阿曽原温泉小屋

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安全に山を楽しんでもらうために

2025-11-23

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圧巻40Kgカンパチ🐟の兜焼き!(横の生中ジョッキと比べてもらえば・・)

続き

参考:富山県登山届出条例

  :【幻の厳冬期初登攀】

私は救助・捜索・訓練等で特別危険地区へ入って来ましたし、現役当時には冬季訓練中に先輩隊員が早月尾根から池ノ谷右俣への転落事故や、後輩が同じく冬季訓練中に池ノ谷左俣で雪崩に遭ってしまう痛恨の事故を体験・事後処理等を通じて剱岳「冬季間の特別危険地区」の怖さは身に染みているつもりです。

世の中様々な考えや価値観を持っておられる方がおられる訳だし、純粋に冬の剱岳に限らず「チャレンジ」することについては否定するものではありませんが、事故の確率が非常に高いエリアに入るのは無謀!以外のナニモノでもないのでは?

実際に条例制定当時にも「個人の活動に役所がブレーキかけるのは納得いかない」って意見も多かったと聞いていますが、上記youtube見て頂ければ経緯を理解して頂けるかと。

続く・・・

※反省しても反省しても???

今シーズンの奥山の仕事を一部を除いて済ませたことだし、シーズン中のクラファンその他諸々慣れない仕事を関係者で頑張って来た事から、都合のつく九人で集まって「イッパイ飲もうか」ってことで山から下りて初めて「吉今日」さんへ行って来ました。

大将が「かわったものが手に入ったから」って出してくれたのが、蜃気楼で有名な魚津漁港に上がった40Kgのカンパチの兜焼き!(あまりの大きさにローカルテレビが漁港に取材に来たとか?)

焼き上げるのに一時間以上かかったという、ホホ肉・カマ・カシラは肉厚で皮はパリパリ旨くて、調子に乗って熱燗酒を先に食べ尽くしていたカニの甲羅に注いでしまうとグイグイ進んでしまい・・・

二次会で寄った「GAKU」のマスターから、昨日「昨夜は珍しく一杯しか飲まれませんでしたね?」ってメールが入る始末で・・・昨日は反省しきりの小屋主なのでした。

なんでワザワザ?

2025-11-21

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赤谷山~白ハゲ~赤ハゲの北方稜線・・・赤谷山から手前に伸びる赤谷尾根

年末年始の剱岳登山者は、二昔し前以前から減ってしまった印象ですが、それでも年末になると難行・苦行と解かっているはずですが?剱岳を目指して登山者がやって来ます。

「なぜ危ない剱岳に?しかも厳しい真冬に登りに行くのか?」

そんな思いを持っておられる方もおられるとは思うのですが・・・

自分の限界への挑戦・ヒマラヤ登山の訓練・山岳会や山岳部の伝統・・・等々、それぞれに目的をもって登りに来てくれるのだと。

昔々ですが、私が雪山に登って自分が歩いて来たトレースを振り返って見た時に、登山道は隠され自分達の足跡が雪の尾根に延々と続いているのを見た時の充実感と言うか「今だけは、この山は俺達だけのもの」みたいに感じて感動していたのを記憶しています。

登山は登山道歩きだけではなく、沢登り・藪漕ぎ・岩登り等も登山に含まれるのと同じで様々なスタイル?登り方?が有るからこそ、年齢・体力・経験の応じて山に接することが出来るのが魅力なのではないかと。

そして山に入れば、絶景に感動させられ!そんなところに頑張って歩いて来た自分に感動出来る!って事を知っているから皆さん山に入られるのではないかと??

ただし冬期間の「剱岳」については、あまりにも危険な「池ノ谷」「東大谷」などが県条例で特別危険地区として立ち入り禁止区域として指定されています。

尾根から転落して危険地区に入ってしまうのと違い、自ら危険なエリアに入り込まれても、万が一事故が発生したとして救助に向かう隊員にしてみればたまったものではありません!

続く・・・

強い気持ち!

2025-11-19

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本峰!

続き

遭難者は急斜面を800mほど雪崩と共に転落して行ったはずなのに、ダメージは少なかったのだろうか・・・

新雪の集まる谷底の深雪の中の下降では両側からの雪崩は当たり前に発生していたはずだし、小窓尾根の登り返しも深雪の急登を一人でラッセルしながら登り返していたとは「生きて還る!」という強い意志で、小窓尾根を乗り越えて助けを求めに下降中に再度事故に遭って白萩川に転落してしまったのではなかろうか・・

ちなみに池ノ谷は、下部に険しい滝の連続でゴルジュ帯があり直接下降することは危険過ぎるので、登山口の馬場島に向かうにはゴルジュ帯入り口手前で向かって右側の小窓尾根の1614mピークに登り返して~尾根をしばらく下って~白萩川に降り立ち馬場島に向かうのが一般的なのですが、遭難者は無闇に池ノ谷を下降せずに冷静に通常のコースを採ったことが分かります。

どのポイントで小窓尾根に登り返したのか・・どこで白萩川側に転落してしまったのか不明ですが、とにかく小窓尾根上まで登り返していなければ白萩川で遺体が発見されることはないのですから。

後日、山岳会や仲間達が池ノ谷右俣でもう一名の遭難者を発見したのですが・・・驚いたことに、岩壁の庇の下で腰掛ける姿で発見され「アイゼン」は脇に並べて置いてあったとのことでした。

この方も転落直後は生存していて~ダメージを受けていたため下降は諦めて~現場近くで雪崩に遭わない様に岩壁の庇の下で救助を待つ体制を取っていたのではないかと・・・

白萩川で発見された遭難者は、どんな気持ちで下降していのだろう・・・思い返すと今でも胸が締め付けられる遭難事故でした。

奇跡!

2025-11-18

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前ページ写真の裏側、左より劔本峰~八峰~三の窓~小窓ノ王~マッチ箱ピーク

古い話ですが、私が隊員になる前年の昭和54年年末に早月尾根2,800m上部「シシ頭」付近で池の谷右俣へ二名が転落する事故が発生してしまいました。

厳冬期で池ノ谷へ下降して捜索することは、あまりにも危険が大き過ぎて諦めて翌春以降の捜索で見つけてあげることにしたものと考えます。

私が隊員になって上市警察署勤務していた初夏だったと思いますが、白萩川の池ノ谷合流点から上流の川の中で人間の片足が沢の中に有るとの通報で収容に出動した事があります。

冷たい沢の流れの中で、血の気が失せて真っ白になった片足が付け根から水に洗われていました。

長さ・太さ・足のサイズ等から、それなりに立派な体格の男性ではなかろうかと想像出来ました。

付近を捜索しても胴体などは見つからず、取り合えず膝で折り曲げて大きなビニール袋に入れて背負い子に固定して担いで白萩川を下って帰署しました。

後日、その御遺体は年末に早月尾根から転落した方の一人で有ることが判明したのですが・・・

転落したのは池ノ谷なのに、小窓尾根を越えた白萩川で発見されるとは!

続く

池ノ谷・・・「行けぬ谷」とも言われて

2025-11-17

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正面が剱岳早月尾根!左側に伸びる北方稜線~三の窓~小窓尾根(小窓ノ王・マッチ箱ピーク)

昨日残念なニュースが・・・

剱岳早月尾根を、下山中の登山者の姿が見えなくなったと同行登山者からの通報で消防防災ヘリ「とやま」が捜索したところ「池ノ谷右俣」標高2,060mで女性の遺体を発見したとのことです。

ニュース記事

事故発生は早月尾根を下降中とのことですが、誰も目撃していないため滑落地点はハッキリしませんが遺体発見場所から推察すると標高2,800m以上の岩尾根から800m前後は転落してしまったのではなかろうか・・

現役時代の訓練と遭難者の捜索で、真冬以外は何度も馬場島から右俣に入ったこともありますし、一度だけ真冬の転落事故の際には捜索の為に早月尾根2,600m上部から右俣へザイルを伸ばして数ピッチ下降したこともありますが・・・転落してしまえば、ホボホボ助かる見込みのない急峻な谷です。

剱岳は既に冠雪しており、先行の同行者のトレースが残っていたとしても、足場の雪が崩れる・氷と雪と岩のミックスした岩稜は足場が悪い等々危険な状態だったのでは?

今日の夕方から強い寒気が入る予報で、山では相当な積雪が予想されているので、池ノ谷は雪崩の巣ですから雪渓と岩場の隙間にでも入り込んで発見することが出来ずに埋没したままになれば、来年の秋になるまで出て来なかったかもしれません。

捜索しようにも雪崩の危険があるので、谷底に入っての捜索は自殺行為! 

動いている等、生存が確認されれば話は別ですが・・(実際に3月に早月尾根を挟んだ反対の「東大谷中俣」に転落した大学生が生存していた時には「旧平蔵避難小屋」直下から隊員一名が下降して生存者と合流して救助した活動を四回に分けて書いたことがあります)

早月尾根の右俣転落事故では、1月に転落した遭難者が雪渓の中から発見されたのは9月に発見されたし、3月に転落した遭難者は6~7月に発見されています。

冬季間に次々と雪崩が発生してドンドン埋まってしまうので、早い時期に埋まってしまうと発見が遅れるのです。

残念な事故ではありますが、昨日のうちに見つけてあげることが出来ただけでも・・・

現場に出動された、消防防災ヘリコプター「とやま」のパイロットと現場に降下した隊員のチームの方々は、条件の悪い危険な右俣での活動ご苦労様でした。

昔の人は凄い!(冬枯れすると)

2025-11-15

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中央に水平歩道跡が見えます(阿曽原滝左側岩壁)

黒部峡谷の開拓期に、欅平~阿曽原~仙人谷ダム~十字峡~白竜峡~黒部ダムまで 水平歩道・旧日電歩道と道が作られました。

その時には欅平上部から上流に向けて水平に道が作られていたのですが、飛龍峡の仙人谷ダムを作ることに決まって欅平から建設用資材搬入トンネル(リンク地図茶色点線)のためと水路用トンネル(リンク地図青色点線)を掘るために、水平歩道からそれぞれの工事現場に高度を下げて現在の仙人谷ダムと阿曽原キャンプ場まで道が作られたようです。

仙人谷ダㇺへは人見合宿所裏の尾根から降りダム上流東谷出合吊橋を過ぎてからの急登、阿曽原は欅平側送電線鉄塔付近から降り阿曽原小屋前から急な登り返しになります。(リンク地図参照)

それぞれ山道を降りてから登り返して水平道に出るまでの区間は廃道になって使われなくなったのでした。

写真は、阿曽原谷左岸の雑木が冬枯れで葉っぱが落ちると現れる旧道跡ですが、小屋から見ると阿曽原谷の滝が見えるのですが、その左側の急斜面の岩盤に水平に削られた写真の痕跡が見える様になります。

ちなみに滝をはさんだ右側尾根に 送電線鉄塔 が建っていていますが、信じられないかも知れませんが昔は滝の前の空中に吊り橋が作られていた写真がトロッコ列車宇奈月駅二階の展示室で見ることが出来ます。(リンクページの写真を横断するように吊り橋が!)

昔の作業員は、凄い事して黒部に立ち向かっていたのです。

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