阿曽原温泉小屋

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十字峡上流10分!

2018-09-18

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道に積もった石・土砂はそのままです。

水を被って、慎重に歩いてもらえれば歩けない事は有りません。しかし、手すり番線が設置されておらず滑ると川床まで一直線です。

なんじゃこりゃ?には、ご注意を!

2018-09-17

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大ヘツリ(奥に黒部別山谷)

紅葉シーズンど真ん中の夕方、黒部別山谷上流の「大ヘツリ」出口で登山者が転落したとの通報が入る。 黒部峡谷は、携帯電話の電波が無いので通報は遅くなるのが普通で、救助活動は暗くなってからのの方が圧倒的に多くなります。 

大ヘツリの登山道で滑ってガレ沢を転落、脚の骨折をしたとの通報。 阿曽原からは、常駐している警備隊員と小屋のスタッフが、室堂警備隊からも隊員が向かう事に。 現着時点で真っ暗なのは毎度のことだけど、生暖かい風が吹き始めて怪しい雲行きに・・・。 

「ピカッ!」光ると同時に「バリバリーッ!」と目の前を稲妻が走ったのでした。 

マジかよ、黒部の谷底なのに稲妻?! 同時に激しい豪雨となって。

現場は黒部ダム~仙人谷ダムの中間地点で、夜間で豪雨の中をどちらに向かうにも危険過ぎる、怪我人は骨折だけで慌てて医療機関に搬送する必要も無いとの判断で、警備隊員と現場で朝までビバークすることに。

その連絡をするために、無線の電波が届く黒部別山谷下流まで行って、警察に連絡をしてから現場に戻る時の事です。

黒部別山谷は普段は飛び石で簡単に渡れるのですが、連絡に行く時には足首より少し多めの増水でしたが、連絡を終えて帰ってくるとなんか雰囲気が違う様な???

増水時は濁りが入るのですが、見たことが無い量の黒く炭化した枝や葉が沢山混ざった濁流が??? なんじゃこりゃ?様子を見ていると一気に水嵩が増して、渡渉など不可能な胸高までの流れが押し寄せて来たのです。 これが「鉄砲水」なのかと背筋に寒いものが走りました。

想像するに炭化した黒い枝葉は、斜面に堆積していたモノが大雨の土砂崩れで沢に流れ出して、一旦堰き止められた沢が決壊して一気に増水したのではないかと・・・。

「鉄砲水」の前兆はこれだけではないと思いますが、普段見れないものを見た時には「なんでだろう?」が自分の身を守る事になる事例ではないかと。

遭難者は、翌朝天候が回復してヘリコプターで無事収容されて、メデタシ・メデタシでした。

紅葉シーズンは、樹木は水を吸い上げないので、降った雨がそのまま沢に流れ出します。 思わぬ増水には注意が必要な時期ですから皆様ご注意を!

※下の廊下の整備状況について!

計画されている方は心配しておられると思いますが、18日に通して見てくる予定です!(現在、一般の方が安全に通れる訳では有りません)

工事は、次の週末までに完全には終わりません! 週間予報が回復傾向なので、工事は進みそうなので、もしかしたら技術・装備がしっかりした人なら、取り敢えず可能が有るかも知れませんが過度の期待はしないで下さい。

18日夜には、写真を載せて説明が出来るかと思いますので電話での問い合わせはご容赦下さい。

山岳遭難だけが事故では有りません。Ⅱ

2018-09-16

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鳴沢小沢出会い!

続き。

火の勢いが弱まったのは、燃え上がるものが無くなっただけで「火の海」状態には変わらず、木造の小屋は焼け落ちて紅黒い熾火が一面に広がり、熱くて近寄る事すらできません。

我々は、少し離れた登山道にツエルトを張ったのですが、忙しい一日だったので疲れているけど興奮も醒めないし寝るにも早いし、着の身着のままなので寒いし腹が減るしで、行動食をツマミに焼け出された「アルミ缶の日本酒」を熾火の近くに置いて御燗をして晩酌を始めたのでした。

8月1日は、富山市の花火大会(富山大空襲の日)です。 見下ろす夜景の中に「ポッ・ポッ」って可愛い花火が瞬いて「近くで見れば大きいんだろうな~」等と、ある意味特等席で眺めながらシコタマ飲んだところでツエルトで爆睡! 人の足音で目が覚めて、夜が明けると同時に関係者が登って来ているのでした。

時間が経つにつれ、さすがに熾火も紅さが薄くなって熱も治まって来て、片付けに上がって来た関係者達と焼け焦げた冷蔵庫・シンク等の不燃物を片付け出したのです。

「ウァーッ!」突然叫び声がして振り返ると、男性が片足を「落とし穴」に脚を取られた様な格好で堪えています。 近くの人が支えて、体制を整えた男性が脚を引き抜いたところで、その場に居た全員が「ウェーッ!」って声にならない叫びを・・・。

「落とし穴」はトイレの便槽だったのです。 小屋全体が焼け野原状態で、一面黒い炭で覆われていて何処が何処だか分からなくなって残酷なトラップとなっていたのです。

引き抜いた男性の、ズボンの膝上には炭の黒いラインが一周していて、そこから足先までは・・・とても文章にすることが出来ません。

洗い流す水も無く、周りの者もどうする事も出来ません。その男性は、ズボンを脱いで友人に支えられながら雷鳥沢に向けて下山して行かれたと記憶しております。(友達って大切です!)

火災の真っ最中に、木造家屋が燃える「赤い炎」・プロパンガスボンベの安全弁から吹き上る「青い炎」・落とし穴周辺は「緑の炎」だったのを思い出して、妙に納得した自分がいたのでした。

山の中で沢山悲惨な事故現場を見て来ましたが、ある意味ナンバーワン的な事故ではないかと考えております。 そして「友の大切さ」が身に染みた事件となったのでした。

山岳遭難だけが事故では有りません。Ⅰ

2018-09-16

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新越沢出合い、歩道直下のスノーブリッジ(ギリギリです)

今日も、天候不順で暇なので書いています。

先日「下の廊下」の上半を見て来た話しをしましたが、鳴沢出合いの岩屋には昭和57年8月1日の台風に伴う増水で流された遭難者へ手向けたお供えが。

あれから随分経つのに、ご遺族・関係者の無念の気持ちが痛いほど伝わって来て・・・山に関係するものとして、遭難事故防止のために出来る限りの事をしなければと改めて思った次第です。

8月1日と言えば、その翌年だったか前年だったかは曖昧なのですが、とにかく8月1日です。 剣沢警備派出所勤務中に長次郎谷にて遭難事故通報が、「熊の岩」にて救助を待っているとのこと。 当時は、県警ヘリは導入されておらず民間ヘリも現場にガスが湧いていて近づけないとの事。

赤鬼分隊長から「走れ!」と簡潔明瞭な指示が、隊員3人で救助装備を分担して剣沢雪渓を駆け下りて20分足らずで長次郎谷出合いに到着、スノーボートを背中に担いだ私は風を受けてグライダーのごとくフワフワしたりフラ付いたりしながら(当時は痩せていたんです!)必死に着いて行き長次郎雪渓をガシガシ登り返しました。

遭難者パーティの、合図も分かる距離まで近づいたところで突然「バァルバァルバァル」って頭上を民間ヘリが「熊の岩」にアプローチして・・・アッと言う間に遭難者を収容して「ブィーン」って現場離脱してゆきます。

「えーっ!」一気に力が抜けた我々陸上部隊なのでした。 

雪渓にヘタり込んだ途端に「装備はデポして、直ぐに帰ってこい!」

簡潔明瞭にガナリ立てる赤鬼無線が、「俺達なにかヤラカシタっけ?」慌てて八つ峰の基部にデポして、今度は長次郎雪渓を駆け下りて剣沢雪渓を駆け上って。 走っている間に、途切れ途切れに無線から聞こえて来るのは「剣御前小屋」が燃えているとのこと。 武蔵谷出会いを過ぎた辺りから、真っ青な夏空に濃い黒煙が見え始めて・・・息を切らせて「剣御前小屋」まで駆け上ったのでした。 

水の無い稜線なので、手の施しようも無いまま燃えるに任せるしかありません。 火の勢いが少し治まった夕暮れを迎えたところで、 「お前達二人、朝まで現場保存!」 簡潔明瞭な赤鬼の指示を受けて、二人で居残り関係者は全員下山することになったのでした。

つづく・・・。

、  

ありがたい事です。

2018-09-15

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ストロングカレーパウダー・ガラムマサラ等のホットなスパイス類!

今年は、本当に天候に悩まされます。 相変わらず、下の廊下の整備も滞りがちです。

そんな中、昨日は久しぶりの10人オーバーのお客さんが来られました。

その中の別々に来られた男性達は、見たことのある方々で・・・。単独の二人は、それぞれ5・6年通ってくれていて、二人組の男性の方は何回来たやら直ぐには答えられない位通って来てくれています。

受付の時、単独の男性が「今日はカレーかな???5・6回来てるけど、一度も食べたことない」との事。(何時も暇な時期に来ている証拠)

シャーナイな~・・・。 警備隊の訓練隊も来ているしガッツリ食べさせるには???

急遽メニューを変更して、定食の一品をスープカレーにすることにしました。

混雑時の名水ポークカレーとは違って、従業員の賄飯用にストックしてあったスパイスとブイヨン等を使ってスープを作って、自家製のジャガイモ・タマネギを塩コショウで別茹でにして・・・。(手間が掛りますが、小さなタマネギを丸茹でにしたのが甘くて美味しいのです)

宿泊者には、女性も半分おられたのですが喜んで頂けたみたいでした。

お客さんが少ないからこそ、こうして要望が有れば小回り利かせてメニュー変更も出来ます。(喜んでいいのか???)

天候が悪くてキャンセル続出のなかでも、こうして来て頂けるのは「ありがたい」事です。

今日も雨だけど・・・。

2018-09-15

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新越の滝と釜(黒部ダムから3時間余り)

せっかくの週末なのに、キャンセルばかりで気が滅入ります。

でも、阿曽原には朗報が! 今日から、頼りになる女子バイトが入って来てくれます。

数年前の夏の終わりにテントで阿曽原にやって来て、受付を済ませてテント場に行ったのに直ぐにまた小屋にやって来て「宇奈月から魚津までの、電車賃はいくらか分かりますか?」って質問。 聞けば「行く先々で水を買うのに、予想以上にお金が掛かってしまい、東京まで帰れるか・・・」とのことです。

この年の夏は私一人で小屋番をしていて、疲れがピークを迎えており前日も単独のテント泊の名古屋女子に夕飯とキャンプ場代と引き換えに夕食後の片付けを手伝ってもらっていたのです。

「しばらくここで働いてゆけば、東京までの電車賃ぐらい直ぐに稼げるよ」と誘ってみたら、ラッキーな事に「まだ大学は夏休みだから」と残ってくれることに。(毎日ナンパしてる!なんて思わないで下さいね、でも打率10割とは我ながら・・・)

早速、夕飯の後片付けから手伝ってもらってビックリ! お客さんに食事をしてもらっている間に、こちらから何も指示をしていないのに、流し場で大ザルや大鍋やらを次々洗ってくれているのです。 新潟の実家が「行列の出来る蕎麦屋」らしく、小さい時から手伝いをしていたとのことです。 疲れてヘトヘトだった私としては、ラッキーの二倍!本当に助けられたのでした。

阿曽原小屋では、大学生のアルバイトは長い間雇っていませんでした。 便利な世の中で育ったせいで「あまりにも何も知らな過ぎ!」の学生が多かったので、少し世の中に出たことが有る人に来てもらうようにしていました。(それが良かったかは???ですが)

目を覚ましてから寝るまで、共同生活の様な山小屋生活です。(特に小さな山小屋では)色んな人が働きに来てくれますが、みんなとキチンとコミュニケーションが取れてストレスを溜めずに楽しく仕事出来ることが、お客さんを温かく迎え送るためには必須なのです。

蕎麦屋女子は、山が大好き・山の勉強も積極的・元気で見ていて気持ちの良い子です。(レスキューの現場に、ザイルを担いで付いてきたことも) 

今年も阿曽原に来てくれる事になり、心強いし楽しみな小屋主なのでした。

 

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