への感謝を込めて書いてみました。 

神様の掌の上で・・・。

2019-05-15

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新緑真っ盛り!

警察官時代に、覚せい剤事犯の卸元の長期間の張り込み捜査では県内はもとより金沢~春日井と私が現場に行った時に限って犯人確保をすることが出来たり。 (「次は香港に行けと言われたらどおしよう?」等と意気揚々と富山に帰ってきたら、管内で身元不明の焼死体が発見されて大騒ぎになって・・・その後は焼死体の歯型を頼りに近県へ歯科医への聞き込み捜査に駆り出されて結局迷宮入りに、その年は山岳警備勤務に付けませんでした) 

昇任試験の勉強など全くしていなかったのに、試験問題が法学から実務中心となって試験に受かったり(先輩の分隊長が、剣岳で訓練中に殉職した次の年で・・・タイミングが???) 

私が、剣沢勤務の時に事故が多発したり(先代の剣山荘の主人に「お前が来たら遭難が有るから来るな!」って言われるほど) 

また私の勤務日に限って、当時は珍しかった司法解剖事案が発生して、誰も好んでやりたいとは思わないであろう?死体解剖の補助員を立て続けにさせられたり・・・。(ちなみに、解剖を終えて帰って来てから「鉄壁の不動心」の為、一緒に解剖補助員してきた警察学校出たての後輩を連れて、ホルモン焼きの店に食事に行きました。今こんなことをしたら「パワハラ」って言われるんでしょうか?ちなみに、新鮮系以外の話ではもっとエグイものも有るのですが、夜中に絶叫する方が出るかもしれないので?この程度にしますが、見た目・臭い・感触等々慣れてないとシッカリ仕事を出来ないんです。嫌な仕事でも、人知れずシッカリやらなければならない仕事もあるのですから、一事だけを取って決め付けないで!)

阿曽原に来てからでも、数十年に一度クラスの洪水や大雪、何百・何千年に一度の落石などの自然災害で、まだまだ借金まみれだった山小屋営業が出来なくなって、そんな時に黒部でコアな山仕事を請け負っていたガイドがヒマラヤで亡くなってしまい、結果として災害復旧に携わる事になったこと等は、自分の意思とは別の所で動く周りに翻弄されなら???その時々で行って来た困難な仕事や、事有る毎に一緒に汗を流してくれる人間が現れてくれて「縁」みたいなもの感じたり?ただの偶然なんだろうか?と思う事があります。

あなたは、神を信じますか???Ⅱ

2019-05-14

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小屋での一番大切な仕事が、現在では廃道になった北又雪渓コースを下って二又吊り橋までのパトロール兼客引き(誘導)でした。 毎日状態の変わる、谷底の雪渓を縫いながら多い日には4往復したことも。

ある日、小屋の主人が「玉子」をボッカしに宇奈月まで下るので、二日間はパトロールに行かず留守番をしていた日に登山者が三人雪渓崩壊の下敷きになって亡くなる事故が発生しました。

たまたま、その日だけ行かなかったのに「もしも通っていたら?」背中が寒くなったのを覚えています。

数日後、小窓雪渓で遭難事故が発生した際に小屋に泊まった警備隊員と剣沢小屋のTさんと話す機会を得る事が出来ました。

警備隊員のSさんは後の先輩として、厳冬期の清水岳での大学山岳部の救助活動等危険な現場を共にしたり、Kさんとはニュージーランド登山旅行に一緒に行ったりと、それぞれ濃い付き合いをさせてもらいました。

剣沢小屋のTさんには、新人隊員の頃からなにかとかわいがってもらっていたのですが、平成8年のGWに怪我をされた際、阿曽原を引き継いでいた私に、現在の「山小屋サミット」にあたる「夏山相談会」にTさんのピンチヒッターで参加する事になり、そのまま毎年東京でのイベントに参加させて頂いてます。

そしてTさんの怪我が思いの外重傷で、剣沢小屋での仕事の復帰は難しくなったと分かった頃に、剣岳の富山平野側の登山口「馬場島荘」の管理の後見人みたいな立場でいた私達でしたが正直持て余し出したタイミングと重なり、Tさんに馬場島荘の管理をお願いした経緯があります。

そもそも阿曽原を引き継いだことにしても、公務員志向の強い富山県で警察を辞めようかと考え出した私がいて、同じタイミングでまず外に後継者を求める事の無い「国立公園内の山小屋」が後継者を探しているなんて! 出来過ぎと言うか、偶然にしては話がうますぎると言うか・・・。

続く!

 

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