阿曽原温泉小屋

k

立山のレジェンド!

2018-03-02

写真

冠松次郎の署名と押印付の「山渓記」

1927年制作の記録映画の解説! 8年前に初めて依頼された時に、「いくら、阿曽原で仕事をしているからって・・・自分の親が生まれる前の事なんて・・・」どうしょうと困ってしまいました。

そこで、頼ったのが立山町芦峅寺在住の「佐伯栄治」さんでした。 映画の作られた昭和2年生まれで、間違いなく「立山のレジェンド」の一人です。

1956年の第一次南極観測隊に参加した「立山ガイド五人衆」で、唯一御存命の方です。(NHK「プロジェクトX」にも出演された事も)

ちなみに第一次観測隊には、黒部市からも地形観測員として「鍛冶晃三」さんも参加しておられました。(御親族の話しでは、黒部駅まで大勢で見送りに行ったとの事)

栄治さんは、若い頃から立山黒部の山案内人としてだけではなく、山岳遭難が発生すると当時は貧弱な体制・装備に加え経験不足だった「県警山岳警備隊員」を引っ張って現場を仕切っておられた方です。

私が、警備隊の新人隊員だった時には「剣沢野営管理所長」をしておられて、警備派出所と同じ建屋だったので、朝のラジオ体操・三度の食事・救助のサポート等々、生活を共にしながら随分お世話になりました。

(我々が、剱岳源次郎尾根側壁で救助活動中に遺体収納袋が足りなくなって、栄治さんが歩荷を買って出てくれた事が)

(早月尾根での雪崩遭難で、行方不明者の雪渓埋没地点・見つかる時期を言い当てられて・・・、経験に裏打ちされた「山の勘」に関心させられました)

栄治さんの長男「栄祥」は、若い頃に山岳警備隊員をしていて一緒に苦労した仲です。 歳も近く、今でも一緒に富山に飲みに出れば家に泊めてもらっています。(三日前にも泊めてもらって、栄治さんと朝食して来ました) 

更に、大仏は学生時代に栄治さんの元で管理所のバイト(当時の大仏にも伝説が!)をしていて、阿曽原には大恩の有る方なのです。

話しは逸れましたが、栄治さんに映像を見てもらって説明を受けた時に

「これ、冠さんから貰った本やけど、お前にやるわ」

と、頂いたのが 冠松次郎著 「山渓記」  全五巻です。(「なんでも鑑○団」に出せば、それなりの値が付きそうです)

冠さんの署名・押印付の貴重な本で、本の内容と栄治さんの説明で、何とか映画の解説が出来る程度になったのでした。

興味が有る方もおられるかと思いますので、上映会当日に会場で展示してみようかと考えております。

記録映画「黒部峡谷探検」 上映・解説会のお知らせ!

2018-03-02

写真

冠 松次郎!

3月24日(土) 午後2時~午後3時半位まで 入場無料 (600人前後収容)

黒部市宇奈月温泉6-3 黒部市宇奈月国際会館「セレネ」大ホール にて。

東京国立近代美術館フイルムセンター所蔵作品 「黒部峡谷探検」(1927年、白井茂監督、35㎜フイルム)

の上映会を「黒部川電源開発100周年事業」の一環として行う運びになりました。

1925年に冠松次郎が発見した、「十字峡」を中心に黒部峡谷の核心部を撮影した記録映画です。

当時の文部省が、冠松次郎に依頼して制作されたとのことです。

上映時間は24分と短く、白黒・無音の映像です。(早送り気味で、かなり密度の濃い記録が収められています)

国鉄黒部駅~宇奈月~黒薙~猿飛~志合谷~阿曽原~作郎越え~十字峡~東谷出合~池の平~剣沢~別山~内蔵助平~新越の滝~大ヘツリ~御山谷~立山温泉まで。

ザックリ、二週間は掛かる行程を短くまとめてありますが、コマ送りが早くて、普通に見ただけでは何処を歩いているのやら・・・分からないとおもいます。

各ポイントで、映像を停止して解説する役目を仰せつかりました。

水平道や下の廊下の登山道は無く、仙人谷ダム・黒部ダムも作られていないので水量も半端無く多いし、現在は水没してしまった部分、更にはバス道路もターミナルも作られていない立山室堂を見下ろした映像等々が収められている大変貴重な映像です。

8年前にも、黒部市コラーレの大ホールで同様な上映会を催しましたが、県外からも大勢の来場者がみえられて700人余り収容の会場がほぼ埋まった記憶が有ります。(改めて、黒部峡谷に興味が有る方が沢山おられるのだとビックリしました)

駐車場など、詳細が決まればまた報告いたします。

その頃は、新緑前でまだ肌寒い宇奈月だろうけど、ドライブがてら遊びに来てください。

アーカイブ

最近の記事