阿曽原温泉小屋

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たったの百年!・・成長の証人???

2025-03-19

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洪水時の「宇奈月ダム」は濁流が渦巻いてます

これまで何回も「たったの百年」と書いて来ましたが、そもそも黒部峡谷は険し過ぎて人間が立ち入ることが出来なかったエリアでしたが、開発に着手してみれば案の定?洪水・雪崩・崩落等々の災害(生きてる黒部にすれば、ただの地形変化?成長?)に見舞われながらの百年だったのだと・・・。

これは黒部に限った事ではないことで、日本一の落差を誇る「称名滝」も数十年前の写真と比べると形が変わって来ているのは解っています。

変化の激しい黒部峡谷のド真ん中で活動をしている訳ですから、「地形は変化して行くモノ」と受け入れてゆかねばならないと、三十年余りの間「小屋営業」「遭難救助」「災害調査・復旧作業」等々を熟しながら・・・驚かされ~教えられ~勉強させられてきました。

黒部は、そのダイナミックな変化が続いているからこそビジターに感動を与えてくれているし、そんな険しい黒部峡谷で、開発~維持~管理を続けている人間の凄さを伝えるために映画「黒部の太陽」が作られ、毎年の様にテレビ局の取材が核心部まで入って来るのではないかと?(田渕画伯の「黒部心象」然り)

黒部を訪ねてみたい方々には、御心配をお掛けしているとは思いますし、トロッコが止まった影響は富山県内の観光事業者全体に影響を与えているのですが・・・思い悩んでもどうしようもありません。

見方を変えて? 私達は普通の人では成り得ない「黒部峡谷成長の証人」になれているって思う様にしているのですが・・・

たったの百年!・・・再認識してきました

2025-03-17

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恐竜博物館は勉強になりました?(なんてったって研修会ですから?)

昨日まで「宇奈月方面山岳救助隊」の研修会で福井県へ行って来ました。

帰りに「福井県立恐竜博物館」 に寄ってきました。

私的には恐竜の分布・変化・・的なことよりも、大陸や日本列島の成り立ちの解説~富山市八尾町や亀谷産出の鉱石・化石も展示してあったし、今回の災害現場の鐘釣山を成している「石灰岩」の生成や 日本アルプスは「伊豆半島」に日本列島が押された歪み? みたいな検証も紹介されていて面白かったです。(時間内で廻り切れず少し残念でしたが・・)

「たったの百年!」って最近書いていますが、黒部が形成されてきた長い永い時間に思いをはせながら・・・その真っただ中で「ダイナミックな動き」を体感で来ているんだわなぁ~~なんてことを感じられて行って来て良かったですし、もう一度ジックリ訪れてみたいです。

※「恐竜博物館」恐るべし???

我々は午前十時半頃に到着してマイクロバスをスンナリ駐車できたのですが・・・正午前に帰ろうとしたら!!!

丘の上の博物館~クネクネ上山道路~県道交差点~県道の次の信号交差点・・・見通せる範囲の道路は長蛇の車列が渋滞していました。(北陸・近畿・東海方面のナンバーが多かったです)

日曜日・春休み・ポケモンイベントが重なってのことかもしれませんが・・・恐竜博物館恐るべし! (駐車場は乗用車で約1200台とのことですが・・・駅とのシャトルバスも渋滞で動けてませんでした)

たまには独り酒?

2025-03-14

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レバー串だけのつもりだったのに

一昨日は、地元のガイド・民間救助隊員仲間・世話になってる山道具屋さん・・・そして日本山岳ガイド協会副会長のイワオ氏がパキスタンへ行くというので、近場の山関係者だけで壮行会??みたいな飲み会をイワオ氏の地元魚津市の 「ぜんろく」 で集まって飲んで来ました。(若い頃の「ぜんろく」マスターは、私の同級生とバンド仲間だったらしく富山店の時代から時々お世話になっています)

私より少し若いイワオ氏ですが、パキスタンへ行こうという気力には脱帽です。

思いっきり楽しんで来てもらいたいものです。

呑み放題プラン終了で解散したのですが、時間も早いし黒部で途中下車して一杯ひっかけてゆこうかと考えていたのですが、次の富山地方鉄道は三十分余後なので・・・シャーナイから魚津駅前で飲めるところは無いかと、フラフラと焼き鳥屋さんに入ってレバー串とビールで飲み始めたのですが・・

店員さんが「お勘定済ませましょうか?」って言うので?そういえば、店に入った時に店員さんに「次の電車まで呑ませて」って座ったのですが・・・時計を見ると発車まであと10分!少し迷ったのですが、そのまま次の終電車まで一時間足らずを焼き鳥屋で1人で飲むことにして、サガリ肉・アスパラベーコン等々で「独り酒」おかげで昨日は少し呑み過ぎ食べ過ぎで・・・(呑み放題のメガハイボールが悪かった・・)

明日からは、毎年恒例のお楽しみ会?「宇奈月方面山岳救助隊の研修会」で福井までカニ食って飲んで来る予定ですが、寒くて山の雪がなかなか融けず・・今年は仕事に入るのが遅くなりそうです。

たったの百年! 下流域は、安全安心になりましたが

2025-03-14

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左側谷奥山で崩壊して押し流されてきた土砂で本流を堰き止めてますが、昔はそのまま下流に・・

黒部川流域の、災害のことを書き始めるとキリがないのですが・・・

近年は、ダム・砂防堰堤が作られて下流域での護岸整備も進み大きな被害は出ていません。

私が子供の頃は、黒部川河川敷には痩せた土壌に育つ「グミの木」が生い茂るばかりで他の樹木は見なかった記憶があるのですが・・・(河原でグミを摘んで来て「グミ酒」を自宅で作っていました)

近年の下流域の河川敷に、ソコソコ太く育った様々な樹木が茂る場所が目立つのは、チョイチョイ発生していた洪水が河原に自生する樹木をなぎ倒していたのを、ダム・砂防堰堤・水制・護岸工事でコントロールされて来たから??

最近は、河川敷内にゲートボール場等公園整備される様になりました。

しかし険しく急峻な奥山に大量の雨が降るのも変わらないし、隆起続けている山々は崩壊を繰り返し続けて激流で土砂が下流に運ばれるのは変わらない訳で、人が住む下流で被害が目立たなくなっただけで上流~中流域では地形変化が繰り返し続いています。

黒部川扇状地 の広大な平野部は、黒部川が上流から激流で運んできた土砂で出来上がっていると思えば「黒部川の凄いパワー」を感じてしまいます。

参考ですが、奥山から洪水の度に流されて来る「流木」も、途中のダムで止まってしまうのでダムには流木回収装置と処理要員が配備され回収された流木はチップ・工芸品に加工されたり、流木の中に潜んでいたクワガタムシの幼虫が羽化して成虫になる事も(クワガタが湧く?ちなみに流木からはカブトムシは見かけないので奥山にはいないのか?)

ちなみに50年ほど前までは、多くの家庭の風呂は薪で沸かしていたので河原の流木を拾って薪にしてました。(流木を富山湾まで一気に大量に流してしまうと、漁港が流木が埋め尽くされ船が出せなくなったり、漁網に穴が開いたりの被害が出てしまいます)

写真の不帰谷からの土砂の供給は、ダムが出来たおかげで下流域まで一気に届かず災害防止に役立っているのですが、土砂が堆積して~河床が上がり~奥山に留まる様になり「ダムが埋まる」等、他の問題も出て来たのですが・・・調整取りながらの管理が必要に!「自然との共生」ってことが大切に??

たったの百年! 黒部の開発は苦難の連続でした

2025-03-12

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暴れる山に人間は無力なのです

黒部川の災害については 「黒部川の洪水災害を振り返る」 にまとめられているので興味のある方はリンクを覗いてみてください。

(トロッコ列車の線路が被災している映像もあります)

昭和44年8月の災害時は私は小学生だったのですが、水が引いた後の黒部川に行くと河原一面が汚泥・流木・濁流で一面茶色に変わっていて、上流にあった旧愛本橋は流されたと聞かされて驚いた覚えがあります。(リンクの地図の現愛本橋の直ぐ上流に旧愛本橋がありました)

我々は仲間を募って、トロッコ列車沿線の欅平・鐘釣等で河川敷に錆ついて埋まっている鉄類(鉄道レール・鉄筋・ガードレール等)の 回収事業 を行って来ました。

ほぼほぼ洪水で流失被害に遭ったものばかりで、欅平「奥鐘橋」直下の河原でグニャグニャに曲がって埋まっていた鉄道レールは昭和20年代製のものだったり・・、黒部の開発は「災害との戦い」だった証拠ですが、観光に来た方々が目にすればガッカリするだけだろうから「後始末しなければ」と始めた事業です。

(洪水後すぐに回収すれば?って思うかもしれませんが、土砂・川の流れに埋まってしまい、後になって河床の流れが変わって目に付く様になってくるのですが、そもそも昔は環境保全意識が低くかった?回収するにも、費用はどこからも出ないし危険で汚いし「ゴミは川に流されるもの!」って意識があった様な???)

※実は・・・

これまで何度か放映されてきました

 『黒部百年物語』

BSテレビ東京 3月26日 19時~21時枠で、三度目の再放送が決まったと昨夜連絡が入りましたので興味のある方は見てやって頂けたらと・・・。

実は先月末の上京は、遅ればせながらの番組スタッフ連との打ち上げ的な・・・別件で、お世話になった方への御挨拶がてら、黒部でいい仕事してくれたスタッフと呑んで~Bディランの映画見て~靖国お参りして~将門塚巡りして来たのでした。

どちらも大切な用事ですが?偶然同じ時期に・・「縁」が味方してくれてる、って呑む言い訳にしか聞こえないか?

たったの百年! 今日は・・・もう十四年

2025-03-11

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一昨日の白馬方面・・稜線の手前は勾配が緩いのですが、稜線の向こうは急傾斜!

人間が電源開発で、本格的に黒部峡谷に入り出して、まだたったの百年余!

人間の祖先が地球上に生まれて200万年前(諸説あり)、日本列島が大陸から分離したのはズ~ッと以前の数千万年前には日本海となる溝が出来ていたとのこと。

ちなみに宇奈月温泉下流部の山中で、「ジルコン」と呼ばれる約38億年前に出来た日本最古の鉱石が発見されています。

原始の黒部川の本流は、黒部ダム上流の現在の「東沢谷」だったのではと地質学者の原山智先生から直接教えていただきました。(源流部の雲の平・上の廊下は火山活動で後から出来たとのこと)

また黒部川を境にした両岸「立山連峰」と「後立山連峰」は隆起し続けていると「ブラタモリ」でやってましたが「黒部が生きている証拠」です。

写真は自宅から見た白馬方面ですが 白馬頂上 に大きな「石製標柱」(方位版)が設置してあるのは登った方ならば御存知かと思いますが・・・設置場所の稜線沿いに地割れが発生し始めてしまい、場所を変える等の対策しないと倒壊の危険が出てきたとのことです。

黒部の両岸が隆起している証拠では? 人間の物差しとは比べ物にならない長い長いスパンで、隆起して~崩壊して~浸食されながら・・・現在の黒部が出来上がって来ているのですが、人間が関わり出してたったの百年しか・・・。

※もう十四年!

東日本大震災当日は、午後から立山町民会館で登山道整備の会合が予定されていて芦峅寺でランチしながら、十一日前に発生した山岳警備隊員の訓練中の事故で殉職した隊員を偲びながら辛く悲しい時間を仲間達と過ごして、会議後の帰り路のラジオで大きな被害が出ていることを知り重い気持ちで帰ったのを覚えています。

こちらは、もう十四年!  被災した方々の傷は、まだまだいえるとは思いませんがお見舞い申し上げます。

殉職した後輩も、思い悩んでも還るわけでもないのですが・・・良い奴でした!

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