阿曽原温泉小屋

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知らないってことは!Ⅸ(相性って・・・)

2020-06-13

写真

初代「つるぎ」随分軽そうに見えます。(柳又谷にて)

久々の続き。

それにしても、夜の永かったこと!「マス寿し」を食べてひと時の幸せに浸れたのですが、比べようもない圧倒的な緊張感と暗闇の長さ・・・。

這い松に潜って・長次郎谷熊の岩での豪雨の中で・テントが潰されそうな豪雪時等々を体験してきましたが、「安心して横になれることの有り難さ」今から考えると、当たり前のことですが山小屋の重要な仕事なのだと身に染みて覚えさせられたような気が・・・。

空が白んで来た頃には、無線で撤収の段取りの連絡が入り出します。遭難者もなんとか自力で、フイックス(張り込んだ)ロープを使って登ることが出来たので、時間は掛かりましたが全員合流してから、初日に使った藪のトラバースルートにも次々とフイックスしながら「ゴルジュ帯」上流の池ノ谷に還ることが出来たのでした。

しばらくして、県警ヘリ「つるぎ」がピストン輸送で遭難者を下山させた後、我々は勤務地の劒沢へ空輸してもらって一件落着したのでした。

遭難パーティーによると、池ノ谷から 小窓尾根1.614m ピークへの登り返しポイントを見逃してしまった。

そのまま池ノ谷を下って行ったら「滝」の上に出たが、ゴルジュの怖さを知らない彼らはロープで滝を下降したが、先へ進むことも登り返すことも出来なくなり・・・まさに進退窮まってしまったとのことでした。

小窓尾根への登り返しルートは、登山道ではなく草付き斜面の踏み跡みたいなルートで、パーティーの中で誰かそのことを知っていたのだろうか?(記録だけ読んで入山して、痛い目に遭う人も大勢見て来ました)

池ノ谷ゴルジュは、地形図を見れば険しさが想像できなかったのか? 迷った時に「下に向かえば良いや」って安易に行動してハマってしまう例がいくつもありますが・・・天下の「池ノ谷ゴルジュ」知らなかったでは済まされない救助でした。

一人でも怪我をしていて自力で登り返せなかったら、大変な苦労と危険を伴う救助活動だったことでしょう。全員無事に生還できたのは、ある意味「奇跡」だったと今でも思っています。

もう一つ言うとすれば! N隊員は大切な仲間なのですが、一緒に出動すると、「なんでこうなるの?」的な現場が多くて・・・。

先に書きましたが、大窓での無食料ビバーク・ヘリコプターのドア開放飛行・ガスの降下と競争しながらの遺体収容等々、他にも下界で仕事や飲んで・・・ここには書けない様な事がチョクチョクと、これが相性というものなのでしょうか?

※池ノ谷ゴルジュ

ちなみに 池ノ谷ゴルジュ で検索するといくつか出てきます。

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