阿曽原温泉小屋

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尻に火が点いています。

2022-05-24

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ノンビリ食べ放題?

欅平までの、山腹調査&防護設備の設置は終わらせて、26日に迫ったトロッコ列車の全線開通には問題ないのですが・・。

今年は本線開通が遅れた関係で、工事専用線沿いの作業着手許可待ちで遅れていて更には別件で厄介な問題が発生していて(トロッコ運行には支障なし)・・・来月5日から予定している小屋建てまでに終わらせることが出来るのだろうかと心配になって来ました。

小屋建てを遅らせれば、第二週から名古屋の「夏山フェスタ」 参加にかぶって来るし、更には梅雨入りの心配が・・・。

まだ小屋建ての準備に、屋根・建屋のサポート材(突っ張り柱)の撤去や水道引きなどを終わらせないといけません。

そうそう名古屋の宿の手配もしなければ、って・・そもそも車で行くか?列車で向かうか決めてないし、持参するパンフの手配等々雑多な準備は小屋建てが始まれば出来なくなるのは目に見えています。

そんな私のアタフタを知ってか知らずか、阿曽原谷の雪渓の上に大きなカモシカがノンビリ現れて・・私に気付くとジッとこちらを窺って、私が雪渓から近づこうとするとドコン・ドコンと競走馬のごとく?向こう岸に向かって駆けだして、そのままの勢いで登山道を駆け上って行く音がしばらく聞こえていました。(そこまで逃げなくても・・)

奴らにしてみれば、この時期は暖かいし山菜の新芽が豊富で食べ放題でパラダイス状態なんだろうな~。少し羨ましく感じてしまう小屋主なのでした。

被害なしなんですが?

2022-05-23

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物置きの壁が?

被害らしいものは無かったのですが・・・。

物置の外壁のトタン板が???近付いて、見るとトタンに裂かれたような?引っ掻き傷?叩かれた?みたいな痕跡が・・・。

食品が入っていないのが臭いで分かって諦めたのか?クマにしては、優しい痕跡に見えます。

いずれにしろ、他から力が加えられたのには間違いないのですが??

そういえば、欅平で山腹調査中にも「イラクサ」の新芽だけがやたらと食べられていたのですが・・・大岩の脇の平らな場所で「クマのフン」が一所に盛り上がっているのを見つけました。

元々、彼らのエリアに我々が入り込んでいるのですが・・出会わない様にするに越したことはないのだから、ラジオ・おしゃべり・スズ等で、こちらの存在を伝える様にせねば!

やっぱり多め!

2022-05-23

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昨年、キャンプ場に砂利を撒いたので水溜りが少ない!(もう少しほしい)

18日の仕事の合間に阿曽原の様子を見て来ました。

阿曽原の残雪嵩は多目で、キャンプ場から阿曽原谷まで雪渓がつながっていました。(写真右側、対岸のコンクリートの三角擁壁近くまであります)

ただし雪渓は土砂・腐葉土などは少なめでキレイで、溶け始めると早いのではないかと思うのですが・・・気温・雨量などで残雪の消え方は大きく違ってくるし、雪渓の嵩が高いままで裏側に沢の流れで作られるトンネルだけが発達して、危険な残り方になる事も有ります。

阿曽原谷については、継続して観察が必要ですが・・・欅平から見えた「小太鼓」前後の水平道には残雪は見えませんでしたが、水平歩道の志合谷・折尾谷もそれなりに嵩が高いかもしれません。(小屋に入ったら様子を見て来ます)

小屋も露天風呂も被害らしいものは無かったので、来月上旬に小屋建ては予定通りに出来そうです。

旅立たれました。

2022-05-22

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雪の大谷付近からの剱岳

昨日、佐伯友邦さんの葬儀が滞りなく執り行われました。

山岳関係者・取引業者・遭難対策関係のみならず、各界からの献花で壇上が溢れんばかりでした。(映画「点の記」関係では、木村大作監督・香川照之様・仲村トオル様・松田龍平様などからも)

コロナ禍での葬儀スタイルとのことで、親族以外は開式前に焼香を済ませて帰る形で行われたので、心配していた混雑・混乱もなく割とスムーズに終えることが出来ました。

私が友邦さんと最後に言葉を交わしたのは、一月前の先月19日に芦峅寺の御自宅を訪ねた時ですが、玄関まで出て来られて私だと分かると「イズミなぁ、入ってこい」と居間に入れてもらいました。

奥様が美容院に行っておられるとのことで独りでおられたので、お土産に持参した生地漁港の「カレイの干物」と奥さんが喜ぶかと途中のイチゴ農園で買って来た完熟イチゴを冷凍庫と冷蔵庫に勝手に納めさせてもらって、ソファーに座る様に勧められたのですが・・・。

見れば鼻に酸素吸入のチューブを装着しておられて、足には靴下を重ね履きしているみたいに見えるし・・話し掛けても大儀そうなので、最初に辺り障りのない会話を少しだけした後は、二人でテレビを見て過ごしてきましたが・・・あの時が最後になってしまいました。

昨日奥さんと話ししたら「あの時のイチゴ、友邦さんが一人で食べたんよ」とのことで、当てが外れたけれど最後の届け物が喜んで頂けたのなら「結果オーライ」だったのですが・・・もう少し喜んでもらわないことには、頂いて来た御恩を返し切れないのが残念です。

訃報!

2022-05-21

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別山乗越からの「剱岳」(右奥に白馬岳)

剣沢小屋の先代御主人の「佐伯友邦」さんが18日に亡くなられたと、欅平から仕事帰りのトロッコ列車へ電話が入りました。

7年前に剣沢小屋で体調を崩されてから、主に自宅療養しておられたのですが・・・。 御遺体は、剣沢小屋の食堂の板の間に転がって昼寝をしておられるような・・穏やに目を閉じておられました。

42年前に新人隊員として剣沢に入った時、私が池の平小屋のアルバイトあがりという事でペーペーの一年生の頃から可愛がっていただきました。

昭和57年8月1日、猛烈な台風の直撃を受けてた小屋で瀕死の負傷者を看病しながら吹き飛ばされそうになる小屋を大きな柱でつっかえ棒して夜通し守ったこと。

昭和58年から小屋の場所を雪崩の被害が少ない場所に変えたはいいが、雪のズリ下がりで倒壊しそうになるのを避けるために、春山シーズンには毎年新築の大きくなった小屋を掘り返したこと。

警備隊の訓練で剣沢小屋で宿泊させてもらっていた時の事、私達の班がヤラカシテしまい・・当時の幹部連に食堂~部屋と場所を移しながら散々叱られた後に、消灯後には更に私とN隊員二人だけ真っ暗な食堂で追加で延々と叱られた翌朝、「なーん大した事泣いちゃ」って声を掛けてもらったこと。

ご飯を圧力釜で炊くのが友邦さんの役目で、炊飯量・時間などで圧力調整しなければならないのに、遅くなっても剱岳から帰ってこないお客さんがいると心配して圧力鍋そっちのけで食堂の窓に張り付いて双眼鏡で剱岳を監視しておられたこと。

普段は話しするのも写真撮られるのも苦手な方だったのに、芦峅寺衆の血が騒ぐのか?クマ撃ちの話になると何時間でも楽しそうに話しておられて、陰で「話だけ聞いてると何十頭も仕留めて来たみたいやの?」って言われるくらい語っていたこと。

山の事・山岳遭難の事・山小屋の事・お客さんの事・クマの事・山菜の事・・沢山教えていただきました。

佐伯友邦さんに、お世話になったガイド・山小屋・救助関係・行政・取引業者等々大勢おられますので、会場の混乱緩和になればと昨日・今日と御通夜~葬儀の受付のお手伝いをさせてもらっています。

「泡雪崩」の痕跡!

2022-05-16

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猫又駅対岸に

先に紹介した「猫又駅」対岸で発生した「ホウ雪崩」が通過した写真の拡大ですが、樹木がなぎ倒されて、樹皮が剥がされているのが確認できるかと!

それにしても欅平までの沿線で、ここだけが雪崩被害が出ているのはなぜなのか???

今日も6時20分集合の7時01分発作業列車に乗って作業に向かいまーす。

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