阿曽原温泉小屋

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山岳遭難だけが事故では有りません。Ⅱ

2018-09-16

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鳴沢小沢出会い!

続き。

火の勢いが弱まったのは、燃え上がるものが無くなっただけで「火の海」状態には変わらず、木造の小屋は焼け落ちて紅黒い熾火が一面に広がり、熱くて近寄る事すらできません。

我々は、少し離れた登山道にツエルトを張ったのですが、忙しい一日だったので疲れているけど興奮も醒めないし寝るにも早いし、着の身着のままなので寒いし腹が減るしで、行動食をツマミに焼け出された「アルミ缶の日本酒」を熾火の近くに置いて御燗をして晩酌を始めたのでした。

8月1日は、富山市の花火大会(富山大空襲の日)です。 見下ろす夜景の中に「ポッ・ポッ」って可愛い花火が瞬いて「近くで見れば大きいんだろうな~」等と、ある意味特等席で眺めながらシコタマ飲んだところでツエルトで爆睡! 人の足音で目が覚めて、夜が明けると同時に関係者が登って来ているのでした。

時間が経つにつれ、さすがに熾火も紅さが薄くなって熱も治まって来て、片付けに上がって来た関係者達と焼け焦げた冷蔵庫・シンク等の不燃物を片付け出したのです。

「ウァーッ!」突然叫び声がして振り返ると、男性が片足を「落とし穴」に脚を取られた様な格好で堪えています。 近くの人が支えて、体制を整えた男性が脚を引き抜いたところで、その場に居た全員が「ウェーッ!」って声にならない叫びを・・・。

「落とし穴」はトイレの便槽だったのです。 小屋全体が焼け野原状態で、一面黒い炭で覆われていて何処が何処だか分からなくなって残酷なトラップとなっていたのです。

引き抜いた男性の、ズボンの膝上には炭の黒いラインが一周していて、そこから足先までは・・・とても文章にすることが出来ません。

洗い流す水も無く、周りの者もどうする事も出来ません。その男性は、ズボンを脱いで友人に支えられながら雷鳥沢に向けて下山して行かれたと記憶しております。(友達って大切です!)

火災の真っ最中に、木造家屋が燃える「赤い炎」・プロパンガスボンベの安全弁から吹き上る「青い炎」・落とし穴周辺は「緑の炎」だったのを思い出して、妙に納得した自分がいたのでした。

山の中で沢山悲惨な事故現場を見て来ましたが、ある意味ナンバーワン的な事故ではないかと考えております。 そして「友の大切さ」が身に染みた事件となったのでした。

山岳遭難だけが事故では有りません。Ⅰ

2018-09-16

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新越沢出合い、歩道直下のスノーブリッジ(ギリギリです)

今日も、天候不順で暇なので書いています。

先日「下の廊下」の上半を見て来た話しをしましたが、鳴沢出合いの岩屋には昭和57年8月1日の台風に伴う増水で流された遭難者へ手向けたお供えが。

あれから随分経つのに、ご遺族・関係者の無念の気持ちが痛いほど伝わって来て・・・山に関係するものとして、遭難事故防止のために出来る限りの事をしなければと改めて思った次第です。

8月1日と言えば、その翌年だったか前年だったかは曖昧なのですが、とにかく8月1日です。 剣沢警備派出所勤務中に長次郎谷にて遭難事故通報が、「熊の岩」にて救助を待っているとのこと。 当時は、県警ヘリは導入されておらず民間ヘリも現場にガスが湧いていて近づけないとの事。

赤鬼分隊長から「走れ!」と簡潔明瞭な指示が、隊員3人で救助装備を分担して剣沢雪渓を駆け下りて20分足らずで長次郎谷出合いに到着、スノーボートを背中に担いだ私は風を受けてグライダーのごとくフワフワしたりフラ付いたりしながら(当時は痩せていたんです!)必死に着いて行き長次郎雪渓をガシガシ登り返しました。

遭難者パーティの、合図も分かる距離まで近づいたところで突然「バァルバァルバァル」って頭上を民間ヘリが「熊の岩」にアプローチして・・・アッと言う間に遭難者を収容して「ブィーン」って現場離脱してゆきます。

「えーっ!」一気に力が抜けた我々陸上部隊なのでした。 

雪渓にヘタり込んだ途端に「装備はデポして、直ぐに帰ってこい!」

簡潔明瞭にガナリ立てる赤鬼無線が、「俺達なにかヤラカシタっけ?」慌てて八つ峰の基部にデポして、今度は長次郎雪渓を駆け下りて剣沢雪渓を駆け上って。 走っている間に、途切れ途切れに無線から聞こえて来るのは「剣御前小屋」が燃えているとのこと。 武蔵谷出会いを過ぎた辺りから、真っ青な夏空に濃い黒煙が見え始めて・・・息を切らせて「剣御前小屋」まで駆け上ったのでした。 

水の無い稜線なので、手の施しようも無いまま燃えるに任せるしかありません。 火の勢いが少し治まった夕暮れを迎えたところで、 「お前達二人、朝まで現場保存!」 簡潔明瞭な赤鬼の指示を受けて、二人で居残り関係者は全員下山することになったのでした。

つづく・・・。

、  

ありがたい事です。

2018-09-15

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ストロングカレーパウダー・ガラムマサラ等のホットなスパイス類!

今年は、本当に天候に悩まされます。 相変わらず、下の廊下の整備も滞りがちです。

そんな中、昨日は久しぶりの10人オーバーのお客さんが来られました。

その中の別々に来られた男性達は、見たことのある方々で・・・。単独の二人は、それぞれ5・6年通ってくれていて、二人組の男性の方は何回来たやら直ぐには答えられない位通って来てくれています。

受付の時、単独の男性が「今日はカレーかな???5・6回来てるけど、一度も食べたことない」との事。(何時も暇な時期に来ている証拠)

シャーナイな~・・・。 警備隊の訓練隊も来ているしガッツリ食べさせるには???

急遽メニューを変更して、定食の一品をスープカレーにすることにしました。

混雑時の名水ポークカレーとは違って、従業員の賄飯用にストックしてあったスパイスとブイヨン等を使ってスープを作って、自家製のジャガイモ・タマネギを塩コショウで別茹でにして・・・。(手間が掛りますが、小さなタマネギを丸茹でにしたのが甘くて美味しいのです)

宿泊者には、女性も半分おられたのですが喜んで頂けたみたいでした。

お客さんが少ないからこそ、こうして要望が有れば小回り利かせてメニュー変更も出来ます。(喜んでいいのか???)

天候が悪くてキャンセル続出のなかでも、こうして来て頂けるのは「ありがたい」事です。

今日も雨だけど・・・。

2018-09-15

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新越の滝と釜(黒部ダムから3時間余り)

せっかくの週末なのに、キャンセルばかりで気が滅入ります。

でも、阿曽原には朗報が! 今日から、頼りになる女子バイトが入って来てくれます。

数年前の夏の終わりにテントで阿曽原にやって来て、受付を済ませてテント場に行ったのに直ぐにまた小屋にやって来て「宇奈月から魚津までの、電車賃はいくらか分かりますか?」って質問。 聞けば「行く先々で水を買うのに、予想以上にお金が掛かってしまい、東京まで帰れるか・・・」とのことです。

この年の夏は私一人で小屋番をしていて、疲れがピークを迎えており前日も単独のテント泊の名古屋女子に夕飯とキャンプ場代と引き換えに夕食後の片付けを手伝ってもらっていたのです。

「しばらくここで働いてゆけば、東京までの電車賃ぐらい直ぐに稼げるよ」と誘ってみたら、ラッキーな事に「まだ大学は夏休みだから」と残ってくれることに。(毎日ナンパしてる!なんて思わないで下さいね、でも打率10割とは我ながら・・・)

早速、夕飯の後片付けから手伝ってもらってビックリ! お客さんに食事をしてもらっている間に、こちらから何も指示をしていないのに、流し場で大ザルや大鍋やらを次々洗ってくれているのです。 新潟の実家が「行列の出来る蕎麦屋」らしく、小さい時から手伝いをしていたとのことです。 疲れてヘトヘトだった私としては、ラッキーの二倍!本当に助けられたのでした。

阿曽原小屋では、大学生のアルバイトは長い間雇っていませんでした。 便利な世の中で育ったせいで「あまりにも何も知らな過ぎ!」の学生が多かったので、少し世の中に出たことが有る人に来てもらうようにしていました。(それが良かったかは???ですが)

目を覚ましてから寝るまで、共同生活の様な山小屋生活です。(特に小さな山小屋では)色んな人が働きに来てくれますが、みんなとキチンとコミュニケーションが取れてストレスを溜めずに楽しく仕事出来ることが、お客さんを温かく迎え送るためには必須なのです。

蕎麦屋女子は、山が大好き・山の勉強も積極的・元気で見ていて気持ちの良い子です。(レスキューの現場に、ザイルを担いで付いてきたことも) 

今年も阿曽原に来てくれる事になり、心強いし楽しみな小屋主なのでした。

 

実は、一番気にしています。

2018-09-14

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裏劔と雲

小屋の営業中、私が一番気にしているのが「部屋割り」なのです。 阿曽原は、12畳半の部屋が4部屋しかない小屋です。 小部屋に分けたくても、壁・扉などの資材の保管場所の関係で簡単にはゆかないのです。

中途半端に混雑する日(12人部屋に17人とか)は、どうしても不公平な形に成ってしまいます。 布団は敷き詰めてあるのですが、グループ・カップル・単独・身体の大小・男女別等々譲り合っていただき収まっていただければ何よりなのですが・・・。

小屋を引き継いだ頃の昔話ですが、お客さんの夕食を終わらせて片付けしていたところに「テンカンです。テンカンです。」って大声で知らせながら厨房に駆けてくる方が!

テンカン・・・? 発作は見たことないけど、口から出た泡は拭うなとか聞いた様な???

慌てて客室に行ってみると、揉み合いになっている男性が二人??? 体が大きく腕っぷしが強そうな強面に、ひ弱そうな中年男性が胸倉をつかまれながら精一杯の抵抗をしていたのでした。

「テンカン」ではなく「ケンカ」だったのです。 私的には、ケンカの方が対し易かったのですが・・・それはさておき、二人の間に割って入り事情を聴くと、強面の単独の男性が食事に行く前に布団を敷いて場所取りをしてあった布団を、中年男性が少し動かしていたことが分かってケンカになった様でした。

この日は、ほんの少しの定員オーバーなのだから、譲り合って優しく話をすれば揉めることも無かったのだろうけど、ひ弱そうな中年男性は息子さん(中学生位)と一緒に来ており、強く迫られて弱いところを見せられなかったのか???

他のお客さんは、遠巻きに事の成り行きを見守っておられるし、揉め事の様子は小屋中に聞こえています。 このまま話を収めて、私が寝る場所を指定しても部屋全体の雰囲気が・・・。 今更、強面を別の部屋に案内すればその部屋の人が嫌がるだろうし・・・。

「しゃーない!」強面さんを俺の部屋に案内して、私の寝床の横に布団を敷いて寝るように言って「メデタシ・メデタシ」となったのでした。

片付けが終わって消灯時間に、私も布団に入ったのですが強面さんは寝付けてない様子です。 生まれはどこなんですか等々、差し障りのない話をしながら私がウトウトし始めたところで「ウワーン!またやっちまった!」って強面さんが泣き出したのでした。

「どぉしたん?」って尋ねると、子供の頃から人付き合いが上手く出来ず、事あるごとにケンカになってしまって・・・一人で山歩きしている間は、そんなことにならないからって登山を始めたのだけれど・・・身の上話しが延々始まって。(取調室のカツ丼状態です)

山小屋の主人は、ケンカの仲裁からカウンセリングまで何でも屋さんなのです!っていうか、こんなトラブルにならないように、部屋割り・説明・声掛け等には気を付けなければと心に刻んだ出来事でした。

皆様、混雑時にはスムーズな運営にご協力のほどを!

下の廊下情報!

2018-09-13

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頑張っています。

昨日、黒部ダム~オオへつり(黒部別山谷手前)まで行ってきました。

今年は、とにかく天気が悪くて思うように作業が進まないのです。 そんな中でも頑張って進めてくれていました。

写真の作業現場の先に「高巻きハシゴ場」が有るのですが、全壊しており作り直すのに最低3・4日は掛るとのことです。

他にも、手摺り番線の張替え・道に溜まった土砂の除去などにも数日掛かります。

天気の悪い時には出来る作業ではありませんので、この先の天気回りを考えると22日からの連休に取り敢えず歩ける程度の整備が終わるか???となってきました。

また、仙人谷ダム側からの整備業者の情報はまだ入っておりません。(先週は、十字峡まで行って来たとのことでした) 

予定を立てておられる方々には、歯がゆい進捗状況となりますが「安全作業が最優先」です。引き続き、随時このページでお伝えしますので確認してください。

今回は、地元のチューリップテレビの「下の廊下の登山道整備」(大仏達の仕事ぶり)の同行取材でした。

現場まで6メートルの丸太を危険な道を運んで、岩壁にザイルでぶら下りながら、ドリルで岩盤にアンカーを作り丸太を使って桟道を作っているところをビデオカメラに収めて来ました。

改めて、登山者のために毎日険しい道を通って大変な作業を続けてくれているメンバーには「ただただご苦労様!」でした。

先のページで「そもそもこの仕事は何のための仕事なのか?」って書きましたが、登山者のためにそれぞれの立場で何が出来るのか?

登山道整備・パトロール・救助体制・宿泊施設整備・環境保全等々、安全・安心に山を楽しんでいってもらい「ありがとう!」と喜んで帰ってもらうこと。 そのためには、関係機関が一体となって対応してゆかねばならないと改めて痛感してきました。

※仙人温泉源泉下の橋について!

9日に、大仏と王子が仙人谷に架かる丸太橋を作ってきてくれました。(現場まで、番線・アンカー・ドリル等、重い資機材を担いで行って雨中での作業でした)

この先、仙人池の紅葉を見に来られる登山者の方には一安心ですが、上流部の渡渉ポイントは増水時には注意が必要です! 仙人池ヒュッテさんのスタッフが、ちょいちょい状態を見に行ってくれていますので、必ず立ち寄って確認してきてください!

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