阿曽原温泉小屋

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立山黒部アルペンルートのロープウェイ構想について!最新情報!

2019-03-26

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数日前の宇奈月ダム!奥山はまだまだ残雪が。トロッコの線路のレベルはほぼほぼOK!

「称名滝~弥陀ヶ原 ゴンドラ整備も凍結 ロープウエー構想 棚上げに」

富山県が構想して、皆さんにご心配をかけていました、

称名滝~大観台 ロープウェイ!

大観台~弥陀ヶ原 ゴンドラリフト!

両構想が棚上げされる事に成りました。

チューリップテレビN6

他の県内マスコミも取り上げてくれていました。

賢明な判断で、良い方向に向かってくれたと。

来週から始まります!

2019-03-25

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名剣温泉上流、上部岩壁に引っ掛かっていた倒木。

来週から毎年恒例、各方面から仲間達が集まって来てくれて、峡谷鉄道の運行再開・黒薙温泉の営業再開・遊歩道の安全確保等の為の仕事が始まります。

写真は、以前大雪明けの春に見つかったものです。

結構な大木ですが、冬場に倒されて河原まで落ちずに止まってしまいました。枝が折れたり引き千切られているのが分かるかと。

この現場は、上部の岩壁に登ってアプローチして、チェンソーでバラバラにして落としました。

(直下の幅員3~4Mの道路の上をダイブして落下)

不安定に止まっていると、揺すっている内にズリ下がり出して「諏訪大社の御柱」の様に勢いよく落ちて行く事も有ります。

もちろん、自分の身体はザイルで確保してあるのですが、目の前の大木・大岩が動き出す時には、引っ張られてゆくような錯覚に・・・・。(圧倒的な質量の差!引力が働いている気が。人間のチッポケサを思い知らされます)

斜面にそのまま置いてゆく訳にゆかないので現場毎に、落す・ワイヤー等で固定するなどの対策をして来ます。

先にも書きましたが、山全体を人間が管理する事は不可能です。

しかし、出来うる限りの対策をして安全を図ることが、発電所から電気を送り・砂防堰堤を作り安全で便利な生活の糧になり、トロッコ列車を走らせて黒部を訪れる人に感動してもう「お手伝い」になれればと考えています。(そういった意味では、山小屋の仕事も遭難救助も「感動のお手伝い」の延長線かと)

普通の人間では近づく事も出来ない岩壁で、日当の割に合わない危険な作業なのに、「遣り甲斐」?を感じて一緒にこなしてくれる仲間達がいればこそ!

目先だけ見ていると???

2019-03-22

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目の前は安定している様でも、上部で発生したブロック雪崩が柵で止まってます!

前向きに頑張っていれば、そのうち神様が思わぬ御褒美をくださる事もあります。

私が警察退職1ケ月前に出場した「県警逮捕術大会」で、予選リーグから決勝まで対戦相手に一本も取られず勝ち上がり全勝賞を取ってしまいました。 

当時33歳で、大会後に入院予定で体調万全ではなかった私が・・・神懸りというかほかありません。

口髭に柔道着を着て、閉会式で「チーム優勝・全勝賞・永年出場者」と1人で三回表彰されることに。神様からの御褒美だったと思っています。

他にも、今では黒部峡谷一帯で無くてはならない存在になった、番頭さんの「大仏」との出合にしてもただの偶然では無い様な事件?が絡みます。(機会が有れば書きます)

阿曽原の仕事についても、大雪・落石・洪水等々の天災に振り回されて、山小屋の仕事が出来ずその都度復旧作業に当りながらきました。

これにしても、黒部峡谷一帯でフリーで山仕事をしていたガイド故「高島石盛」さんが、平成6年にインドヒマール「ツインズ」登頂後に遭難してしまい、後を引き継いで作業を依頼される様になったのです・・・巡り合わせと言うか偶然と言うか。

平成7年の洪水被害の復旧作業!続いて平成8年には、故「石盛」さんの調査で計画された「唐松岳~祖母谷温泉」の登山道改修工事をすることとなりました。

本格的な土木工事など、切り盛りしたことなど無かったのですが、この辺りから山奥での土木作業???を依頼される様になり、仙人池・池の平の植生復元・階段工事や浮石処理等に繋がってゆきます。

平成18年には「雲切新道」を切り開きましたが、10月の中旬過ぎまで掛かってしまいました。この年は大雪で「下の廊下」の開通期間が10月末の10日間だけで、工事が終わってからの開通となりました。(早めに開通して工事期間と被っていたら大変な事に・・・)

先のページから、他で亡くなった人の話しばかりですが・・・これも不思議な巡り合わせです。その人たちの分まで黒部で頑張らねばと!

その時々で、新しい仕事・困難な仕事・未知の現場に「エイ!ヤーッ!」って踏み出して来たから、今の阿曽原小屋と集まる仲間達が有るのかなって。

「目先のこと」だけを考えていたら、頑張ってくれる「大仏」に応えてやれていなかっただろうし、他のメンバーと共に災害復旧等には関らなかったかも、怖い思いもしないで済んだでしょう。

でも、誰かがやらないと黒部に支障が出る仕事ばかりでした。 行き当たりばったりの私ですが、次々と立ちはだかる事案が発生しても、困った時に一緒に苦労してくれる仲間が現れてくれて・・・見えない歯車というか、不思議な巡り合わせと仲間達に感謝です。

余談ですが。(偶然じゃなく必然?)

2019-03-21

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松本市内の夜明け前!(夜明け前が一番暗い?)

私が退職後、そのような事情が有ったのならばと、山岳警備隊員はなるべく駐在所勤務等受け持ちを持たない様な申し送りが当時出来たそうで「警察を辞めたけど警備隊のためになった」と思っていました。

時間が経ち、なし崩しになりつつあった時に、剱岳での山岳警備隊の冬期訓練中に「殉職事故」という痛恨の事態が発生してしまいました。

葬儀等事後対応後に、新たなスタートを切るに当り山岳警備隊の体制強化の為に何が出来るのかとの協議の末

○室堂勤務の常駐隊員の増員! 

○兼務隊員の下界での受け持ち負担の軽減!

等が決まったのでした。

「殉職と引き換え」等とは到底比べ様もありませんが、強い警備隊になって二度とこのような事故が起きない様にとの新体制でした。

悲しい「殉職事故」でしたが、遭難者は山が有る限り必ず出てしまい、警備隊は救助してゆかねばならないのです。

ちなみに事故が発生したのは、私が初めてネパールに慰霊の旅をする前日に発生してしまいました。

H14年の東鐘釣山の災害現場で危険な仕事を率先してくれた元従業員が、前年9月にダウラギリ遠征隊に参加して雪崩に遭遇してしまい慰霊のネパール行でした。(当時、各方面より沢山の義援金を頂きました。あらためて御礼申し上げます)

急遽キャンセルして、夜になってから馬場島まで歩いて向ったのでした。当時の私は、ネパール行前に一応受けた検診で「高血圧」(上が200オーバー)と診断された直後でした。

同行するメンバーからは「そのまま行って大丈夫?プッツンいかない?」と随分心配されていて、もしかしたら引き留めてくれたのかもって思ったりして。(現在は投薬で治まっていますから)

勝手に不思議に思っているのです。

昔の話しですが疑問に答えます!

2019-03-20

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不安定な白竜峡!(昨年8月中旬)

私が警察官を退職した理由について「疑問に思っていたけど、面と向かって聞けなくて」って先日も言われました。

あんまり外に向けては詳しく話して来ませんでしたが、不祥事でもヤラカシチマッタのかな?(見た目で判断しないで!)と思っている人もいまだにいる様なので書いてみます。 

私が退職したのは平成5年3月末です。 当時の富山県警察は巡査部長に昇任したら、刑事・白バイ隊員等関係なく基本的に駐在所勤務を経験する制度がありました。 (例外もあって駐在所勤務をしない警察官もいましたけど・・・)

私は平成3年3月末に昇任して立山町の駐在所勤務を命じられました。異動内示の日は、剱岳での遭難救助中で数日前から平蔵のコルでテント生活していて、一週間後位にヘロヘロに消耗して下山した時には、引き継ぎどころか引っ越しも各種手続きをすることも出来ず、小学校に入学予定だった長男の転入手続が間に合わず、転居先の目の前の小学校に入れずじまい。

それでも体制を整えて駐在所勤務に当りましたが、当時は山岳警備勤務の他に、全国初の山岳救助研修会への参加・国体の山岳競技の監督として訓練や各種大会への出場・冬場の武道大会シーズンは朝から晩まで武道訓練等々、駐在所で勤務することがほとんど出来ませんでした。

被害届の受理・各種相談等、一般業務も不在の為地区の方々には不便をかけたし、普通の駐在さんならば出席する、学校・施設等への交通安全教室・公民館行事・消防団への慰問等々ほとんど参加できずに、地域住民からは陰で「駐在所ではなく不在所やね」と言われて・・・、自分としてはどうする事も出来ず申し訳ないやら随分悔しい思いもしました。

どう考えても無理がある配置なのに、当時の署の幹部は規則だからと見て見ぬ振りで、住民からの不平・苦情にも対応してくれるわけでもなく・・・。☆今の警察幹部の話しではなく、あくまで当時の話しですから!

次の異動の配置替えまで大人しくしていれれば良いのだけれども、若かったというか性格が・・・。(大人と言われる人達から見れば、こういうのをバカと映るのでしょうね)

大きな組織に不信感を抱くようになって~頑張って来た下界での仕事もやる気を無くして(山と武道は頑張ってましたけど)~上司に反発(口髭を蓄えて、署長に剃る様に言われても「明治時代の巡査は伸ばしていたでしょ」って反発したり)~そんな自分にも嫌気がさして来た時に「阿曽原小屋」を引き継がないかとの話が来て、後先考えずに勢いで退職を決めたのでした。

制服警察官が口髭を蓄えていては、バカと言われても仕方ないのですが、当時は生意気にも自分の仕事への自信とプライドの裏返し、そして制度に対する独りよがりの反発でした。

続く!

立山ロープウェイについての私見!

2019-03-11

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みくりが池からの立山!

勝手にに言わせてもらえば、称名滝~大観台が取りあえず白紙に戻ったのは結構なのですが、そのまま立山駅から美女平区間の付け替えでは、せっかくのロープウエイの利点を生かし切れないのでは?(景色が限られるから、費用対効果が悪くないかな~?)

例えば「立山駅~粟巣野スキー場~間川横断~美女平」みたいなルートをとれれば、環境負荷も大きくないし景色も楽しめるのでは???(予算も大きくなるし、地権者等問題も多くなるだろうけど・・・)

称名渓谷とは違い、メンテがしやすいし、間川上空の気象問題がクリアできれば、美女平の現在の施設を若干拡幅すればよいのではないかと。

更に、粟巣野に中間駅を作れば駐車場問題も緩和されるのでは。 そして、残念ですが現在縮小方向にある立山山麓スキー場一帯を再利用する可能性も出てくるのでは? 室堂みたいな特別保護区をリゾート化せずに、あの辺りを再整備してみてはどうでしょう?

他にもいろんなアイディアが有るはずです。(立山駅~大辻山方面~美女平とか)

先日、(株)美ら地球 CEO 山田拓氏の講演を拝聴して参りました。

飛騨古川市で、自転車でエコツーリズムの会社を運営しておられる方です(色んなところで活躍されているから御存知の方もいるかと)

アイデア&実行力! 今あるものを再発見して、工夫して利用して、ターゲットをしっかり定めてアピール!みたいなことを語っておられ感銘を受けてまいりました。

先日の県議会でも「立山駅~美女平間のロープウエイを建設するとなれば、県は補助を出すのか?」との質問も出ていましたが・・・。

ケーブルカーがまだ使えるのであれば、もう少しアイデアを出す余裕があってもいいのでは?

天下の「立山黒部」です! 世界ブランドにしようというのであれば、高く広い視点と志で現場に即した様々な可能性と問題点(オーバーユース等)を検討して計画を立てて実行してゆくことが全体の利益に繋がるのではないでしょうか。

「立山黒部」はみんなの宝物なのです。末永く利用させてもらうにはどうすればいいのか?慎重な議論を望むばかりです!

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