阿曽原温泉小屋

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長期間の捜索に! Ⅱ

2020-01-07

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今朝の白馬岳(天気予報は下り坂!荒れなければいいのですが・・・)

結局二人目の遭難者を発見できた7月11日まで、2ヶ月足らずほとんど毎日現場まで歩いて通うことになりました。(夏山相談会・小屋建て等で私が行けない日もありましたが、期間中は阿曽原の関係者は誰かが参加してくれました)

毎日通っていると驚かされること・なるほどと納得させられたこと等々、随分と山の勉強になりました。

雪渓横の斜面を、熊の親子が藪を駆け抜けてゆく速さに!

ブロック雪崩発生時の音と砕け降りてくる迫力に!

朝に通過してきた雪渓が帰りには崩壊していたり!

状態が毎日変わる雪渓や谷を観察していると、今後どこが危険な状態になるのか? (地形・高度・天候・痕跡・雪の融けやすい場所等々、なぜ変わってゆくのかが納得させられたような)

今はどうなのかは分かりませんが、小学生の時に夏休みに宿題で「観察日記」を書いた記憶がある方もおられると思います。(朝顔の成長とか)

毎日の変化に興味を持って「なぜだろう」と考えたり検証したりすることによって、山中で自分の身を守ることに繋がると教えられました。 前にも書きましたが、山菜取り・キノコ狩りにも通じることで闇雲に藪に入っても収穫があるわけではありません。

どんな事にも、それなりの理由が!

まだまだ???な事もも沢山あるのですけど、だから山に入るのが楽しいって思えるのでは?

長期間の捜索に!

2020-01-06

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今朝の白馬岳(天気が悪い割には積雪がありません)

発生から2ヶ月余の5月15日、「大日山谷」 の雪渓の4mの深さから(雪崩ビーコンの数値通り)1名の遭難者が収容されたのでした。

翌日からも、もう1名の発見収容に向けて体制を整えて連日通いました。

「ひぇーーーっ」翌日発見現場に着いてビックリ! 夜間に落石が発生したのか、掘り込んだ穴の底に一抱えではきかない「岩」が・・・もし作業中に転がってきていたら、二人くらいは潰されていたことでしょう!(広い雪渓上でのホールインワン的な)

未だ発見されていない遭難者のほうは、雪崩ビーコンの反応がなく(電池切れ?)広い谷の雪渓の何処に埋まっているのか???

常識的に考えれて事故発生時の雪崩の層まで4mと考えると、そこまで雪渓が融けるには・・・梅雨時の温かい降雨で一気に融雪が進むのは分かっているのですが、悲しみに暮れながら待ち続ける家族縁者のことを思うと一日でも早く帰してあげねばなりません。

果たして同じ標高まで流されてきているのか?同じ標高でも、少し方向が違えば100m以上の幅がある雪渓を掘り返す事を想像してみてください。

連日通ってデブリの流れなどから推測してみるのですが、掘っても掘っても・・・せめてザック・スキー板等、手掛りが見付かればと広大な範囲の雪渓を見て廻りますが全くの徒労に終わってしまいました。

当時の阿曽原チームは、ゴールデンウイークまでトロッコ列車沿線の浮石調査の仕事でメンバーが集まっており、阿曽原小屋を建てる6月上旬までは割と自由が利く男達なのでした。 

私個人は、登山研修所と長い付き合いなので出来るだけの応援が出来ればと考えていたのですが、小屋のスタッフ達はそれほどの義理もなく、ましてや全く見ず知らずの遭難者の捜索に積極的に参加するには・・・? しかし先にも書きましたが、山歩きと土木作業に慣れた人手が必要になってくるので、都合のつくメンバーに御願いして一緒に捜索に参加してもらったのでした。

いろんな「縛り」「決まり」があって、他のバイトに行ってた方が日当は全然良かったはずですが、みんな快く引き受けてくれました。

再始動。

2020-01-05

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前ページから繋がります。

雪面には姿も見えず極寒の中相当な時間も経過しており、続いた吹雪により新たな雪崩の危険性が増して二重遭難の危険を避けるために、苦渋の決断ではあったが第一次捜索は打ち切りとなり、山の雪が概ね落ち着く5月の連休明けまで待つことになりました。

(落ち着くと言っても、表層雪崩の心配なくてもブロック雪崩の危険はずっと付きまとったのですが・・・)

連休明けに、捜索隊が大日山谷1450m付近の雪渓でビーコンの反応を確認。(雪崩発生地点から、高低差1000m余り流されていたことに)

確か4m位の深さからの反応だったと記憶していますが、我々阿曽原チームも馬場島側から応援に現場入りしました。(餅屋は餅屋! 土木作業に慣れていないと、パワーと思いだけではなかなか・・・って、俺たち何屋さん?))

雪を掘ると言っても、竪穴で4mも掘り下げることはそもそも無理があります。勾配が低くなっている下流側からアルペンルートの雪の大谷?状態にして掘り進んでゆくのです。(4mの雪の壁を想像してください)

スコップだけでは捗るはずもなく、チェンソーで雪渓を切り出してブロックにしてからスコップとスノーダンプで雪渓の外に運び出すのですが、谷の勾配が緩くなってきている場所だったので10m以上手前から掘り進めたような記憶が・・・。

広くすれば仕事量が増えるし狭ければスコップが振り回せないので、案配を見ながら交代しながら進みます。掘り出したブロックを捨てる場所が、だんだん遠くなってゆくので運搬係も大変です。 (雪が硬く重いので力任せに作業をすると、スノーダンプが壊れるばかりで・・・)

いくら4m下部に反応があるからと言って、チェンソーで闇雲に雪を切り出しては石・流木・装備に歯を当ててはチェーンが切れてたり噛んだりのトラブルの危険が。 

ましてやビーコンが身体に固定されているとは限りません。 万が一にでも遭難者を傷つけようものなら大変です!

雪渓にチェンソーの歯を入れる前に、ゾンデ棒で丁寧に雪面を突いて障害物が無いことを確認してからの作業になります。

(ゾンデの反応は硬いは硬いでも、石・氷・樹木・カチカチに凍り付いている人間等それぞれ反応の違いが解ります)

2000年と言えば・・・。Ⅱ

2020-01-04

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小窓尾根(台形の岩峰がマッチ箱ピーク)

入山はしてみたのですが、翌日から天候が悪化して前進基地に開放してもらった大日小屋から外に出ることが出来ませんでした。(雪庇が発達する場所ということは、大量の降雪と強風が抜ける風道?であるということ)

行方不明になった2名は、生還した9名とは少し離れた雪庇の先端側で休んでいたとの事で、講師から「あまり先端部分に近づくな」と声を掛けられていたそうですが、直後に崩壊した雪庇もろとも巻き込まれて研修参加者27名中11名が落下。

9名はそれほど流されなかった為(それでも100mほど流された者もいた)軽傷者もいたが自力で稜線まで登り返すことが出来たのですが少し離れた場所にいた2名は姿が見えず、通報を受けた山岳警備隊員がヘリコプターで現場に到着して付近を捜索するも発見に至らず。

雪崩ビーコンの反応も崩落地点付近では反応はなく、ヘリコプターから反応探知を試みるも大日山谷の中から反応はあるものの雪崩を誘発させる恐れ等で低空での調査ができず。

上空からの目視でも行方不明者・ザック・スキー板等も確認することが出来ず、崩落時に誘発された雪崩に巻き込まれて大日山谷下流まで伸びる長大で広範囲なデブリに埋没したものと推察された。

下流の谷の中に入っての捜索は、二次遭難のリスクがあまりにも大きく発生からの時間経過や後の天候悪化等から事後捜索することとなったのでした。

後の検証で、雪庇の張り出しは40m以上で先端から15m程度の点から崩落し、崩落点の積雪深は約20m、崩落した雪の高さは約10mというとてつもない雪庇が出来ていたと推定されました。

(ここまで巨大な雪庇が形成されていたとは、当時の日本国の山岳関係者の中で予見できる者など存在しなかったと思うのですが)

2000年と言えば・・・。

2020-01-04

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白萩山・大窓のコル・池の平山等

2000年国体直前に大雪になった話を前ページでしましたが、この年は二月末まで強い冬型が繰り返してまとまった積雪となりました。(黒部ダムでは、2月27日~29日までの強い降雪で一気に平年の積雪量よりも125CMも上回った)

強い冬型が続いたせいで山間地の稜線には巨大な雪庇が作られてしまい、3月5日に「大日岳」 頂上付近で雪庇が崩落して、文部科学省登山研修所(現国立登山研修所)の冬山研修会のメンバー11人が巻き込まれて2名の研修生が亡くなってしまう事故が発生してしまいました。

翌日だったか?当時の剣沢小屋のご主人の佐伯友邦さん大日小屋のご主人の杉田氏と私は、チェンソー・スノーダンプ・食料などを用意して県消防防災ヘリコプター「とやま」に乗せてもらい大日岳に応援に向かったのでした。

驚かされたのは、雪庇の崩壊破断面の大きさ!雪庇の先端は、破断面から数十メートル先にあったとのことでした。元々この稜線には巨大な雪庇が出来るのは知られていますが、破断面の高さは約10メートルも・・・ここまで巨大な雪庇が出来ていることを誰が予測できたでしょう!

更には特異な形成のされ方で、下層には「しもザラメ雪」が出来ていたことも後の調査で判明しました。(「しもザラメ雪」崩れやすく表層雪崩の原因となる。雪から霜柱が伸びるって知っていました?)

暖冬だったのに、豪雪地帯の北陸では一旦天候が崩れると山の中では想像も出来ないことが起きてしまっていたのです。

廻り合わせ?

2020-01-03

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赤谷山(右手前に伸びる赤谷尾根)

積雪の少ない正月ですが、そういえば2000年冬も2月に入るまでスキー場がまともに営業出来ないくらいの少なさだった記憶が・・・。

あの年は冬季国体が富山で開催予定で、大会直前まで競技場に積雪がほとんどなく奥山まで雪を取りに行かなければならないと真剣に考えられていたとか。

幸いと言うか大会直前に大雪が降り続いてしまい、逆に道路除雪に追われる羽目に・・・。

廻り合わせにしては???なのですが、今年の冬季国体は富山で開催されます。

とやま・なんと国体2020

大会が無事に行われることを願うばかりです。

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