阿曽原温泉小屋

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迷ったら突き進め!??

2025-11-28

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脂が少なく牛の味がシッカリ(水代わり?中ビンのラベルには「飛騨」の文字が)

連絡会議に向かう途中、ランチ候補をとダイブツが調べてくれたのですが・・・

神岡町辺りで食べることにして、「飛騨牛牛丼」? 評価の高い「ラーメン」? どちらにするかで、警備隊Y小隊長&運転手の市役所事務局&ダイブツと揉めながら富山から向かったのですが・・・

迷ったら突き進め!??(後から後悔しないために)

「時間も早いし懇親会は18時30分からと遅い予定だし、どちらも食べたいからハシゴか!

ってことになり市街の細い道沿いの定食屋を見つけて店内に入ると、芸能人?のサイン色紙が沢山飾ってある「如何にもローカル名物店」で軽く牛丼を頂くことが出来ました。

小さな人気店らしく、帰りに玄関ドア外側に「予約で立て込んでいるので、飛び込みのお客様は提供が遅くなります」って手書きプレートが!・・早目に着いて飛騨牛を食べれてラッキーでした。

各方面とも事故激増!

2025-11-28

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第66回・・・経験の蓄積と連携強化は全ての登山者の為に

一昨日 奥飛騨総合文化センター で開催された「富山・長野・岐阜三県山岳遭難防止対策連絡会議」やたら長い名前の会合に出席してきました。

北アルプスで繋がる三県に七つ有る各方面遭難対策協議会が持ち回りで開催されて、各県遭対協から実情と事例紹介・県境にまたがる事故の連携強化方策はもちろん、山岳雑誌・山岳救助器具・ウエア・ギア・山岳保険・「ノ・ミカタ」などのサプリ等々、馴染みの関連業者さん含めて百人余りのメンバーで開催されました。

事前のニュースで、事故が大幅に増えていたのは知っていましたが「下ノ廊下が開通していないのに増えてしまって・・・」って話も出て、もしも下ノ廊下が開通していたら?当然比例して増えていただろうと考えると・・・

また。山小屋従業員が夜遅くに低体温症で動けなくなった登山者の救助に向かい、現場の痩せ尾根でビバークしながら保温措置をしたおかげで助かった事例等も紹介されましたが、県境・救助隊・組織の枠組みはともかくとして「困った人を助ける!」ってことでともかく近くの現場で動ける者が向かう!事が第一なのだと。

当然のことですが、実力の無いものが向かう事は絶対あってはなりません!

関係各所と連絡・連携を取っての対応をしなければなりませんが、山小屋従業員は近くにいるのだから現着も早く出来るし、現場と危険を良く知っておくと共に動ける体力・技術・経験も兼ね備えておくのが理想ですが人出不足でバイト確保に四苦八苦している小屋も有るのも事実で・・・

それでも、信用のおける従業員を育てて確保してゆくのも山小屋の仕事の内だとおもうのですが?

会議後は、京都大学防災研究所 上宝観測所所長 大見士朗様 から火山活動と地震についての講演を聞かせて頂き「ナルホド!」って納得させられて。

険しい黒部を預かる者として、事故防止に向けて「何が出来るのだろう?」「体制はこれで良いのか?」なんてことを毎回考えさせられ尚且つ勉強になる会議であります。

信頼関係は、一朝一夕には・・・

2025-11-25

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先日の「朝日岳」 前山の紅葉と夕日を浴びてキレイでした

続き

富山県では登山届出条例があるので、冬の剱岳に入る時には登山届の提出だけでなく細々とした事前チェック・入山前に登山口の馬場島警備派出所に立ち寄っていただいたりと、登山者の方々には手間を取らせる形になっているのですが・・・

ちなみに、以前は黒部ダム側から冬季の剱岳東面・八峰等を目指す登山者の受付の為に、富山から年末に一週間程度ですが信濃大町に人間を派遣して登山届の受付・チェックをしに行っていたこともあります。

(私も数年間の年末を、大町温泉郷奥の民宿で泊まり込んで受付に行っていたことがあり、帰りに手打ち蕎麦を御土産に頂いて年越し蕎麦に)

事前の手続きは、我々から見ても正直「面倒だわな~」と考えてしまうのですが、毎年同じ山岳会・山岳部も多かったり、以前に警備隊に御世話になっている人がいたりして?そもそも、万が一事故が発生してしまえば山岳警備隊が頼りなのですが・・・

私は毎年年末に馬場島へ慰問?差し入れ?押し掛け?みたいなことしに通っているのですが、だまってみているとイイ感じで?受付と情報交換を済ませて山に向かって行かれているなぁ~って・・・

長年積み重ねられてきた山岳警備隊の活動と富山県の取り組みを、登山者が評価してくれて~警備隊員も厳しい山へのチャレンジを応援すると共に「事故起こさないで」って思いが伝わっての信頼関係が出来上がっているからなのだろうと・・・

明日は、岐阜県飛騨市へ「長野・富山・岐阜三県山岳遭難対策協議会総会」に出席してきます。

今シーズンは各山域とも事故が爆増していたので、防止対策について熱い議論が繰り広げられるのでは?(いつもは重大事故が発生してしまう黒部ですが、幸か不幸か?今シーズンは無事故だったので・・・聞き役に徹して来ようかと?)

安全に山を楽しんでもらうために

2025-11-23

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圧巻40Kgカンパチ🐟の兜焼き!(横の生中ジョッキと比べてもらえば・・)

続き

参考:富山県登山届出条例

  :【幻の厳冬期初登攀】

私は救助・捜索・訓練等で特別危険地区へ入って来ましたし、現役当時には冬季訓練中に先輩隊員が早月尾根から池ノ谷右俣への転落事故や、後輩が同じく冬季訓練中に池ノ谷左俣で雪崩に遭ってしまう痛恨の事故を体験・事後処理等を通じて剱岳「冬季間の特別危険地区」の怖さは身に染みているつもりです。

世の中様々な考えや価値観を持っておられる方がおられる訳だし、純粋に冬の剱岳に限らず「チャレンジ」することについては否定するものではありませんが、事故の確率が非常に高いエリアに入るのは無謀!以外のナニモノでもないのでは?

実際に条例制定当時にも「個人の活動に役所がブレーキかけるのは納得いかない」って意見も多かったと聞いていますが、上記youtube見て頂ければ経緯を理解して頂けるかと。

続く・・・

※反省しても反省しても???

今シーズンの奥山の仕事を一部を除いて済ませたことだし、シーズン中のクラファンその他諸々慣れない仕事を関係者で頑張って来た事から、都合のつく九人で集まって「イッパイ飲もうか」ってことで山から下りて初めて「吉今日」さんへ行って来ました。

大将が「かわったものが手に入ったから」って出してくれたのが、蜃気楼で有名な魚津漁港に上がった40Kgのカンパチの兜焼き!(あまりの大きさにローカルテレビが漁港に取材に来たとか?)

焼き上げるのに一時間以上かかったという、ホホ肉・カマ・カシラは肉厚で皮はパリパリ旨くて、調子に乗って熱燗酒を先に食べ尽くしていたカニの甲羅に注いでしまうとグイグイ進んでしまい・・・

二次会で寄った「GAKU」のマスターから、昨日「昨夜は珍しく一杯しか飲まれませんでしたね?」ってメールが入る始末で・・・昨日は反省しきりの小屋主なのでした。

なんでワザワザ?

2025-11-21

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赤谷山~白ハゲ~赤ハゲの北方稜線・・・赤谷山から手前に伸びる赤谷尾根

年末年始の剱岳登山者は、二昔し前以前から減ってしまった印象ですが、それでも年末になると難行・苦行と解かっているはずですが?剱岳を目指して登山者がやって来ます。

「なぜ危ない剱岳に?しかも厳しい真冬に登りに行くのか?」

そんな思いを持っておられる方もおられるとは思うのですが・・・

自分の限界への挑戦・ヒマラヤ登山の訓練・山岳会や山岳部の伝統・・・等々、それぞれに目的をもって登りに来てくれるのだと。

昔々ですが、私が雪山に登って自分が歩いて来たトレースを振り返って見た時に、登山道は隠され自分達の足跡が雪の尾根に延々と続いているのを見た時の充実感と言うか「今だけは、この山は俺達だけのもの」みたいに感じて感動していたのを記憶しています。

登山は登山道歩きだけではなく、沢登り・藪漕ぎ・岩登り等も登山に含まれるのと同じで様々なスタイル?登り方?が有るからこそ、年齢・体力・経験の応じて山に接することが出来るのが魅力なのではないかと。

そして山に入れば、絶景に感動させられ!そんなところに頑張って歩いて来た自分に感動出来る!って事を知っているから皆さん山に入られるのではないかと??

ただし冬期間の「剱岳」については、あまりにも危険な「池ノ谷」「東大谷」などが県条例で特別危険地区として立ち入り禁止区域として指定されています。

尾根から転落して危険地区に入ってしまうのと違い、自ら危険なエリアに入り込まれても、万が一事故が発生したとして救助に向かう隊員にしてみればたまったものではありません!

続く・・・

強い気持ち!

2025-11-19

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本峰!

続き

遭難者は急斜面を800mほど雪崩と共に転落して行ったはずなのに、ダメージは少なかったのだろうか・・・

新雪の集まる谷底の深雪の中の下降では両側からの雪崩は当たり前に発生していたはずだし、小窓尾根の登り返しも深雪の急登を一人でラッセルしながら登り返していたとは「生きて還る!」という強い意志で、小窓尾根を乗り越えて助けを求めに下降中に再度事故に遭って白萩川に転落してしまったのではなかろうか・・

ちなみに池ノ谷は、下部に険しい滝の連続でゴルジュ帯があり直接下降することは危険過ぎるので、登山口の馬場島に向かうにはゴルジュ帯入り口手前で向かって右側の小窓尾根の1614mピークに登り返して~尾根をしばらく下って~白萩川に降り立ち馬場島に向かうのが一般的なのですが、遭難者は無闇に池ノ谷を下降せずに冷静に通常のコースを採ったことが分かります。

どのポイントで小窓尾根に登り返したのか・・どこで白萩川側に転落してしまったのか不明ですが、とにかく小窓尾根上まで登り返していなければ白萩川で遺体が発見されることはないのですから。

後日、山岳会や仲間達が池ノ谷右俣でもう一名の遭難者を発見したのですが・・・驚いたことに、岩壁の庇の下で腰掛ける姿で発見され「アイゼン」は脇に並べて置いてあったとのことでした。

この方も転落直後は生存していて~ダメージを受けていたため下降は諦めて~現場近くで雪崩に遭わない様に岩壁の庇の下で救助を待つ体制を取っていたのではないかと・・・

白萩川で発見された遭難者は、どんな気持ちで下降していのだろう・・・思い返すと今でも胸が締め付けられる遭難事故でした。

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