春です。
2021-04-03

白エビ解禁しました。
この記事の URL : http://azohara.niikawa.com/news/2021/04/n20210403a.html
2021-04-03
白エビ解禁しました。
この記事の URL : http://azohara.niikawa.com/news/2021/04/n20210403a.html
2021-04-02
剱岳~剣御前~大日岳(立山IC付近より)
先に早月尾根「シシ頭」から「池ノ谷右股」へ転落して命が助かった遭難事故の話を書きましたが、正確に言えば「しばらくの間は、行動できる程元気で生存していた」という事例がありました。
厳冬期の剱岳で池ノ谷に転落して生存していたなんて、鍛冶さんの発見現場は稜線から800mもの高低差がありましたが、頂上付近から転落すれば常識的に考えられないのですが・・・。
私が警察学校に在学中の正月登山で、早月尾根から剱岳登頂を目指していた地元の山岳会パーティーの中の2名が シシ頭 から「池ノ谷右股」にザイルに繋がれたまま転落した遭難事故が発生しました。
発生当時は救助活動も行われたはずですが、厳冬期の「池ノ谷」は雪崩の巣です。(富山県登山届出条例 の特別危険地区にされています)積雪期の「池ノ谷」入って捜索するのは危険極まりない行動になります。
転落した2名の方々は行方不明のままとなり、本格的な捜索は雪崩の危険が少なくなり、なおかつ雪渓の雪が事故発生時期の層まで融ける時期になるまで「池ノ谷右股」の捜索は待たれていたはずです。(3月上旬の層が7月中旬に現れましたが、正月前後の雪の層は9月頃に現れるはず)
その年の4月に、私は剱岳を管轄する上市警察署に着任して新米山岳警備隊員として活動することになったのです。(40年以上前の話しになるなんて・・・オッサンに成った訳だわ!)
この記事の URL : http://azohara.niikawa.com/news/2021/04/n20210402a.html
2021-03-31
左奥が「剣岳」頂上は丸く見えますが・・・
写真は、室堂平から望んだ左奥の白いピークが「剣岳」です。(写真右側枠外に「剣御前小屋」があります)
険しい山ののですが、この方向から見ると頂上には丸く大量の雪が積もっているように見えてます。実際、冬の剱岳頂上は風下の源次郎尾根側には沢山の積雪があって雪洞を掘ってビバークした経験があります。
しかし頂上からどのコースに向かっても、凍った岩稜・岩壁となっていて技術・経験・装備・天候等が揃っていないと登れない山なのは見ていただければ分かるかと。
頂上から左側に下っているのが 「早月尾根」 で、小さな白いコルに挟まれた小さく黒く尖った鋭鋒が今回の事故発生現場「カニのハサミ」になります。
その左側黒く傾いた台形が「シシ頭」と呼ばれるピークになります。
早月尾根の稜線裏側の谷が、鍛冶さんが発見された「池ノ谷右股」になります。 ちなみに、「カニのハサミ」から手前に白く見えるのが「東大谷中俣」上部になります。地形図を見てもらえれば、どちらも大変な急斜面(崖)なのが分かっていただけるかと。(このページで、三月に「東大谷中俣」へ3人が転落して一名が生存していた遭難救助に出動した話を書いてあります)
この記事の URL : http://azohara.niikawa.com/news/2021/03/n20210331a.html
2021-03-30
その後の捜索活動は、「池ノ谷右股」に直接入って長時間留まることは雪崩の危険が大きすぎるため、ヘリコプターからのパトロール・小窓尾根1,600mにベースキャンプを設けて池ノ谷内の監視を続けることとなり、雪崩の危険が少なくなったGW明けからは池ノ谷の雪渓上を直接歩いての捜索・池ノ谷ゴルジュ出口に流失防止ワイヤーネット設置・雪氷学者の現地調査・ベースキャンプを池ノ谷へ移設等々が続けられたのでした。
7月17日、前日の大雨で雪渓が一気に融けてくれたおかげで 池ノ谷右股中央ルンゼ出合 付近において発見され、天候が悪くヘリコプターでの収容が出来ず、現場の発見隊員と応援隊員が向かって、後輩達の背中に背負われて「132日」振りに馬場島まで帰って来られたのでした。
大自然の厳しさ!人間の無力さ!を改めて思い知らされましたが、なによりも御遺族の悲しみを目の当たりにして「事故は絶対起こしてはならない」と心に刻み込んだのでした。
ちなみに鍛冶さん・丸山隊員は現役隊員としての訓練中の殉職事案でしたが、山岳警備隊のOB隊員であった「郷さん」も山菜取りで転落死した男性の遺体収容中に雪渓ブロックに挟まれて魚津市の山中で殉職されております。
偶然なのかもしれませんが、三名とも私と同じ「旧下新川郡」とされる富山県東部の出身でした。富山県内でも同郷というか、言葉訛りが似ていて親近感を持っていた人ばかりが山で亡くなってしまう形となってしまいました。
この記事の URL : http://azohara.niikawa.com/news/2021/03/n20210330a.html
2021-03-29
立山町上宮より
三月九日、入山して初めての快晴の朝を迎えました。早朝から「つるぎ」が「池ノ谷右股」の捜索に当たり並行して「スパーピューマ」が我々を配置転換するために飛来してくれました。
快晴とはいえ「三ノ窓」上空はそれなりの強風が吹いているはずなのに、我々の真上でピタッとフォバーリングしながら高度を下げて、スライドドアから吊り上げホイストを出してワイヤーを降ろしてくれます。
昨日は、吹き上げる自然の強風で立つことが出来なかったのですが・・・今度は「スパーピューマ」の高度が下がって来るに連れて、強烈なダウンウオッシュで身体が押さえつけられて思う様に動けなくなります。
このページで以前、冬山でのヘリコプターのダウンウオッシュで「顔面凍傷」「金属製時計バンドが冷やされて腕が千切れるほど痛んだ」話を書きましたが、氷点下時での強烈な風はそれほど脅威なのです。
ホイストワイヤー先のフックに、ボディハーネスのカラビナを連結させて吊り上げてもらい乗員の方に機内に引き込んでもらって硬い床の上に尻が付いて一安心です。(乗員の方々は寒い上空で機体から身体を乗り出してワイヤー操作してくれていますが、万が一機体がバランスを崩すなんてことを考えると恐ろしくなります・・・信頼関係が出来ているチームってことです!)
次々と訓練隊員が吊り上げられて、早月小屋に降ろされて捜索態勢を取ることになりますが、上空から見える「池ノ谷右股」は真っ白で事故発生時の雪崩から二日間で案外雪が積もってしまい、あの広く真っ白な谷の中に鍛冶先輩がいるのだと思うと込み上げてくるものが・・・。
上空からの「つるぎ」の捜索は続けられていますが、事故発生地点の「カニのハサミ」から「池ノ谷右股」までの急斜面には「人影を見つけることは出来ない」との悔しい無線通話が繰り返し聞こえて来るばかりでした。
この記事の URL : http://azohara.niikawa.com/news/2021/03/n20210329a.html
2021-03-26
北陸自動車道 立山インター近くより
翌日は、引き続き悪天候でヘリコプターでの人員輸送も見合わせとなり頂上経由で向かうにも新雪が積もり「池ノ谷ガリー」の急斜面を登り返すには余りにも雪崩のリスクが大きすぎるので、本部指示で我々は「三の窓」で待機となる。
動きが取れず歯がゆい思いをしていると、断片的に聞こえて来る無線交信で事故を知った山岳ガイド・山小屋関係者・民間救助隊員が続々とサポートに馬場島に来てくれて行動して頂いている様でした。
午後には民間の大型ヘリコプター「スパーピューマ」が支援に来て捜索に当たってくれていますがガスが湧いていて「池ノ谷」の中に侵入できずにいるようでした。
夕方になって「三ノ窓」の風は強いもののガスが薄くなって上空は抜けて来たので、我々を捜索ポイントに配置転換するために「スパーピューマ」が上空まで飛んで来てくれました。
しかしコルへ出ると「池ノ谷左俣」から吹き上げる風は増々強くなり、重装備で重くなっているにもかかわらず風で飛ばされるほどで、コルで頭を風上にして片足は風下に伸ばして屈んで踏ん張らないとその場に留まっていられません。
爆音が聞こえて来て、はるか上空に来てホバーリングしていますがそれ以上高度を下げて来ません。(さすがスーパーピューマ!我々が立てない風の中でもホバーリング出来るとは)
ホイストが装備されている巨大でパワーのある機体でしたが、地上までがあまりに長い距離で風に煽られてホイストのワイヤーを降ろすことが出来ないのでしょう。
そもそも危険な急斜面が両サイドにあって、我々自体が強風で立つことが出来ないのに、ワイヤーの先に付けられたフックが風に煽られて何処に行くか分からないのに・・・まして10人の隊員が居るのですから一人二人は吊り上げられても全員はどう見ても無理に思えました。
結局、我々の吊り上げは諦めて我々はもう一晩雪洞ビバークすることになったのでした。
この記事の URL : http://azohara.niikawa.com/news/2021/03/n20210326a.html