神様の掌の上で・・・。Ⅱ
2019-05-16
ここまで長々と今までの事を書いて来ましたが、成果を自慢したい訳でもなく増してや災害を憐れんでもらいたい訳でもないのだけれども、いろんなことが有って事故も無くここまで来たな~って。
私は「行き当たりばったり」と言うか「先の事はどうにかなるやろ」みたいな適当人間です。
ただし、事有る毎に一歩前に出てしまうとことは有ったかも?(警察官に成り立ての頃のダメダメお巡りさんだった私、当時の上司の御蔭で仕事のやりがい面白さを知って変われました)
「なんで俺にばっかり災難が」って嘆くよりも「神様は、乗り越えられる者に困難を与えて下さっている」って思えば腹が立たないと教えられたと前に書きました。
困難を嘆くよりも、「自分の経験値を上げるため」みたいに考え方を変えて事に当れる様にできたら、不幸な気持ちにならないで済むのになーって。
そう考えると、裕福な家では無かったので田畑の手伝い・バイトで色々な事を覚えたし身体も鍛えられた気がするし、警察官時代に数を打ちまくった職務質問で他人と話す事が出来る様になったし、警備隊時代には技術や山の経験を積んだし、腹を立てて警察辞めて来たけど今の伏線だったのかも?とか、ここでは書けないバカをいっぱいやって周りに助けられてきたし・・・等々の経験が今に繋がっているんだろうな~って。
成り行きですが、私達は黒部の為に自分に出来る事!自分がやらなければならない事!をこなして来たつもりですが、出来ない事はして来ませんでした。それは、事故に直結するのを知っているからで、工夫して知恵を出して困難を乗り越えて来たのですが「自分を知って」「経験」を活かして山を見て考えて来たからこそなのです。(もちろんその時々に頼もしいメンバーが集まってくれて)
だから勇気を出して一歩踏み出さないと「経験の蓄積」を積むチャンスを逃す事に成るかも?
それにしても次々と訪れるアクシデント・イレギュラーは、イタズラ好きな神様の掌の上でコロコロと転がされているのではって思う事が時々あります???
私は、いっぱい失敗もドジも踏んで来たし、その度に落ち込んだり凹んだりもして来ましたが、結論として、出来るのに前に踏み出さない事で後ろめたくなったり後悔するのが嫌なので、前に進んで大変な事でも自分に都合の良い様に考えるようにすれば良いかな~って思える様になりました。
(こんなこと言って偽善と思われない様に、「意見書」みたいな金にならない事で動くのもそこそこ大変なんですけどサダメと諦めてます)
なぜか最近「巡り合わせ」「縁」みたいなものを感じたり話題になったりしたので、一緒に頑張ってくれているメンバーと応援してくれている方々への感謝を込めて書いてみました。
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