阿曽原温泉小屋

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事故を起こしてはいけないのです。

2021-03-30

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その後の捜索活動は、「池ノ谷右股」に直接入って長時間留まることは雪崩の危険が大きすぎるため、ヘリコプターからのパトロール・小窓尾根1,600mにベースキャンプを設けて池ノ谷内の監視を続けることとなり、雪崩の危険が少なくなったGW明けからは池ノ谷の雪渓上を直接歩いての捜索・池ノ谷ゴルジュ出口に流失防止ワイヤーネット設置・雪氷学者の現地調査・ベースキャンプを池ノ谷へ移設等々が続けられたのでした。

7月17日、前日の大雨で雪渓が一気に融けてくれたおかげで 池ノ谷右股中央ルンゼ出合 付近において発見され、天候が悪くヘリコプターでの収容が出来ず、現場の発見隊員と応援隊員が向かって、後輩達の背中に背負われて「132日」振りに馬場島まで帰って来られたのでした。

大自然の厳しさ!人間の無力さ!を改めて思い知らされましたが、なによりも御遺族の悲しみを目の当たりにして「事故は絶対起こしてはならない」と心に刻み込んだのでした。

ちなみに鍛冶さん・丸山隊員は現役隊員としての訓練中の殉職事案でしたが、山岳警備隊のOB隊員であった「郷さん」も山菜取りで転落死した男性の遺体収容中に雪渓ブロックに挟まれて魚津市の山中で殉職されております。

偶然なのかもしれませんが、三名とも私と同じ「旧下新川郡」とされる富山県東部の出身でした。富山県内でも同郷というか、言葉訛りが似ていて親近感を持っていた人ばかりが山で亡くなってしまう形となってしまいました。

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