阿曽原温泉小屋

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長期間の捜索に!

2020-01-06

写真

今朝の白馬岳(天気が悪い割には積雪がありません)

発生から2ヶ月余の5月15日、「大日山谷」 の雪渓の4mの深さから(雪崩ビーコンの数値通り)1名の遭難者が収容されたのでした。

翌日からも、もう1名の発見収容に向けて体制を整えて連日通いました。

「ひぇーーーっ」翌日発見現場に着いてビックリ! 夜間に落石が発生したのか、掘り込んだ穴の底に一抱えではきかない「岩」が・・・もし作業中に転がってきていたら、二人くらいは潰されていたことでしょう!(広い雪渓上でのホールインワン的な)

未だ発見されていない遭難者のほうは、雪崩ビーコンの反応がなく(電池切れ?)広い谷の雪渓の何処に埋まっているのか???

常識的に考えれて事故発生時の雪崩の層まで4mと考えると、そこまで雪渓が融けるには・・・梅雨時の温かい降雨で一気に融雪が進むのは分かっているのですが、悲しみに暮れながら待ち続ける家族縁者のことを思うと一日でも早く帰してあげねばなりません。

果たして同じ標高まで流されてきているのか?同じ標高でも、少し方向が違えば100m以上の幅がある雪渓を掘り返す事を想像してみてください。

連日通ってデブリの流れなどから推測してみるのですが、掘っても掘っても・・・せめてザック・スキー板等、手掛りが見付かればと広大な範囲の雪渓を見て廻りますが全くの徒労に終わってしまいました。

当時の阿曽原チームは、ゴールデンウイークまでトロッコ列車沿線の浮石調査の仕事でメンバーが集まっており、阿曽原小屋を建てる6月上旬までは割と自由が利く男達なのでした。 

私個人は、登山研修所と長い付き合いなので出来るだけの応援が出来ればと考えていたのですが、小屋のスタッフ達はそれほどの義理もなく、ましてや全く見ず知らずの遭難者の捜索に積極的に参加するには・・・? しかし先にも書きましたが、山歩きと土木作業に慣れた人手が必要になってくるので、都合のつくメンバーに御願いして一緒に捜索に参加してもらったのでした。

いろんな「縛り」「決まり」があって、他のバイトに行ってた方が日当は全然良かったはずですが、みんな快く引き受けてくれました。

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