昔の話しですが疑問に答えます!
2019-03-20
私が警察官を退職した理由について「疑問に思っていたけど、面と向かって聞けなくて」って先日も言われました。
あんまり外に向けては詳しく話して来ませんでしたが、不祥事でもヤラカシチマッタのかな?(見た目で判断しないで!)と思っている人もいまだにいる様なので書いてみます。
私が退職したのは平成5年3月末です。 当時の富山県警察は巡査部長に昇任したら、刑事・白バイ隊員等関係なく基本的に駐在所勤務を経験する制度がありました。 (例外もあって駐在所勤務をしない警察官もいましたけど・・・)
私は平成3年3月末に昇任して立山町の駐在所勤務を命じられました。異動内示の日は、剱岳での遭難救助中で数日前から平蔵のコルでテント生活していて、一週間後位にヘロヘロに消耗して下山した時には、引き継ぎどころか引っ越しも各種手続きをすることも出来ず、小学校に入学予定だった長男の転入手続が間に合わず、転居先の目の前の小学校に入れずじまい。
それでも体制を整えて駐在所勤務に当りましたが、当時は山岳警備勤務の他に、全国初の山岳救助研修会への参加・国体の山岳競技の監督として訓練や各種大会への出場・冬場の武道大会シーズンは朝から晩まで武道訓練等々、駐在所で勤務することがほとんど出来ませんでした。
被害届の受理・各種相談等、一般業務も不在の為地区の方々には不便をかけたし、普通の駐在さんならば出席する、学校・施設等への交通安全教室・公民館行事・消防団への慰問等々ほとんど参加できずに、地域住民からは陰で「駐在所ではなく不在所やね」と言われて・・・、自分としてはどうする事も出来ず申し訳ないやら随分悔しい思いもしました。
どう考えても無理がある配置なのに、当時の署の幹部は規則だからと見て見ぬ振りで、住民からの不平・苦情にも対応してくれるわけでもなく・・・。☆今の警察幹部の話しではなく、あくまで当時の話しですから!
次の異動の配置替えまで大人しくしていれれば良いのだけれども、若かったというか性格が・・・。(大人と言われる人達から見れば、こういうのをバカと映るのでしょうね)
大きな組織に不信感を抱くようになって~頑張って来た下界での仕事もやる気を無くして(山と武道は頑張ってましたけど)~上司に反発(口髭を蓄えて、署長に剃る様に言われても「明治時代の巡査は伸ばしていたでしょ」って反発したり)~そんな自分にも嫌気がさして来た時に「阿曽原小屋」を引き継がないかとの話が来て、後先考えずに勢いで退職を決めたのでした。
制服警察官が口髭を蓄えていては、バカと言われても仕方ないのですが、当時は生意気にも自分の仕事への自信とプライドの裏返し、そして制度に対する独りよがりの反発でした。
続く!
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