阿曽原温泉小屋

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ヘロヘロ。

2022-03-07

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常連さんに頂いた、真鱈のタラコの塩漬け!(スライスして軽く炙って)

昨日をもって牛岳スキー場「サンシャインハウス」の今シーズンの営業を終了いたしました。(来年は、営業するのかどうなのか??未定みたいです)

最後の最後で、土曜日は「クワッドリフト」が故障したり・・昨日は大荒れの天気で駐車場もガラガラで暇だろうと思い込んで、ゴハン・カレールーの用意も少なめにしていたのですが・・・最後だからといって常連さんが次々と現れて、学生時代以来十数年振りに来てくれたお客さん・京都から遥々今シーズン三回目のグループ・閉店して入り口のカーテンが閉まって厨房内の片付けしているのに「日本酒一杯だけ」って入って来る72歳の男性が居たり等々、最後までてんてこ舞いでした。(絹ちゃんの人柄??)

スキー場入り口の大きな看板撤去・パーテイションと間仕切りとメニューの撤去・フライヤーの油抜きして磨いて・コンロ磨きして・調理器具や調理台も磨いて・・・・いつもとは比べ物にならない撤収作業をこなして、帰りには余った冷凍豚肉・カレールー・唐揚げ用の鶏肉・スジの煮込み・白菜の漬物などの食材・缶ビールを持ち帰る様にと段ボールに入れて持たされて重さと疲れでヘロヘロになって車に戻り、帰宅して貰って来た牛スジ煮込みで一杯飲んでバタンキューでした。

副業が・・・。

2022-03-05

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北陸自動車道「有磯海SA]のブラックラーメンはアッサリ系

昨日、商工会議所の職員さんに青色申告のチェツクしてもらって合格を頂きました。

毎年毎年の事なのですが、忘れていることが多くて・・打ち込み間違いやらなんやらで毎回助けてもらっています。

コロナ禍で阿曽原温泉小屋の通常経営時とは比べ様も無い売り上げですが、本業以外の送電線鉄塔巡視路の点検・整備等の山仕事の依頼が増えて来たり、環境省が登山道の整備充実のために特別に予算を組んでくれたりで、昨年は全体の半分弱が副業(雑所得)になっていました。

なんとか喰い繋げているのは有り難いのですが・・やがて小屋の営業が普通に出来る様になって来たら、副業と言っても継続して依頼されたりしたら両方を熟してゆけるのだろうか???限られた人員でギリギリ廻しているし、私も大仏も歳とって行く訳だし・・・などと少し心配になっているのですが。

これまで「行き当たりバッタリ」で廻してきたし??もう一頑張りすれば、なんとかなるかと気楽に考えている小屋主なのでした。

先日、牛岳の帰り道に我慢できなくなって、富山名物?「ブラックラーメン」を有磯海SAで食べてきました。

本家!元祖!等々いろいろあって、味わいもそれぞれで好き嫌いも分れるのですが・・これは優しい味わいでした。(私的には物足りない??)

問題山積だけど・・・大切なのです。

2022-03-02

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昨日の会場は、佐久平駅のすぐ近く。

昨日、長野県佐久市で開催された「山岳ガイドと山小屋経営者とのミーティング」に参加してきました。

朝一で白馬村に最近棲み付いた知り合いから「NHKニュースに出てたよ~っ」ってメールが入り??長野県内で、ミーティング開催ニュースが流されていたみたいです。

ニュース映像(画像をクリックするとニュース映像が)

富山県からは参加者が私一人かと思っていたら、コーディネーター(進行役)が剱岳で氷河を発見された立山砂防博物館の飯田肇先生でビックリ!

今回は昨夏に霞が関へ陳情に誘っていただいた「日本山岳ガイド協会」武川理事長から声を掛けて頂いての参加でしたが、馴染みの山小屋関係者・ガイドはもちろん昨シーズン「池の平小屋」の手伝いに来ていた方・どこぞのイベントで御一緒だった方・登山用具メーカーで、その技術を用いてコロナ対策用マスクを自作して山小屋に配布して頂いた会社の方等々なんか繋がりのある方が参加しておられました。

中でも、最初の講演を引き受けていただいた山岳ジャーナリスト「近藤幸夫」さんは、元朝日新聞社の記者をしておられて、随分昔に私の記事を書いて頂いた方だったと知ってビックリ!

参加者は少なかったのですが、狭い世の中というかなんというか???

ミーティングでは様々な意見が出されて、改めて問題の大きさを再認識・・どこから手を付けてゆけば良いのか??頭が痛くなりますが、山小屋も山岳ガイドも「山に登り 山を守る」(登山文化!文言が私的には???)ためには大切な仕事であることには間違いないと共有できたし、問題意識を持っておられる方が沢山いるのも解ったしで「これから頑張らねば!」って思い帰って来た次第です。

どうにもならないもの!だけど・・・。

2022-03-01

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昨日の夕焼け!(黒部川の河原の雪は随分少なくなりました)

昨日は、後輩のマルが劔岳で事故に遭った日! 毎年この日が来ると、人間の無力さというか・・事故当時は、やり場のない怒りや無力感に苛まれながら「御遺族の方がもっと辛いのだから、今は自分のポジションで何をしなければならないのか?」「冷静にいなければいけない」と関係各方面と御遺族との調整等等の行動を仲間達としていました。

「どうにもならないもの!」は仕方ないと受け入れてから、そこから前を向いて生きてゆくためには何が必要なんだろう?何をしなければならないのだろう?どういう考え方にすればいいのだろう?・・・随分と仲間達や関係者と考え語り合って行動したよな~。

コロナ禍が治まらないのに、今度はウクライナへの武力侵攻とは「どうにもならない」ことが起こってしまい理不尽な侵攻によって、避難しながら嘆く老女や子供の涙を見ると・・自分が、今ここで出来ることは限られているけれど「今、出来る事」考えて動けないものか・・・。

結局ウクライナへの寄付ぐらいしかできないかな~・・?

そういえば、日本在住で中古自動車部品をロシアに輸出しているロシア人男性が「阿曽原」ファンになってくれたんだけれど、三年前に台風直撃で来れなくなり二年前からはコロナ禍でこれなくなりで・・「優しい彼は、祖国の暴挙を見て悲しんでいるのだろうな~」なんてことを考えたりして・・・。

早くみんなが安心して暮らせるようになりますように!(まとまりが着かなくて申し訳ありません)

今日はこれから長野県佐久市で開催される「若手山小屋主人と山岳ガイドとのミーティング」を聴きに新幹線で行って来ますので、そのうち報告します。

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