阿曽原温泉小屋

k

やっぱり神様の掌の上?Ⅱ

2020-05-12

写真

中央左側に白い三角が崩壊現場(深いでしょ)

前々ページの続き!

当時の砂防事業は、祖父谷は農林水産省(森林管理所)・祖母谷は国土交通省が担当して工事を進めていたのですが、祖父谷の工事を進めるのに堰止湖が決壊する恐れが無いか継続して調査する必要がある。(現在、祖母谷川全てが国土交通省の担当)

見に行くだけならばヘリコプターで上空から見られるけれど、形が変わっていないか?押し出されていないか?流路が出来て弱くなっていないか?等を調べるには現地に直接行かなければならないが・・・ヘリで着陸して調査するにしても、調査中に天候が崩れてヘリが迎えに行けなくなることも考えられる。

祖父谷を遡行するには、ゴルジュ帯が有って一般人にはとても遡れないし、当の中背尾根は終戦頃までは道はあったらしいが・・・濃い樹林帯と猛烈な藪で尾根を伝って近づいたとしても、尾根から祖父谷に降りるには藪が濃くてルートを見失わないか?更には谷に降りるには水流で削られた崖が続き簡単に登り返せるのか???(当時はGPSなんて無かったのです) 等の問題があって手が出せないでいたのです。

「登山道とまでは言わないから、取り合えず作業通路的なモノをあんたらで作ってもらえないかな?あんまり予算ないんだけど・・・」って、

私は平成7年8月の災害後に、登山道のパトロール兼草刈りで唐松岳~祖母谷線の登山道から見ており、その崩壊面の規模は知っていたしアプローチの山の険しさは想像しただけで・・・。

「でも誰かがやらなければ」って、出来そうな人間は思いつかないし・・・シャーないので、取り合えず葉っぱが伸びて視界が効かなくなる前の5月に「中背尾根」からのアプローチが出来るのか?ルートを付けられそうなのか?調査を引き受けたのでした。(こんなのを一手に引き受けていた、黒部のガイド高島石盛氏はH6年にヒマラヤで遭難して未帰還)

平成7年災害後から小屋が営業出来ていないのと石盛さんがいなくなったので、次々と山仕事を依頼されるようになり、当時はガイド見習いで合間に阿曽原を手伝ってくれていたS君(現在国際山岳ガイド!大先生?)・大仏の三人で向かうことにしたのです。

ちなみに、我々は前年に唐松岳~祖母谷温泉間の登山道の改修工事をシーズン後半まで掛けて終わらせたばかりでした。(その年は、下の廊下は大雪で開通せずに暇な年だったのです)

コースが長く山小屋に泊まる訳にも行かず、大黒鉱山跡にテント村を作って何日も泊まり込んで、手すり鎖・鉄はしご・階段・道標を大汗かいて設置して、風呂が無いので強烈な体臭と不快なヌルヌル感に苛まされながら・・・そういった意味では最低の仕事でした。

(全身から強烈な納豆臭させる人間に会った事ないでしょ?)

それが片付いて直ぐに、この話が・・・これって偶然??神様は俺たちに何をさせたいの???

写真は、左から白馬~白馬鑓~天狗~唐松~五竜を仙人峠から見たものですが中央左の山腹に白い崩壊地が見えるかと。(劔御前からも見えた記憶が・・・)

まだ続く!

僧ヶ岳の雪形!

2020-05-11

写真

魚津市西布施から見た雪形

立山連峰の最北端に位置する 僧ヶ岳(1,855m)、この時期に雪形が現れて、昔の人は田植え時期の目安にしていたとか。(頂上直下に、虚無僧・馬・鶏がいるらしいのですが・・・)

富山平野側から見える側の水は「布施川」「片貝川」に、裏側の水は黒部川に流れ込んでどちらも富山湾へ。

宇奈月コースから登ると、途中に大きな鉄製の索輪(滑車)みたいなものが放置されているのが見えます。

戦前、僧ヶ岳の奥の越中駒ヶ岳(2,002m)でモリブデンを採掘していた時の名残で、当時は牛が荷車を引いて行き来していたとのことなので牛が運んだものなのでしょうか?(古く広い道の痕跡が所々残っています)

高校時代は週5回登りに行ったり、階段を作りに行ったり草刈りに行ったり、少し前までは中学生の登山会の世話を、更には後輩が転落死したりと・・・なにかと濃い付き合いをしてきた山です。(オウム真理教、坂本弁護士一家殺害事件で奥さんの御遺体が埋められていた山でもあります)

来月になれば、シラネアオイ が沢山咲く等、標高の割には花が豊富で県外からも登山者が登りに来ています。

やっぱり神様の掌の上?

2020-05-11

写真

奥の白い稜線の左端が白馬鑓!(欅平上部より)

祖母谷川は、「祖母谷」と「祖父谷」が祖母谷温泉前で合流して欅平に流れ下っています。

二つの谷を分ける分水嶺になっているのが、「中背尾根」で白馬鑓から祖母谷温泉前まで下る長大な尾根です。

写真で見ると、左奥の白馬鑓から中央に下って伸びる大きな尾根が見えます。写真中央で緩い三角のピークになって広い斜面のように見えながら下って祖母谷温泉前まで伸びています。(手前右側から降る、奥鐘山から奥鐘橋まで下る目の前の松の木が濃い尾根に隠れてしまいますが・・・)

平成7年7月豪雨の話を何度かして来ましたが、その際に中背尾根の祖父谷側の山腹が標高差500m足らずの大崩壊が発生してしまいました。(小黒部谷~唐松岳に向けての活断層が水を含んで崩壊?)

大量の土砂は祖父谷を埋め尽くして「堰止湖」が出来てしまい、上流側にはダム湖?が出来上がってしまったのです。

翌年12月に同じように大雨被害を受けていた、新潟・長野県境の姫川の蒲原沢で、平成7年7月の大雨で山腹が崩壊していたところに雪融け水と降雨によって、大規模な土石流 が発生して14名の犠牲者が出てしまいました。(人間が決めた県境は有るけど白馬岳の周囲で同じ山域なのです)

当時、祖父谷下流では森林管理所が砂防堰堤を作っている最中でしたが、工事中に「堰止湖」が決壊して土石流が押し寄せると工事現場どころか欅平にも被害が及ぶのではないかと心配されていたのでした。

平成9年の春先だったと思うのですが、富山森林管理所に用事で行ったらY係長から「ちょっといいです?」って申し訳なさそうに???声を掛けられて・・・。

続く!

献上品?的な!

2020-05-10

写真

カッターの大きさと比べれた「太さ」が分かるかと。

小屋の周りを見て廻っていたら、「コゴミぜんまい」がポツポツと。

立派な献上品クラス?の獲り頃のコゴミを見つけました。 これ以上大きくなると・茎が外に広がる・先端の巻き込みが無くなりる・葉が開いて・色が薄くなって・茶色のゴミみたいなのが取れてなくなる・・・そうなると食べれれません。(茎をつまむと硬いのが判るのですが)

アッサリした山菜で、歯ごたえも良くアク抜きせずになんにでも使えるので便利なのです。立山町芦峅寺では、湯がいてからゼンマイのように乾かして保存して、郷土料理の「ツボ」を作るときには欠かせない食材となります。

昔、山奥の調査中に見付けた「コゴミ」は驚くほど大きく太くて・・・「ジュラ紀の草食竜がくわえている!」みたいなやつとまではゆきませんが、かなりデカいのをを見つけたことが有ります。

ただし、相変わらずのハラハラ・ドキドキ・ヒーヒーの帰還となったのですが・・・次回から、その話を少し書いてゆこうかと。

今年も低山帯は少ない!(高山帯は多め)

2020-05-10

写真

昨日の写真と、去年の 6月1日の写真 と比べて、登山道のウネリ部分から残雪までの距離等を見ればどれだけ少ないか分かってもらえるかと。

ただし高山帯は、春先の積雪と低温が続いたのでそれなりに残雪が有るのです。(さっき剣御前小屋の主人に電話したら「今年は雪が多いし寒い」ってました)

里では暖冬で積雪が無かったのに、ある程度の標高からは雨ではなく降雪になっている証拠です。

標高差100m上部に行けば0.6℃気温が下がるって、理科の時間に習ったはず? 

暖冬が来る度に、低い標高では雨しか降らなくなっても高山帯では降雪はちゃんと有って降る雪の質が違ってきている!って話を前にしましたが同時に雪崩の出方等にも影響が出て来ているのではないかと。

被害なし!

2020-05-10

写真

陽当たりのいい場所のブナは芽吹き出して。

この時期の露天風呂までの道には、少しは残雪が有るはずですが全く無くて・・・先のページの写真でも阿曽原谷の雪渓の高さを見ればいかに少ないのかが分かります。

4月が寒かったからか、その割には新緑の芽吹きは若干早い程度です。

アーカイブ

最近の記事