目先だけ見ていると???
2019-03-22
前向きに頑張っていれば、そのうち神様が思わぬ御褒美をくださる事もあります。
私が警察退職1ケ月前に出場した「県警逮捕術大会」で、予選リーグから決勝まで対戦相手に一本も取られず勝ち上がり全勝賞を取ってしまいました。
当時33歳で、大会後に入院予定で体調万全ではなかった私が・・・神懸りというかほかありません。
口髭に柔道着を着て、閉会式で「チーム優勝・全勝賞・永年出場者」と1人で三回表彰されることに。神様からの御褒美だったと思っています。
他にも、今では黒部峡谷一帯で無くてはならない存在になった、番頭さんの「大仏」との出合にしてもただの偶然では無い様な事件?が絡みます。(機会が有れば書きます)
阿曽原の仕事についても、大雪・落石・洪水等々の天災に振り回されて、山小屋の仕事が出来ずその都度復旧作業に当りながらきました。
これにしても、黒部峡谷一帯でフリーで山仕事をしていたガイド故「高島石盛」さんが、平成6年にインドヒマール「ツインズ」登頂後に遭難してしまい、後を引き継いで作業を依頼される様になったのです・・・巡り合わせと言うか偶然と言うか。
平成7年の洪水被害の復旧作業!続いて平成8年には、故「石盛」さんの調査で計画された「唐松岳~祖母谷温泉」の登山道改修工事をすることとなりました。
本格的な土木工事など、切り盛りしたことなど無かったのですが、この辺りから山奥での土木作業???を依頼される様になり、仙人池・池の平の植生復元・階段工事や浮石処理等に繋がってゆきます。
平成18年には「雲切新道」を切り開きましたが、10月の中旬過ぎまで掛かってしまいました。この年は大雪で「下の廊下」の開通期間が10月末の10日間だけで、工事が終わってからの開通となりました。(早めに開通して工事期間と被っていたら大変な事に・・・)
先のページから、他で亡くなった人の話しばかりですが・・・これも不思議な巡り合わせです。その人たちの分まで黒部で頑張らねばと!
その時々で、新しい仕事・困難な仕事・未知の現場に「エイ!ヤーッ!」って踏み出して来たから、今の阿曽原小屋と集まる仲間達が有るのかなって。
「目先のこと」だけを考えていたら、頑張ってくれる「大仏」に応えてやれていなかっただろうし、他のメンバーと共に災害復旧等には関らなかったかも、怖い思いもしないで済んだでしょう。
でも、誰かがやらないと黒部に支障が出る仕事ばかりでした。 行き当たりばったりの私ですが、次々と立ちはだかる事案が発生しても、困った時に一緒に苦労してくれる仲間が現れてくれて・・・見えない歯車というか、不思議な巡り合わせと仲間達に感謝です。
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