阿曽原温泉小屋

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正しい雪洞生活?

2021-03-09

写真

稜線に裏側は、小黒部谷になります。

訓練計画では、剱岳頂上で早月尾根隊・小窓尾根隊と全員で合流する予定なので、赤谷尾根隊の我々はコースの距離が一番長くモタモタしていられません。

藪尾根だった尾根も、高度を上げると雪稜となりカンジキでガンガン登り樹木が低く細くまばらになり「這い松」が所々見え出す頃には、氷化してはいないものの強風に吹き付けられた雪面がパンパンに締まってアイゼンを効かせながらの登高になり、頂上直下の急斜面では風が強い中でアイゼンの出っ歯の爪とピッケルだけが頼りで、重いザックもあってフクラハギをプルプルさせながらの歩行になりました。

赤谷山頂上 に着いても登頂の喜びに浸かる間も無く、強風の中で雪洞を掘れそうな斜面を観察します。 岩・這い松等が雪面に出ておらず、スコップで掘れる硬さで厚みがあって夜中にトイレに外へ出ても滑落するような急斜面でもいけません。

写真は馬場島からの赤谷山ですが、富山湾から早月川沿いに風が向かい馬場島から枝分かれする沢筋通りに風が抜けるのですが、頂上付近の稜線は何時も北西の風が吹いているので見えている側の稜線付近にはそれほど積雪はありません。(北西向き斜面でも、谷・沢の中には積雪が沢山ありますから)

頂上から劒岳側の稜線を少し下った奥に下った若干傾斜が緩んだ斜面に行くと、雪が柔らかくなって岩や這い松も顔を出していない場所で「ここならば!」と雪洞を掘ることに決めて、5人で交代しながらスコップを振るい雪のブロックを穴の外に押し出して掘り進めます。

先輩方の積み重ねの上に

2021-03-08

写真

赤谷山~白萩山~赤ハゲ~白ハゲ~大窓コル~大窓の頭(森林限界が分かるかと)

翌朝は雨は上がっていたものの薄くガスが掛かった中を、窮屈な体勢だったので節々が痛く寒くて寝不足の重い身体に気合を入れて赤谷尾根を登り出します。

赤谷尾根 は藪尾根で岩場が無いので簡単そうに見えますが、途中が痩せ尾根となっていて雪の付き方が悪いと慎重に通過しなければなりません。

富山県警察山岳警備隊が発足したのが昭和40年ですが、昭和44年1月に剱岳一帯で15パーティー81人が雪山で行動不能となって救助要請が入ります。

遭難救助要請を受けても、当時の山岳警備隊の技術・装備・知識では厳冬期の赤谷尾根に登って救助活動など出来るはずもなく、山岳警備隊の先生役だった立山町芦峅寺 の立山ガイド・山小屋の主人・猟師等に応援要請をして赤谷尾根を登って救助に向かったことがあったそうです。

その際、芦峅寺からの応援メンバーの一名が痩せ尾根から白萩川側に数百メートル滑落してしまう二重遭難が発生してしまい、芦峅寺の立山ガイド故佐伯栄治さん 剣沢小屋先代主人佐伯友邦さん の二名が谷底まで降りて決死の救助の末に助け出しました。

(NHKプロジェクトX「魔の山大遭難 決死の救出劇」で紹介されています)

「想定外」って言い訳は・・・。

2021-03-07

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左奥白く高い山が「赤谷山」 右手前に下る「赤谷尾根」 

平成2年3月3日昼前に馬場島を出発、各班それぞれのコースから入山しました。

入山日は気温が高く小雨が降っていて、加えてこの年は積雪量が少なく元々登山道の無い 「赤谷尾根」 は藪と穴だらけの不安定な残雪で歩き辛く初日なので荷物も重く登るのに苦労しました。

もう一つ決定的な問題が・・・いかな3月とはいえ寒気が入れば厳冬期と同じ気象条件になる雪の剱岳に登ろうとすれば、テントで夜は眠り吹雪が来ればやり過ごすのが普通の登山スタイルなのですが。

しかーし、我々の班長のT分隊長(後の隊長)の提案で「赤谷尾根~池の平山~剱岳~早月尾根~馬場島」を全て雪洞のみで歩き通す計画で・・・雪洞の入り口の穴を塞ぐための小さく薄いツエルトだけを持って入山したのでした。

ただの無謀登山者!に見えますが、装備が万全の状態で救助活動に出れる時ばかりではない! 現場でアクシデントが発生すればテントを利用できなくなるかも! 最悪を想定しての理由からで 寒いのを我慢するのも訓練! やり通せる体力・経験に裏打ちされた自信があればこそ? 決して山を舐めたり・・重いから止めよう等とヨコシマな考えからではないのですが・・・。

我々パーティーは、夕方になっても雪洞が掘れる積雪量の多い標高までは届かず、仕方ないので樹木が折り重なって竪穴形状で周りに残雪で壁が出来た形の場所でビバークすることに。(想定外?)

天井にツエルトを張り込んで屋根にして、雨が滴り風が吹き抜ける竪穴で着の身着のままの5人は車座に座って訓練初日のビバークを過ごしたのでした。

鍛冶さんの日

2021-03-07

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遺稿集に描かれている「剱岳北西」:故人の父上の画

随分昔の話になりますが平成2年3月7日、富山県警山岳警備隊は劒岳において訓練中でした。

当時現役隊員であった私も所属の入善署から訓練に参加して、3月3日から 馬場島 より早月尾根班・小窓尾根班・赤谷尾根班の三班に分かれて剱岳に向かい頂上で合流する計画で行動しました。

早月尾根班の鍛冶分隊長が、「カニのハサミ」基部から上部を目指してルート工作中に足元より表層雪崩が発生して池ノ谷右股に雪崩と共に流されてしまいました。(「カニのハサミ」剱岳に登る別山尾根ルートの平蔵のコルから早月尾根を見ると目の前に見える単独の岩峰ですが、昔はもう一つ岩峰があって一対となって「カニのハサミ」と名付けられた様ですが、一つは崩落して無くなったと聞いています)

7月17日に 池ノ谷右股 の雪渓上にて御遺体となって発見されたのでした。前日の強い雨で融雪が進み現れたものと考えられ、事故発生から実に132日が経過しており発見地点は事故発生現場から800m下部地点でした。

発生当日は、赤谷班として小窓から三の窓を目指していた我々でしたが、三の窓で小窓尾根班と合流して天候悪化により待機を指示されて、無事を願うばかりで何もできないもどかしさの中で雪洞を掘ってビバーク準備に入ったのでした。

これも何かの縁?

2021-03-06

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チラ読みですが、行動力ありそうな著者です。

昨日は、車のドライブレコーダーを保険屋さん推奨のものに取り換えるために整備工場に持ち込んで、待ち時間に行きつけの床屋まで歩いて行って帰って来れば・・・って目論んでいたのですが・・・。

もう少し時間が掛かりそうなので、床屋の帰りに廻り道して本屋に寄ったら見付けて、昨年頑張った「欅平ビジターセンター」の塗装作業で、応援に来てもらっていた多賀谷ガイドも少し関係しているらしく、劒岳を登ってから阿曽原に来られる登山者との話の種にもなるかも?って買ってきました。(先日「剣岳 点の記」のこと書いて直ぐに見付けるって?)

「何かの縁」って訳ではありませんが、今まで「たまたま偶然が重なってって」ってことありませんでしたか?

もしかしたらチャンスだったかもしれないのに、一歩踏み出さなかったばかりに・・・ってことがない様にって、「縁」「タイミング」みたいなものを大切に!って常々考えて日々を過ごしております。(のせられて「特殊詐欺被害」に遭わない様に眼力を磨かねば!)

竹内まりや 「縁の糸」 ほんわか聴けて良い曲です。

※参考

昨夜「FM鎌倉」の番組で、阿曽原噺がオンエアーされたそうですが(私は聞きそびれました)、ラジオ局に問い合わせが多々入ったらしく・・・岐阜に住んでいるはず?のスタッフからも連絡が入りました。 与太噺と聞いていたのですが、小屋主が知らないところでの話しでも「阿曽原」ワードで喜んでもらえているのなら・・・「ヤッパリ頑張らないとなー」って思ってしまいます。

パッと見だけでは!

2021-03-05

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樹木の根元や周りに、穴が発達しているのが分かりますか?

昨日は、トロッコ列車の宇奈月駅の向かいにある「セレネ美術館」の会議室で理事会に出席してきました。

山腹も駐車場周りにも沢山の雪が残っていて、天気が良いのですが吹き抜ける風が冷たかったです。

今冬は、雪の降り方や気温差が激しくて・・・平らな場所での積雪量の変化だけ見て「例年並み」って簡単に言えない様な気がします。

半月前に欅平の奥鐘橋の除雪作業直前に、まとまった降雪があったのですが除雪期間中に気温がグングンあがり下界では20℃オーバーになったことがありました。

その日は橋の上で作業していたら、あっちこっちで雪崩が発生していた様です。(動画を送ってもらいましたが、このページには載せられませんでした)

斜面の積雪は時間が来れば雪崩出すのですが、一気に積もった後に急激な気温上昇だったので、斜面に張り付いていた残雪が融ける暇がない状態で雪崩出してしまえば雪の量が多くなり雪崩ルートの樹木・施設を破壊する確率も高くなり停止した場所に溜まるデブリ量も多くなってしまうのではないかと予想しているのですが???

数日前のニュース映像で、「越後湯沢」で雪崩の研修会をしている先の山腹で本物の雪崩が発生しているのが流されていました。その時のコメントで「残雪がそれなりに残っているのに、気温が高いから樹木の周りに出来る穴が大きくなってしまい残雪が不安定」とのことでした。

どんな世界にも、パッと見だけでは解らない事があるのです。

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